34 変貌少女
『緊急事態発生、第四実験棟にて被検体の暴走及び脱走が確認されました。"信徒"の皆様は直ちに対処に当たってください。繰り返します──』
耳障りなアラームと共に大音量の機械音声が鳴り響いた。
脳味噌が震えるような振動と、胃が縮小するような緊張感を掻き立てるそれに顔を顰めながら、複数の白いローブ姿の男たちが慌ただしく駆け回る。
「はぁぁ、またなの? 今日だけで何回目の緊急事態よぉ」
潔癖なほど白い廊下を気だるそうに走る女が、隣を併走する青年に声をかけた。
疲れきった女の顔とは対照的に、青年の方はどこか満足気な笑みを浮かべている。
「確かに最近増えたな。でもそれは"人体実験"の機会が増えた証拠だろ? 良い事じゃないか! 僕はこの忙しさに進化教団の発展を感じるよ」
「ヒロは熱心で良いわね……信徒の鏡だわ」
「何言ってるんだ、アサミこそ教団に凄く貢献してるじゃないか。この前だって魔物を木箱に詰めて、二十匹も持ち帰っただろう」
その瞳に輝くような熱意を宿した青年のヒロが身振り手振りで信徒仲間のアサミを褒め称える。するとアサミは気恥しそうに白いフードの端を指先で弄った。
「そ、そうかしら? 言われて悪い気はしないけど……でもやっぱりヒロは立派だわ。今週の"誘拐数"は同期の中でトップだし、先週くらいに誘拐した青髪の子は適合に成功したでしょ? おかげで信徒たちの士気が上がってるわ」
「あはは、ありがとう。でも彼女は誘拐したんじゃないよ。言葉を交わして説得したんだ」
「えぇ? ヒロなんかの説得でホイホイ着いてくるなんて、チョロい子ねぇ。彼氏とか居ないのかしら?」
からかうような口調でアサミは言うが、その目元は不快そうに引き攣っている。ヒロはそんな事には気付かぬまま、不真面目な彼女を咎めるような態度を取る。
「おいおい、それは僕にもあの子にも失礼だぞ。僕はただ危険な状態だった彼女に声を掛けて、助けてあげただけさ」
「えぇー、なにそれ。知ったかぶって。女の子の気持ちなんて分からないクセに」
「なんだとぉ」
二人は軽く冗談を交わしながら廊下を進む。すると次第に真っ白な床や壁面には赤黒い粘液や、茶色い染みが目立ちようになった。当然のように信徒の死体もいくつか散見された。
「そろそろ脱走した被検体が近いな。アサミ、気を付けるんだ。危なくなったら僕を盾にして離脱してくれ」
「え? 私の方がヒロより強いんだけど?」
アサミはそう言って白いローブの袖を捲る。彼女の肩口から手首にかけて、てらてらと黄色に光る紋様が刻まれていた。
見ただけでも高価だと分かるほど強烈な、魔術による改造手術だ。
「いや、でも僕は男だから」
「古っ! そんな考え方してる人なんて居住区には居ないって! 金さえ積めば身体機能なんてどうにでもなる世の中よ? なんなら私、明日から男になろうか?」
「悪い冗談やめてくれよ……」
──危機を目の前にしても気の抜けた態度を崩さない二人の目の前に、ごろりと丸い物が転がる。
それは鋭利に切り取られた人間の生首だった。どうやらこれは彼らが進む先の、廊下の曲がり角から飛んできたようだ。
その曲がり角の向こう側から、ぬっと白い手が伸びてくる。それは人間のもののようで……しかし異常なほど長い、異形の腕だった。
「おっと、予想以上に近かったらしいね。どうするアサミ? 逃げるなら今だけど」
「勝手に言ってなさい。どうせヒロは一人でも戦うんでしょ?」
「そうだね」
ばつが悪そうに頭を搔くヒロの右腕が次第に変形していく。それを見て愉快そうに目を細めたアサミも、左脚が粘土のように自在に形を変えていた。
これこそが彼ら"信徒"の武器。魔物の肉体を人体に融合し、制御し、文字通り自分の手足のように操る異形の術だ。
ヒロは長いライフルのように変化した右腕を構え、アサミは無骨な斧に変貌した左脚を高々と掲げる。……しかし、彼らがその武器を使うことは無かった。
「ん?」
「あれぇ?」
静かな廊下に、二人の素っ頓狂な声だけが響く……そう、静かだ。あまりにも静かなのだ。異形の腕は姿を見せたきり動かない。
──どさり。と、そのまま腕は床に落ちた。そして何やらズルズルと重い物を引きずる音が聞こえた後に、その曲がり角から顔を出したのは、憂いを秘めた赤黒い瞳を持った青髪の少女だった。
