第22話 二人の音
「あなたは私を照らす光」
ずっと、羨ましかった。
「桃―早く起きなさい」
「お姉ちゃん!」
「お姉」
私はそれを文字通り指を咥えて眺めていた。眺めるだけだった。
「行ってきます」
錦さんが振り返るたびにそこには。
「行ってらっしゃい」
家族がいた。すると、桃は前を向きなおした。だから、光が点滅した。
「お母さん、今何か光らなかった?」
「あら、見えなかったけど?」
「気のせいかー」
「それより、カスミ!早く朝ごはん食べなさい!」
「はーい」
「アンタも早く戻って・・・」
「分かってるよ、母さん」
空から水滴がこぼれる。
「あと、アンタたち家出るとき戸締りして傘持っていきなさいよ」
「戸締りより大事?」
「どっちも」
白い息を吐く。
「濡れると風邪ひくでしょ」
「水も滴るいい女」
弟は少し馬鹿にするように笑った。
「姉さん、風邪ひくよ」
「うっさい」
ドアを力強くよく閉める。でも、優しい。羨ましい。私は小さな金属の塊を床に押し付けた。
そして、顔をお互いに見合わせてもはっきり聞こえないくらいの微量な声で。
「行ってきます」
そう言った。
「私が羨ましかったですって?」
「ええ、そうよ。だから、もうその音はやめて」
「いやよ、私は弾く。音を弾く」
野花は両耳を抑え、首を大きく横に揺らしながら目だけがこちらを向いていた。
「私を観ている」
指が痙攣を起こすように痺れている。空もそのようだった。大きな音がした。空から床にかけて一直線に向かう雫が私と野花の間を貫通する。次第にそれは私の音とあの2人の音をかき消した。
「やっと、音が消えた。あなたを取り巻く邪悪な音」
野花はその無表情な顔からは想像できないくらい高々に声を上げ笑っている。無表情にそのタスクをこなす野花に私は気圧されながらも私は距離を詰める。野花も一歩前進する。やがて、顔がキスするのではないかと心配するくらいの距離で私は口を大きく開けた。
「錦さん。私はあなたが」
野花の言葉を遮るように私は音を鳴らした。
「ジャンジャン」
すると、野花が耳を抑えようと手を振り下ろすので。
「やめて」
全力で両手を掴んだ。
「野花」
そういえば、コイツのことを初めて名前で呼んだ気がする。
「に、しきさん」
「野花」
「も・・・」
何かを躊躇っているようだ。でも、私はお構いなしに続けた。
「野花」
野花は口をもごもごさせながら、両手を後ろに組む。
「野花、アンタに聴いてほしいの。他でもないアンタに」
そう言うと、ようやく口の動きが止む。今でも、激しい音が鳴っている。それは黒い雲で覆われ、光がチカチカと点滅している。大将くんたちの音はもう全く聴こえない。怖い。けれど、私には今。
「アンタが」
私を聴いてくれる。
「ジャンジャンジャガジャンジャーン」
「いや」
構わない。野花が嫌がっても私は音を続けた。大量の水分を含んだシャツが重りになっても。雷鳴が近くで轟いても。2人の音が聴こえなくても。構わず音を鳴らす。すると、野花も次第に首を縦に振り始めた。口を小さく開いた。何かを口ずさんでいる。周りの騒音のせいでその音をはっきりと認識することはできなかったし、確認する必要もなかった。
「大将、戻るよ」
大将は振り返らない。
「大将!」
弦にかけた指がまだ何か探るように上下に動かす。
「まだ、まだ」
鳴らしたばかり。
「まだ!」
ギターを乱暴に扱う様子は前と同じ。
「伝わった?」
でも、今は。
「伝えたい人が」
いる。
「私も」
大将の横に百合は立つ。真っ直ぐと。
「本当はあの子に」
百合の視線の先には彼女が。
「いる」
首を勢いよく縦に振る。その様子におかしくなって軽口を叩いて。
「空が晴れる」
暗黒に染まった世界に一筋の光が射しこむ。
「音が鮮明に聴こえる」
百合と顔を見合わす。どうやら百合もそう思ったらしく目を閉じて静かに頷いていた。
「野花はもう大丈夫」
大将は頷く。
「きっと、あの手紙もそうなんだ」
百合はそう言うと、A4サイズにも満たない小さな紙を取り出す。
「百合乃花より」
あなたはきっと。
「見つけたのね」
百合は紙を裏返して少し硬直した後、一枚一枚丁寧に破いていった。破いた紙を両手で抱え、ふうと息を吐いた。風で言葉の破片たちがバラバラに飛ばされていく。
「なあ、百合」
大将はその紙に何と書かれていたか尋ねようとしたが、百合の顔を見てやめた。
「花」
それがあなたの。
「野花、アンタは」
桃。
「錦さん、私のことどう思ってる?」
「どうって、それは」
野花は小刻みに体を揺らしている。
「嫌い」
野花は肩を落とす。
「だから、もっと知りたい」
「もっと、観たい」
桃は言葉を羅列した。
「私のこと?」
桃は目を逸らさずはっきり。
「うん」
頷いた。
「私・・・は」
私って何だろう?
「私」
「私は捨てられた子。だから、拾われた」
桃は私から視線を逸らさない。野花は手を前に組んでから遠くを眺めるように語り出した。




