第8話 残業
「むー、納得いかない」
山積みにされた未処理書類を前にして、エーリスは頬を膨らませていた。
これは全部、今日冒険者たちが受けたクエストの受託申請の書類だ。
これを期限ごとに纏めたり、その際の契約金や期限を延長した場合の追加料金などが適正に払われているかを、一つ一つ確認する作業が業務としてある……のだけど、問題は全ての受託サインに『リセエンヌ・モンティーレテ』と書かれている事だ。
今日も今日とて、受付嬢の仕事はリセエンヌ一人で完結していた。
基本、この書類整理も受けた本人がやる事になっている。
つまりは、ぜーーんぶリセエンヌの仕事のはずなのに、また昼寝していたなんていう理由で、マル先輩に彼女の手伝いという残業を命じられたのだ。
「良いじゃないですか~、こんなかわいいリセエンヌちゃんと、二人っきりで居られるんですから~」
なんとも甘ったるい感じで、リセエンヌが隣の席から微笑んでくる。
「……」
エーリスは横目でチラ見してから、無言で一番上の書類を取った。
「ちょっと先輩! なにか反応してくださいよ~」
プンスカと、あざとく怒るリセエンヌ。
エーリスは革袋に入っていた金貨を数えながら、
「はいはい、反応したよー」
確認の判子を押して次の書類を取った。
「ぶー、全然違いますよ! もう、ホントに先輩はつれないんですから!」
ヘタっとリセエンヌは机に倒れ、そのまま顔を横にしてジッとエーリスを見る。
その視線に気づいてはいるが、相手をしても良い事がないので無視をするエーリス。
ただ黙々とお金を数え、契約期間を確認して、判子を押して、次の書類へと手を伸ばす。
「……先輩って、普通に仕事出来ますよね。なんか意外ですけど」
「私はリセエンヌと違ってエトランジュだからね。仕事は義務だからこそ、出来なきゃ話にならないんだよ」
「それは……私も同じですよ。いくらハーフだからって言っても、なんでも人間とは同じになりませんもん」
そう言うリセエンヌの左腕には、金の腕輪が着けられていた。
「なら、さっさと仕事をしなよ。手を動かさなきゃ終わらないんだし、明日も付き合わされるのはゴメンだからね」
「もう! ホントに先輩は! 先輩は!」
ガバっと体を起こしたリセエンヌが、駄々をこねる感じで机を叩く。
「私が弱い一面を見せたんだから、そこは優しくフォローする所じゃないですか! もう、もっと私を構ってくださいよ!」
「知らないよ。そういうのは、他の人に頼みなよ。リセエンヌが言わなくても、すぐに構ってくれるでしょ」
「そうですよ、リセエンヌちゃんは皆に愛されてますからね」
「なら、いいじゃない。それで」
「でもでも、それって私のサキュバスとしてのスキルが……」
リセエンヌの声が途中で途切れる。
まぁ、続く言葉なんて察するまでもなくわかるが。
「大変だね」
が、全てぶった斬る感じで、エーリスはそれだけ言う。
「もーーー! 先輩の馬鹿ーー!」
リセエンヌが椅子を倒す勢いで立ち上がると、エーリスに抱きついた。
「凄く邪魔」
グリグリと頭をこすりつけてくる後輩に、エーリスは一言呟くが、それでもされるがままだったりする。
暫く、エーリスが働く音だけがギルドに響く。
それから更に時間が経って、不意にエーリスが席を立った。
「ふぇ? どうしたんです? 先輩?」
リセエンヌがそれでも抱きついたまま、頬をくっつけて聞いてくる。
「終わったの。私の残業は終わり」
「え? ……」
驚いてリセエンヌがエーリスの机を見れば、山積みだった書類が綺麗に片付いていた。
「も、もしかして、先輩、帰りませんよね?」
恐る恐る聞いてくるリセエンヌは、まだ返事すらしてないのに帰さないと抱きつく力を強くしてくる。
「帰らないよ。マル先輩に言われたのはリセエンヌの手伝いだからね。でも、これ以上は働かないから、さっさと終わらせてよ」
エーリスがそう言った途端に、リセエンヌの顔がバッと輝く。
「フフ、もう、そんなに私と一緒に居たいんですか? 困った先輩ですよ~」
「もう、それで良いから、早くしてよ」
完全に冷めた視線をリセエンヌに送るが、まったく理解されてないようだった。
「はいはい、わかりましたよ。フフ、一生懸命働くリセエンヌちゃんの姿を、先輩だけの独り占めに出来ますね」
ルンルンとエーリスから離れたリセエンヌは、そんな事を言いながら書類を手に取った。
モタモタと金貨を数え、何度も期限を見直して、判子を押すのに無駄に角度を調節して、やっと一つの処理が終わった。
(……遅い。毎日やってる業務なのに、これはどうなんだ?)
思わず半眼になってしまうが、それでもリセエンヌは真面目にやってるのがわかるから、どうしたものかと悩む。
別にリセエンヌの事は嫌いではない。まぁ、ウザったいけど。それでも嫌いにならないのは、彼女の本来持っている愛嬌の所為なんだろう。
実際、エーリスに精神系のモノは何ひとつ効かないのだ。そう設定されているから。
エーリスは肩を落として重いため息を吐くと、出入り口の扉に向かって歩き出した。
「え?! 先輩、どこ行くんですか! 帰らないって言ったのに!?」
すぐさまリセエンヌが反応するが、
「遅すぎ。まだ時間が掛かりそうだから、夜食でも買ってくるよ。串焼きで良いよね」
振り返らずにエーリスは告げると、ヒラヒラと手を振って外に出た。




