最終話 百合乃花よりさくらんぼ
「私は生まれてから物心つくまで施設で育ったらしいの。引き取り手が見つかるまでだけれど」
そう、私に思い出も感情だってなかった。
「ただ、施設であったのは本だけだった」
施設。
「時間は六十分!よーいはじめ」
野花は紙を裏返し、墨の染みついた棒でひたすら丸を書いた。
「終了」
合図と同時に他の者たちは棒を放棄する音がした。でも、野花はまだ、A4サイズの紙に墨のついた棒で格闘をしていた。
「おい、百合乃」
「百合乃花!」
花は声かけに反応を示したが手は止めなかった。
「おい、もう試験は終わっている」
「でも」
「でもじゃない」
仕方なくそれを放棄した。ちょっとした、トラブルのせいでいつもとご飯の時間が遅い。
「いただきます」
ごはんの前に行う儀式はみんなばらばらだった。その儀式を指揮する人間が集団意識を重視しない日本には珍しい思想の持ち主だったからだ。
「ごちそうさまでした」
ゆっくりと手を合わせても誰とも揃わない。みんなといるはずなのにみんないない。これもただの独り言だった。話し相手は自分だけだったから。いつものように自分と話していると一人の大人が話しかけてきた。
「あなたが花ちゃん?」
後に私を引き取る里親となる人物だ。
「困りますよ。ちゃんと話を通してもらわないと。花ちゃんにはもっと、別の」
「里親になってあげるって言っているの。それ以外に彼女にしてあげられることがあるの?」
先生は視線を落とした。
「あなたができることは引き取りたいと言う里親に頭をペコペコ下げてお願いしていればいいの」
先生は何も言うことができなかった。
「彼女はとても優秀よ」
「あの子の代わりに」
そうか、私はこう生きるしかないんだ。
「あなたは今日から佐藤野花として生きなさい」
「私の亡くなった娘の名前に恥じぬように生きなさい」
「それから、私はその人の期待に応える毎日だった。とてもつらかった。本当は私、優秀でもなんでもなかったから。捨てられないように」
「必死に生きるしかなかった」
桃は目を合わせる。
「そうなの?」
小さく頷く。
「さっき、テストで終わりの合図があってもペンを置かなかったって言ったでしょ?」
「そうね」
「あれはね、私本当はね」
それから、私たちは言葉を交わし合った。お互いの音を。
「百合はね、私の・・・」
そして、五年という歳月が経過した。
「お父さん」
「大将・・・」
「オレギタリストとしてそれなりに食っていけるようになったんだ」
「だから・・・」
「大将、お前は一生”あの音“から・・・」
唾を飲み込む。
「はいはい、お父さん。本当に言いたいことはそれじゃないでしょう?」
目を細める。
「ああ・・・」
「その・・・大将・・・な・・・」
「お父さん?」
「これ・・・」
「ギターのピック?」
「ああ・・・・その・・・」
「くれるの?」
「あ・・・」
「こら、お父さん!」
溜息。
「ああ。大将・・・オレもまた始めようと思ったんだ」
「そう・・・」
「お」
大将と父親の言葉が重なる。
「なんだ?大将」
「いや、親父こそ」
「いや、別に」
「オレも別に」
沈黙。でも、心地良い沈黙だった。
「じゃあ、またね」
「おう!・・・大将」
これは、気が抜けないな。ある約束を交わしてその場を後にした。
外を歩く。
いつもより景色が鮮明に映る。
「あら?」
揺れる髪。
「ゲッ」
白い花。
「ゲッとは失礼な」
百合。
「私、これから挨拶にむ・・・」
「じゃあ、また」
「お待ちなさい」
「なに?」
「こほん」
咳で息を整える。
「わたくし、先日からお付き合いさせていただいた方と晴れて婚約させていただくことになりましたの」
「へえ、よかったじゃん。って先日!」
「ええ、彼はとても優しい方で」
まさか、雄二!
