13. お願い?
「傷心……?」
「傷心ですわ」
「君が?」
「そうです。私が」
「……」
なんの問答だ。
目の前にいるのは、自称婚約破棄によって傷心の令嬢。
どこが? どこにそんなモノがいるって?
「婚約を待ってくれってこと? それはつまり、君の心の傷が癒える迄ってこと?」
僕は、ヴィヴィのペースに流されない様になるべく冷静に聞く。
「ええ。だって婚約してから7年間も、私はジョイル様と結婚するべくその心構えでいたのですよ? それに彼は婿入りという事でしたから、私自身の身の振り方が大きく変わる事はありませんでした。これでも、私達はアリアーヌ様が登場する前までは良い関係だったと思います。彼も私を大事にしてくれましたし、私も未来の夫である彼を盛り立てていましたもの」
ヴィヴィはそう言うと、少し遠い目をした。懐かしい穏やかな昔を思い出す様な表情だ。
10歳の僕の誕生会。あの時のジョイルとヴィヴィは、確かにお似合いに見えた。ジョイルは美しく可愛らしい白薔薇の様なヴィヴィをエスコートしながら、何とも誇らしそうだったし。ヴィヴィだって儚げな視線をジョイルに向けて、それこそ花が綻ぶように微笑んでいた。
5歳の時の事など、全く忘れてしまったかのように挨拶に来たのだった。
『ヴィヴィエット嬢、随分と久し振りだね』
そう声を掛けなければ、初めまして、と言い兼ねない様な雰囲気だった。あの時、ヴィヴィは何て答えたっけ? 僕は漸く見つけた彼女が、自分の友人の婚約者になって現れた事に驚き、そして大いに失望した。地理的にも人間関係的にも随分近くにいたはずなのに、気配を消されていた上にひょっこりと手が届かない場所に現れたんだから。
『ジョイル様と婚約しました、ヴィヴィエット・レベンデールと申します。以後お見知りおきを』
優雅にカーテシーをしながら、彼女はそう言うとジョイルと微笑み合った。確かにあの時の二人は、少しのぎこちなさを感じながらも、婚約した事を喜んでいたと思う。ヴィヴィの頬は薄っすらと上気して、ジョイルに向けられる目線だって好意を持っているのが見えた。
その後、学院に入学してからは二人が校内で一緒にいることや、親しくしている様子は見ることは無かった。ハインツ曰く、
『殿下に婚約者がいない以上、幾ら婚約者だとしても、そうそう親しく接するなんて出来ません。ですから、殿下に早く婚約者を決めて頂きたいですね。そうでないと、婚約者がいる側近は気の毒ですよ?』
とか言っていたな。ハインツには婚約者はいないが、ジョイルにもレインにもいるから気を使わせているという事なんだろう。
「ヴィヴィ。君の気持ちは判らなくも無いけど、出来るだけ早く次の婚約者を決めた方が良くないか? 学院での婚約破棄は、少なくとも明後日の月曜日には皆に知れ渡る事だろうし」
金曜日の放課後の出来事に、結構な人数が生徒会室の前に溜まっていたし、噂とゴシップ好きの令嬢の顔も見えたと思う。きっとその日のうちに学院の半分に知れ渡ったかもしれない。
だから。
だから、僕があの場でヴィヴィに申し込んだんだ。
だって、そうだろう? 僕の知らない所でヴィヴィとジョエルの婚約破棄が行われたら、またヴィヴィは誰かのものになってしまうかもしれない。
ヴィヴィの父親であるレベンデール公爵の頭の中に、ヴィヴィの婚約者としての僕の存在は無さそうだ。多分、彼には5歳の時の喧嘩が原因となって、今更在り得ないことになっているんだと思う。
普通の貴族なら、そんな事は忘れて、娘推しになるだろうけどね……
とにかく、僕としては秘密裡にいつの間にか婚約破棄されるのでは無く、僕が他の婚約希望者とかを牽制できるように、僕がその場にいる事が大事。
僕が直接、ヴィヴィに婚約を申し込んだ。この公然の事実が必要なんだ。
「そこなのですわ。多分、いいえ、確実に学院中が知るところになっているでしょうね。アリアーヌ様絡みで、公爵令嬢である私と婿入り伯爵家次男のジョイル様の婚約破棄ですものね。それも、学院内では結構噂になっていたのでしょう? ジョイル様とアリアーヌ様のこと」
まるで他人事の様に言うヴィヴィに、僕は少々驚いていた。だってそうだろう? ヴィヴィはあの二人の事をちゃんと噂として聞いていたらしい。良くそれでも黙っていたな?