「あぁ、シィ! 来てくれたのか!」
ヒロが咲いたような笑顔を浮かべて、その少女に駆け寄った。アサミは眉を寄せながらそれを眺めている。
「あ? あぁ、ヒロさん。被検体が脱走したってアラートが鳴ってたんで、それっぽいのを殺したんスけど、コイツで良かったッスかね」
シィと呼ばれた少女は巨大な肉塊を軽々と持ち上げてヒロに見せる。それは先程の異形の怪物であり、どこか人間のような面影を残していた。
「そうだ。今日この実験棟で融合手術を行ったのは彼だ。元々は優秀な信徒だったんだけど。うん、どうやら魔物と適合しなかったようだね」
「そッスか。まぁ私には関係ないんで、これで」
シィは焦点の合っていない眼球をグリグリと動かしながら、フラフラと肩を揺らして歩き去る。その肩をアサミが掴んだ。
「やぁ。シィちゃん、だっけ? ヒロに誘われて入団したんだってね。どお、ヒロは熱烈だった?」
「あんた誰ッスか?」
「私の事はいいわ……アナタもどうせ、ヒロの誰にでも優しくする悪癖に釣られて来たんでしょ? でも残念ね、彼は教団の未来にしか興味無いのよ」
「へえ、それは、凄いッスね? じゃあ私はこれで」
シィは一瞬だけ不可解そうな顔をしたが、すぐに興味を無くして、アサミには目を合わせる事もなくフラフラと歩みを再開した。
そんな彼女を今度はヒロが呼び止めた。
「シィ。僕たちは今から食事にするつもりなんだけど、君も一緒にどうかな?」
「……あー、あぁ。飯ッスか。この施設の飯は美味いんスよねぇ……もっと早く、食べたかったくらいに」
「そうかい? それは良かった。じゃあこの後、食堂で待ち合わせしようか。先に返り血を落とした方が良いだろう?」
「血? 血は……私は気にならないッスね。これでも、元掃除屋なんで」
どこか遠くを眺めながらゆったりと喋るシィ。アサミは、その顎を掴んで強引に彼女と目を合わす。
「あんたねぇ、何にも分かってないわ。他の人が汚れたら迷惑って話をヒロはしてるのよ」
「……チッ」
──ボギッ。シィの手元で硬い物がひしゃげ折れる音がした。
「っ、ぁ? ああぁあッ!! う、腕っ! こいつ私の腕を折った!? ねぇヒロ! 折れたわ! こいつに腕を折られたの!!」
「……うるせッスよ。急に目なんか合わせてくるからッス」
「黙りなさい! このクソガキ! 適合者じゃなけりゃアンタなんか殺してやるのに!」
黄色い紋様が刻まれた腕、その自慢の腕を折られた事で怒り狂うアサミ。今にも飛び掛りそうなアサミをヒロが背後から抑え込む。
「落ち着けアサミ! シィも、こんな事はしちゃいけない!」
「……説教ッスか? それ凄くイライラするッス」
「僕たちは仲間なんだぞ! 身内でトラブルを起こすんじゃない!」
「先輩ヅラするのは止めて欲しいッスね。ヒロさんには一応、恩があるから言うこと聞いてるッスけど、この程度の事にまで首突っ込んで来られたら困るんスよ」
"この程度"などと、仲間の腕をへし折っておいてシィはぬけぬけと言う。
だが事実として元掃除屋である彼女にとって"この程度"のトラブルは日常なのだ。それこそ仲間内の喧嘩で指や腕が飛ぶくらい、これまでの生活では茶飯事であり、そこで目くじらを立てられるのは確かにお門違いであった。
それでもヒロは諦めることなく熱心に説得を続ける。
「何だって良いから、もう仲間を攻撃しないと約束してくれ! 君だって教団を追い出されたくないだろ?」
「……そりゃあ、まだ試してない融合手術が残ってるッスからね」
「そうさ! その通り! 君には大事な使命が残ってるんだ! 人類の繁栄のために、未来永劫に進歩し続ける優秀な子孫を残すために! もっと魔物と交わらなければならない!」
「はぁ、まぁ、はい。ヒロさん魔物の話になると早口でキモいッスね。あと私は人類の未来とかキョーミ無いッスから、あんま喋りかけないで欲しいッス」
シィは俯いて乱暴に言葉を吐き捨てると早足でその場を去っていく。
その背中をヒロは期待に満ちた目で、アサミは憎しみに塗れた目で、しばらく眺め続けた。
結局その日、シィが食堂に現れることは無かった。




