第5話 仔猫
地面に足をつけた途端に、エーリスはその場にへたり込む。
「うげぇー、口の中が気持ち悪いぃぃ」
すっかり元の金髪碧眼に戻った姿で、エーリスは消えない血の味に泣きそうになっていた。
「もう、なにが自分の血を吸う吸血鬼って斬新じゃない? だよ。そもそも血なんて美味しくないし。変な設定考えんなよ、私~」
瞳に涙をいっぱいに溜めて、過去の自分に恨みをぶつけていた。
「……アクトだと知ってる俺の前でもやり続けるとは、やはりわかってるなダークネス」
トウマが近づいてきて、したり顔で一人うんうんと頷いてる。
これが演技に見えるなら、お前の目は節穴すぎるだろ!
って叫びたかったけど、舌を動かすと味が復活するから我慢した。
「…………トウマくん、水」
でも全然消えないから仕方なく……ホントに頼りたくなかったけどエーリスはトウマに向かって手を差し出した。
たっぷり十秒。
「凄いな……その覚悟、俺も見習わなければ……」
そんな事を言いながら、トウマは自分の影に手を突っ込んで水筒を取り出して手渡してくれた。
エーリスは水筒の中身を一気に呷って、口の中を濯いだ。
「ふぃー、スッキリした。流石は異世界あるある最強の一つを持つトウマくんですね」
血の味が完全に消えた嬉しさに、エーリスはダラっと地面に座って、残っている水を今度はゆっくりゴクゴク飲む。
「全部くれたつもりはないんだが。しかもお前に最強とか言われるのは嬉しくない。それは流石に傲慢ってヤツだ、ダークネス」
(面倒くさいなー、厨二病)
半眼でトウマを仰ぎ見ながら、エーリスはそんな事を考える。
「トウマくんて、私を尊敬してるんですか? それとも敵視してるんですか? イマイチ距離感がわかんないんですけど?」
「今のお前は軽蔑してるよ」
「アハハ、ホントにころころするよ」
完全に見下したトウマの視線に、エーリスはにこやかに笑ってやる。
「ふん、今は笑っているがいい。いつか必ずお前を超えてやるからな! ダークネス!」
トウマはそんな捨て台詞みたいな事を言うと、クルッと踵を返す。
「あれ、どこ行くんです?」
エーリスがその背中に声をかければ、
「どうせ俺たちじゃ魔法陣は使えないんだ。迎えが来るまで、その辺を見てくる」
トウマに言われるまで、その事に気づかなかったエーリスは間抜けな顔をしてしまう。
「あ、確かに。え? 迎えはいつ来るんですか? ちゃんと来るんですよね?! 歩いて帰るのはヤですよ!」
「夜までには来るそうだ。そう、書いてあったからな」
振り向きもしないで、トウマはクラウに渡された紙をこれ見よがしに振って見せる。
「まぁ、それを信じればだけどな。エトランジュなんて、この世界の人間からしたら、いてもいなくても困らないんだ。信用なんて出来やしない」
(拗らせてるな~)
とは思うが、エーリスも自分の左手にある銀の腕輪を見る。
これはこの世界で安全に暮らす為の印であり、望まれぬ異邦人だと示す印であった。
その隙にトウマの姿は見えなくなってしまった。
「まぁ、なんでもいいか。どうせ帰れないし、帰れたとしても記憶は穴抜けだからね」
異世界に来た原因はわからないが、世界を越えた代償はモロにあった。
一つは外見が変わった事。
エーリスやトウマはまだマシな変化だったが、運が悪いと鱗いっぱいのリザードマンとか、背中に羽が生えた鳥人とかになったりもするんだから、たちが悪い。
(それでなんで私は、自分の趣味で作ったVキャラなのかは、全然わからないけど)
もう一つは記憶がスポンジみたいにスカスカになるって事。
それも自分に関する事で、家族とか友人を忘れて、どうでもいい事だけは覚えているから、これもたちが悪い。
「まぁ、恩恵もあるにはあるけどね」
んん~、立ち上がって伸びをすると、エーリスも歩き出す。
せっかく大手を振ってダラダラ出来るなら、陰気な思考で時間を潰している暇はないのだ。
「ふぁ~、とりあえず、寝よ」
寝るのに一番必要な物と言ったら、当然ベッドである。
だからエーリスは最初に見た宿屋に戻ってみたのだが、
「ん? なにやってんだ、トウマくん?」
さっき別れたばかりのトウマだったが、まるでなにかを探してるような挙動不審にウロウロしていた。
「……いくら暇つぶしに辺りを見てるって言っても、アレじゃ不審者だよ」
トウマは呆れるエーリスの存在に気づかずに、「もっと遠くを探すか……」みたいな事を呟いてまたどっかに行ってしまった。
一瞬、後を追ってみるのも面白いかと、ダラダラする事と天秤にかけてみたが、勝負にならない傾きでダラダラが勝ったので、もうトウマの事は忘れてしまった。
そのまま宿屋に入ろうとするエーリスだったが、なぜか足は女性専用の風俗店に向かっていく。
「……うん。やっぱり気になるよね。中」
一人でうんうんと頷きながら、知らない扉を開く気分のドキドキを抱いて、エーリスは風俗店のドアに手をかけた。
「うわー、期待外れ」
想像していたようなピンクな感じではなく、なんとも普通の、それこそギルドみたいな内装に、エーリスは露骨に肩を落とす。
「そりゃ、こんなところだからさー、簡易的になるのはわかるけどさー。でも、ムードってのがあるし、必要じゃない……経験した事も記憶もないけどさ」
ブツブツと興味の梯子を外された不満を呟きながら、エーリスはそれでも中を探検していく。
建物は三階建て、一階には受付と、お客の相手をする人を呼ぶための転移魔法陣があった。
二階と三階は、する為の個室が並んでいるだけだった。
とりあえず二階の狭い廊下を歩く。
「ん? なんか聞こえる?」
ガリガリと壁を引っ掻くような音が、どこかの部屋から聞こえていた。
「……いきなりホラー展開だよ。確かに、ある意味廃ラブホみたいだけどさ」
しかもこの世界なら普通に幽霊がドアを開けたらこんにちはしてもおかしくはない。
「幽霊族なんているのか知らないけどね。どうする? ちゃんちゃんこと下駄履いた奴が出て来たら、勝てるかな?」
エーリスは音がする部屋のドアノブをゆっくり回す。
ガチャ。
そんな音が手元から聞こえてくれば、謎の怪音は逆に消える。まるでこちらの出方を窺うように、一気に静寂が場を支配した。
「ヤバい、ちょっと楽しくなってきたかも」
目をキラキラ輝かせて、一気にドアを開ける。
部屋の中を小さな黒い物体が素早く動き、ど真ん中に鎮座するダブルベッドの上に飛び乗った。
「……なんだ、猫じゃん」
音の正体はただの仔猫だ。
なんでこんな所にとは思うが、まぁ冒険者かこの店の誰かのペットなんだろう。
一気に興味が霧散して、出るのは退屈な生あくびだけだ。
開けたついでにちょうど良いからと、エーリスはそのベッドで一眠りする事にした。
仔猫が近づくなとカワイイ声で威嚇してくるが、気にしない。
エーリスはどちらかと言えば犬派である。
仔猫はエーリスが近づく度にジリジリと後ろに下がるのだけど、まるでベッドは自分の縄張りだと主張するように床には逃げず、端っこで威嚇し続ける。
「ふぁ~、あれ、結構ふかふかだ」
が、エーリスは気にせずベッドの弾力を楽しんで、あっさりと眠りに落ちた。