「ヴィヴィ? 君はアリアーヌ嬢とジョイルの事を知っていたのに、彼等には昨日言うまで何も言わなかったの? ジョイルには彼女の事を注意したりしなかったのか?」
小首を傾げて聞いているヴィヴィは、何の事を言っているのか判らないといった変な表情をしている。僕の言っていることはそんなに変か? 一般的な疑問じゃない?
「ヴィヴィ?」
もう一度名前を呼ぶ。
「……なぜ? なぜ注意する必要があるのですか?」
「だって、君の婚約者だろう? 不貞を知っていたのに注意しないなんて、考えられないだろう? 幾ら二人の意思では無かったとしても、正式に認められた婚約だったし。君の方が上位の公爵家なんだから」
ヴィヴィの目は、
『何を言っているの? このヒトは』
そんな感じに見える。イヤ、本当にそういう目で僕を見ているんだけど。
「ふーっ。確かに私はジョイル様とアリアーヌ嬢のことは知っていましたわ。
でも、アリアーヌ様の事を調べれば調べるほど、彼女の本命がジョイル様だとは思えませんでしたから。きっと近い内に彼女の狙いは、次のターゲットに移ってしまうと考えていました。
彼女の見事な所は、次から次へとターゲットを変えていても、付き合った男性から恨まれていない事ですわ」
「えっ? 前の男に恨まれていない?」
「ええ。多少拗れたことはあったみたいですけど、ほぼ円満解消しているようです。ですから、有事の時には結構助けて貰えるみたいです。今回もきっと、どなたか手助けしているのではないかしら? 凄いですわね」
感心した様な口振りだけど、どんだけ調べつくしているんだ?
「それで、君は近い内にジョイルとアリアーヌ嬢が別れると思っていたの? それで良いと思っていたの?」
改めてそう聞くと、ヴィヴィは答えずに微笑んでいる。それこそまるで慈悲深い聖女の様に……
ヴィヴィが本当のところ何を思って、何を考えているのか判らなくなった。自分の婚約者が堂々と不貞を働いているのに、何でそんなに冷静でいられるんだろう。僕だったら怒り狂うだろうし、絶対に許さないと思うけれど。
「まあ、そう言う事ですから、殿下からのお申し入れは大変感謝しておりますけど、少し時間を頂きたいのですわ。私、結構これでも傷付いているのですから」
とても傷ついた風には見えないんだけど。
ただ、何だろう。ヴィヴィの瞳が少しだけ揺らいだ様な気がした。紫色の瞳が露を含んだように潤んだみたいに。
「……判った。君からの返事は少し待つことにする」
「ありがとうございます。エレンツィード殿下」
ほっとした様に柔らかに表情を緩めたヴィヴィ。
「ああ、でも僕からのお願いも聞いて欲しいな」
「何でございましょう? 私が出来る事であれば」
「今年の僕の誕生祝いの舞踏会に、君も参加して欲しい」
社交界にデヴューした15歳から、僕の誕生会は舞踏会になった。学院に通う学生の多くや、貴族の未婚の子女が参加する一大イベントになっている。
「まあ、それで宜しいのですか? でしたら、喜んで」
よし。言質は取った。
「そう言って貰って嬉しいよ。じゃあ、楽しみにしている」
さあ、ヴィヴィの承諾は取ったから、色々と準備を進めないと。
婚約の返事は待つと言ったけど、周囲を固めることはしていく。当然だ! そのタイミングと方向をミスって攫われたんだから。
今回は間違えない。絶対にヴィヴィを離さない。
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