27 片道二日と
暗い、なんて表現じゃとても足らない本物の暗闇。一寸先どころか網膜に直接触れる距離ですら何も見えない。そんな気の触れそうな闇道を、俺はもう丸一日は歩いていた。
「オルステッド、俺はいつになったら帰れるんだ?」
「もう少しで御座います」
「同じセリフをもう何時間も前に聞いたぞ? 本当に居住区に辿り着くのか?」
「当然で御座います」
「……お前、本当にそこに居るのか?」
──俺の正面を歩いていたオルステッドの足音が止む。そして、強引に俺の手が前へ引かれた。
「はい。オルステッドはここです。ここにおります」
「うわ近い! 耳元で喋るな!」
耳鳴りがするくらい静かな場所なのだから、わざわざ顔を近付けて喋る意味など無いのに、オルステッドは毎回頬を擦り合わせるような距離で話す。気色が悪いんだよな。
「お前、ニナにも毎回そうしてるのか?」
「ええ、最初のうちは。しかし三度目でニナ様の堪忍袋が破裂し、私の肉体も破裂致しました。その時の有様と言ったら、周囲の床には私の破片が散らばり、血溜まりが広く薄く引き伸ばされ、辺り一面に赤々とした景色が形成されるほどです。再生には凄まじいコストと時間が掛かってしまいました……それ以来、この悪癖は封印しているつもりです」
全然封印できてないようだった。
「……俺もそんな風に再生できるのか?」
「残念ながら、イチ様がお持ちの不死性は私の物より二つほどランクが落ちます。それ故あまり大きな"死"は取り返せず、再生速度も遅緩で御座います。その分、コストは軽いでしょうが」
「コストってのは何なんだ?」
「ずばり命で御座います。それも生き生きとした、ついさっきまで脈動を続けていた他者の命……それを啜ることで虫は悦びます。呪術的な原理でストックした生命を消費して、貴方様を御守りするのです」
嫌な話だった。死にたての生き物を食うなんて凄まじく面倒で、金が掛かる行為だ。
中央居住区の金持ちは魚を生で食ったりするらしいが、貧乏人の俺が入手できるものなど、その魚に食わせる生き餌くらいだろう。その生き餌ですら、毎日腹を満たせる量を買うのは難しい。そうなると残る選択肢は一つだ。
「魔物かぁ」
「察しがお早いようで。死後、数時間以内の死体であれば何でもアリで御座います。もちろん新鮮であればあるほどグッド」
「数時間は短すぎないか? 殺してすぐ食えって言うのか」
「ご安心を。体内に取り込んだ新鮮な命はすぐに寄生虫が分解致します故、無駄に腹に溜まることも、厄介な病原菌が増えることも御座いません。いつ目の前に死体が落ちてきても消費可能です」
そういう問題じゃない。いや、確かに大量の死体が胃に溜まらないのは嬉しい事だが、大事なのはそれよりも一工程ほど前の話だ。
「魔物を、生で食うのか? 調理は?」
「ふむ。死体の解体、調理、摂食をなるだけ手早く、しかも迷宮領域のド真ん中で行うのであれば可能ですが」
「い、いける……? いや、無理か」
「はははっ! イチ様、なにも死体を完食する必要は御座いません。せいぜい片手で抱える程度の量を消費すれば、それで虫は満足致します」
何でもない事のようにオルステッドは言うが、やはり魔物の血に塗れた生肉を食うことに変わりは無い。……例えば俺が泥鼠を殺したとする、奴らはドブ底のような不潔な環境で生活しているからゴミのような臭いを発する毛皮を持つのだが、皮を剥ぐ過程では無数に湧いたシラミが肉に付着し、食欲を削ぎ落としに掛かるに違いない。
何より厄介な事実として、泥鼠の肉は忌々しいほど硬い筋繊維とブヨブヨとした不快な脂肪があり、単純にクソ不味いのだ。
泥鼠だけではない、鎧豚も、吸血鮫も、どいつもこいつも魔物は不味い。当然だ。もし美味い魔物が居たならば、それは直ぐに捕獲されて家畜になるのだから。
掃討対象になっている時点でそれに利用価値など欠片も無いのだ。
「これからは魔物ばっかり食べる事になるのか……俺、ちょっと前までは培養肉に文句言ってたくらいなのにな」
「ほう、培養肉ですか。いや確かに、あれは良くありませんな。意図的に遺伝子構造を破壊された肉が無限に増殖を繰り返し、何とも言えぬ動物性タンパク質を生成する発明……そう、言うなれば"癌細胞無限発生装置"。悪魔のような食糧生産法と言えましょう」
「それでも魔物肉よりはマシだ。一応は食用肉なんだからさ」
「慣れれば魔物も良いものです。私が実食した中で取り分け美味だったのは、"硫酸蝸牛"を魔術で焼いたものでありまして──」
──それからも俺とオルステッドは、たわいの無い雑談をしながら歩き続けた。その間、不思議と腹は減らなかった。きっと寄生虫の影響だろう。"あと少し"と何度も言いつつ、結局また一日ほど歩いて、やっとオルステッドの足が止まった。
「──到着しました。こちらです」
「暗くて何も見えないぞ」
「さぁイチ様、こちらの椅子におかけください」
「いやだから何も見えないって……椅子? 椅子って言ったのか?」
オルステッドが半ば強引に俺を"椅子"に座らせる。するとカチャリと軽い音を立てて俺の手足が拘束された。
「ん!? なんだ、これは一体どういう──」
「ご安心ください。イチ様はただ暫しの眠りにつくだけで御座います。そして貴方様は、いつの間にか東部居住区で目を覚ましている事でしょう」
「何を言ってるんだ!?」
「あぁ、ニナ様のことは私にお任せ下さい。あの方には心を落ち着ける時間が必要なだけなのです。きっとまた、元の厳しくも優しいニナ様に戻って頂けるはずです。その時はどうか、以前と同じように接して差し上げてください」
これだけの事がありながら以前と同じ関係性には戻るなんて無茶な話だ。いや、それよりも、そんな事よりも、俺はこれからどうなるのだろうか。そもそもこの椅子は何なのか。
「お、ぁ……ぁぁ」
俺は焦ってオルステッドに質問しようとするが……上手く口が回らない。いや、正しくは、思考が定まらない。
気付いた時には不快なほど強烈な眠気が俺の瞼に重く伸しかかり、脳を縛り付けていた。とても会話ができる状況じゃない。
「イチ様、そろそろ──が薄らいで──か? 私の声────でしょうから、ニナ様──あの────ついて────過去に貴方様────哀れ───────過ち─────おぉ────」
オルステッドが饒舌に何かを話し続けているが、何を言われているのか判断できない。しかし彼の性格から言って、どうせまた重要な秘密でも口走っているのだろう……むしろ俺は、この眠気に救われたのかもしれない。
根拠は無いが、彼の発している言葉を俺は理解してはいけないような気がした。




