35 主教たち
目が痛くなるほど真っ白な空間。
天井は高く、壁は遠く、どこもかしこも白いせいで果てが分からない。そんな不気味とも言える大部屋の中央には、これまた白く塗られた石碑が立っていた。
チカチカと黄色の光を発する石碑は五つあり、その前では青髪の少女が怠そうに欠伸をしている。
石碑の一つから、ざらざらとした音質の声が聞こえる。
『あらぁ〜! シィちゃん良く来てくれたわねぇ! 元気してる? 新しい脚の調子はどう?』
「はあ、まぁ良い感じッスけど……今日はなんで私を呼んだんスか?」
左端の石碑から聞こえる女性の声に、シィはそっぽを向いて答える。すると次はその隣の石碑が声を発した。
『おい貴様! “主教”に対して何だその態度は! 信徒としての自覚は無いのか!!』
「すんません。要件はなんスか?」
『き、貴様ァ! せめてこちらを見て話せ! 最低限の礼儀も知らんのか!』
高圧的な男の声を発していた石碑は、元から酷かった音質を更に割って絶叫した。そして今度は真ん中の石碑が穏やかな声を発する。
『まぁまぁ、良いではないですか。ドヴァ殿は少々規律に厳しすぎるきらいがありますな。我々は同じ志を宿した仲間……いや家族なのですから。もっと寛容になりませんと』
『黙れ若僧が! たった二十年前に主教の座に座ったばかりの小童が口を出すな!』
『年月など些細な問題です。なにせ我々の寿命は人類を超越してるのですから』
『我が今すぐに貴様を滅ぼしても良いのだぞ!』
『出来るとお思いで?』
「えぇと……私、もう帰っても良いッスか?」
二つの石碑が勝手に言い合いを始めたのを、呆れ果てた様子で眺めるシィ。見かねて右から二番目の石碑が声を上げた。
『いやぁ、ゴメンね? コイツら暇なんだよ。ほら、僕らって主教じゃん? こういう機会でもなきゃ他人と言葉なんて交わさないからね。他の時間はずぅっと魔物と戯れてるからさ』
「そっスか。で、要件は?」
『それは私の口から話そう』
今度は右端の石碑から、低い女の声が聞こえた。
「もうどの石が喋ってるか分かんねッスよ……」
『信徒シィよ。貴様は進化教団によって幾度の手術を受けたか、覚えているか?』
「さぁ? 三十回くらいッスかね。最近は頭がぼーっとして、あんまり思い出せないッス」
『それは良い兆候だな。端的に言うが貴様は類稀な逸材だ。我々と同じく、幾多の魔物との融合にも耐えうる“根深い魂”を持っている』
右端の石碑の話を、シィは耳をほじりながらも大人しく聞いている。
喋っている内容こそ欠片も理解できず、面倒極まりないが、それでも他の石碑に比べれば話の通じる相手だと判断したのだろう。
「早めに本題をお願いするッス」
『貴様には主教になってもらう。我々と同じように、魂が崩れる瀬戸際まで魔物と交わり、交合い、合体し、癒着し、一つになるのだ』
「断るッス。あんたらみたいに何の自由もなくて、こんな石を使わないと他人と会話も出来ない身体はまっぴらッスから」
その答えが意外だったのか、石碑は少し考えるように間を置いた。
『……では聞くが、貴様の望みは何だ? 何者にも侵されない天上の肉体を求める理由は何だ? 常人であれば幾度も魂が崩れる過酷な融合手術を、数え忘れるほどに受けた原動力となるものは?』
「愛ッスね。それ以外はどうでも良いッス」
きっぱりとそう言い切るシィに、右端の石碑はついに沈黙する。代わりに左端の石碑が大声を出した。
『あらあらあら! シィちゃんったら、私と同じねぇ! 愛する人を手に入れる為に力を求める気持ち、とっても分かるわ! だからこそ安心して。確かに私はこんな不便な身体にってしまったけれど、愛する人はしっかり手に入れたのよ? これから何万年でも一緒なの! 今、声を聴かせてあげるわ!』
途端に、左端の石碑から大音量で悲痛な男の絶叫が聞こえる。それは叫びすぎたために喉は潰れ、涙も嗚咽も枯れ果てて、ただ機械的に苦痛の声を響かせるだけの"部品"となった、哀れな男の声だった。
彼はこれから未来永劫、途切れることなく叫び続けるのだろう。それを愛と呼ぶかは人それぞれだ。
「うるさっ」
『ごめんねぇ! いつもはもうちょっと大人しいのだけど、今日は皆と話すから張り切ってるみたいなの! こらっ、ダーリン暴れちゃ駄目よ!』
──ギチチチチッ。歯車で肉を挟み、ひき潰したような音が聞こえると、それっきり男の悲鳴は聞こえなくなった。
「こんなの聞かされて、私があんたらの仲間入りをすると思うんスか?」
『断ると言うのなら、それも致し方ないが……貴様、まさかこのまま生きて帰れると思っているのではあるまいな?』
「顔も見せないで偉そうな事を言うッスね。今から私に手出しできるッス?」
『知らぬのか。進化教団の支部にはそれぞれ一人の主教が根を下ろしている。今の貴様など、掌の上で潰される運命を待つだけの虫けらに過ぎぬという事だ』
白い部屋の壁面に亀裂が走る。──地の底から巨大な胎動が響いてきた。何某かの強大な生命力の塊が、部屋全体を揺らしているのだ。
シィは眉をくしゃりと歪ませて自分の両脚をグネグネと変形させる。彼女の細く白い両脚が付け根からピンク色の肉塊に変わり、何本もの触手を生やした。それはまるで下半身だけが触手の怪物に変わったような不気味な風貌だった。
『ヒューッ! なんだよ、一丁前に戦闘態勢を取るじゃないか! でもさ、ちょっと特別とはいえ、たかが信徒が主教様に勝てるとか本気で思ってる??』
右から二番目の石碑から調子の良さそうな男の声が聞こえる。──いや、彼の声は石碑からではなく、この部屋の地下から聞こえているのだ。
ここは既に彼のテリトリーだった。
『シィちゃんはもう俺の攻撃射程圏内にいるワケだけどさ、どうやって逃げるつもりかな? これ純粋な疑問ね』
「そうッスね……とりあえず一発全部ぶっ飛ばしてみるッスよ」
シィの左腕が二つに裂けるように複製され、四つ、八つと倍々に増えていく。その手はそれぞれ独立して動き、淡い光を発する指先で空中に紋様を描き始めた。
それは明らかに魔法陣であった。しかもかなり高価な術式のようだ。普通の魔術屋が習得しようとすれば、それこそ生涯収入にも匹敵する財産と、寿命を使い切るような努力を必要とする高位魔術だ。
『へぇ! 魔術かい? しかも人間が使う魔術じゃないな。さては適合した魔物が持っていたものだろ?』
「知るか。私はお前らみたいな魔物マニアじゃないんだよ」
『え、それって褒め言──』
豹変したシィに石碑が何かを言おうとするが、凄まじい爆音によってそれは掻き消される。術式が発動した魔法陣から膨大なエネルギーの奔流が溢れ出したのだ。
網膜を持つ生物ならば確実に視力に障害を残すレベルの光が部屋全体を飲み込み、瓦礫の山へと変えていく。部屋を取り囲んでいた主教の触手は軒並み消滅した。
光と砂煙が収まった頃には、もう既にシィの姿は消えていた。