鼻をすする雄二。
「まさか、雄二と」
百合は顎で手をさする。
「まあ、これでお母さんも安心だね」
「それが・・・」
「母は納得していないのですよ」
「この子が今後、百合の人生を支えていこうという人?」
「ええ、そうなんですの」
「ふーん」
目に光がない。
「じゃあ、これだけ」
「うん」
「ギターだけはやらないでね」
「まだ、お母さんお父さんのこと引きずっているんだ」
「愛も変わらずでしたわ」
笑み。
しかし、あのCHERRYという曲に残された“百合乃花”よりという宛名が気になりますが・・・
というかあの曲、本当は・・・
「百合も相、変わらずに」
「何です!」
「別に」
「もう・・・」
間。
「あなたはどうです?」
「オレは・・・」
背後。
「ちょっと、大将行くわよ」
「う、うん」
にやりと笑う。
「なるほどなるほど」
手を後頭部に置く。
「いやーそれほどでもー」
「まだ、何も言っていませんわ」
「え?」
「勘違いしているならごめんだけど、私と大将はそういう関係じゃない」
「そうですか」
着信。
「あら、ごめんあそばせ。フィアンセからの着信ですわ」
なんだ、コイツ。
「では、また」
「はいはい」
息を吐く。
「アンタ、もっとギタリストとしての自覚を持ちなさい」
「わ、分かっているよ」
「分かってないから言っているの!」
私と大将はギタリストとして大成した。私たちを・・・
「カップルギタリストの誕生だ!」
恋人と揶揄する人もいるけれど。
「私は大将とそういう関係じゃねえ!私らは音で繋がっているだけや!」
いつもライブでは取り乱してしまうのが私の悪い癖だ。五年経っても私は未熟のまま。
「じゃあ!みんなー!行くよ!」
私はただギターをみる。何が起きても・・・
音が外れる。
「おいおい、どうした?」
ハマらない。
「いい音が鳴らせない」
「充分、いい音だと思うけど?だから、お客さんも」
「そうじゃないのよ」
やりたいことはできているはず。なのに・・・
「じゃあ、明日のライブ」
「うん」
道を歩く。
少しだけ上の空だ。
「ただいま~」
私はいまだに実家暮らしである。だって、機材の費用とか諸々でお金に余裕がないんだもん!
そう一人で言い訳していたとき・・・
妙に聴き覚えのある音がする。
「誰?」
ドアを開く。
「ただいま。お姉、今日帰り早かったね」
「ああ、うん」
弟は実家を出て、一人暮らしをしていたはず・・・
「どうして・・・」
「あ!もう来ていたんだ」
私の前を歩く。
「ねえ、もう・・・」
足早に。
「お父さんたち、もうすぐ帰ってくるって」
「お父さん?」
弟がドアを開ける。
その先には一人の人間がいた。その人間は視線を向けるとこちらに気づいたようで軽く会釈した。私の顔を観て少しだけ口角
を上げたようにも見えた。
音。
不安そうなでも、どこか嬉しそうなそんな音。
「そう」
笑う。
「カタッ」
ギターを手に取る。
指が弦に触れる。
観る。
鳴らす。
大きく笑う。
ト書き。
CHERRY
私はずっと、あなたを観ていました。ギターを弾くあなた。百合と口論するあなた。大将くんと下世話な話をするあなた。かわいい妹さんと姉想いの弟くんとお話するあなた。これはあなたを想って作り上げた曲です。二人で一つのさくらんぼ。
百合乃花より
「そして、これはあなたたちに向けられた曲」
「ねえ、花はさ」
視線が揃う。
「引き取ってくれたお母さんとどうしていくつもり?」
「それは」
花は言葉に詰まっている。
「私は・・・」
花は視線を落とす。
「ねえ、花」
もう一度、観る。
「次はもっとかわいく撮ってよ」
少しだけ動きが鈍い。
「私の音をかき鳴らすさまをさ」
小さく頷く。
「じゃあ、いくよ」
私はいつものようにシャッターを切る。




