第21話 理解
「私は錦さんの音に惹かれたわけじゃない」
「私はあなた自身に惹かれた」
「私自身?」
野花がポケットの中に手を入れる。
「これ、覚えてる?」
「そ、それは」
「そう、あなたが私に初めて触れてくれた大切なもの」
光が反射する。
罪の形。
「野花って本当に何でもできるよねー」
あの時まで私は何をしても生きた心地がしなかった。
家でさえも。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
彼女は私が手に持っている紙きれを物欲しそうに眺めている。
「あ、これ」
私は躊躇することなくそれを手渡した。
「あら、またテストで満点ね」
彼女はどこか誇らしげに見えた。
「やっぱり、あなたを引き取って正解ね」
彼女はどこを見ているのだろうか。分からないので黙って頷いた。
「うん、ありがとう」
逸らす。
「学校でもそうだった」
「また、野花学年1位」
「すごいなー野花は」
まるで、ダンボールの中にいる子猫のような気分。私は箱の猫。
「ねえ、野花は私たちの班に来ない?」
「えー。私たちの」
「いや、ここはオレたちの班へ!」
「この変態!」
私を取り囲むのは壁ではなく人だった。
「私は一人でいい」
百合の花でも構わない。
目を閉じて必死に思い出す。私を観てくれる人。
「・・・花、お前は誰かを」
前の飼い主はもういないから。
音は聴こえない。だったら、試してみたい。今、それを探すしかない。私は音を鳴らした。
初めて音を鳴らした。私の声を。
「もうー私、リコーダー吹けないよー」
「え、野花ちゃん」
「野花ってリコーダー吹けないの?」
人の弱さ。私の弱さ。
「えっと、私もリコーダー吹けないんだよね」
「アンタは何にもできないじゃん」
「アンタは野花と違って何にもできないんだから・・・」
このノイズをかき消したい。もう一度。
「そうだ」
普通に吹く。
視線が集まる。
「ギャップでかわー」
「野花ちゃんが!」
小さくため息をつく。私の弱さは求められていない。私が求めていない。
「野花ちゃん、私もリコーダー吹けないから一緒に」
「はあ?何言ってんの?アンタと野花が一緒に練習するわけないでしょ。ねえ、野花?」
くだらない。
「あ、うん」
顔は観ない。もう、誰の顔も観てやらない。
肩肘をつく。
「野花、今日みんなでカフェ行こ。カフェ」
周りを見渡す。
「えー」
逃れたかった。現実から目を逸らしたって何も変わらないのに。そうだ、もう一度リコーダーで。次はもっと、下手に。嫌悪するくらい下手に。
「ねえ、錦さんはどう思う?」
「わ、私は」
そこで、ある視線に気がついた。その視線に目を向けるため大げさに上半身を起こした。
「わ、私ギター置いてくるね」
その子は私を観ていた。その日から、彼女の視線に興味をもった。
「ねえ、野花は今日どうする?」
視線。
「ええ、私はね」
笑う。
「リコーダーの練習」
来る日も来る日も。
「野花―」
「今日は用事があるから」
「そっか」
不思議と体がいつもより軽かった。朝起きて、食べて、学校に行って、帰ってきて、勉強して。そんな退屈な行為の繰り返しがその視線一つで一変した。
「今日も夜ご飯はうちで食べていくわよね?」
「野花」
「野花!」
「ああ、うん」
その視線が気になってしょうがなかった。あの子は何を想い、何をするために私を観ていたのだろう。そのせいでいつもはきっかり六時に起きるのに今日は七時に起きてしまった。こんなに眠れたのはこれが初めてだった。
「行ってきます」
軽い足取りで学校へ向かう。そして、ある約束を忘れていることに気づかなかったが野花にとってはもうどうでもよかった。
「遅いわね」
百合は腕時計を見つめる。
「もう、とっくに家を出ている時間だというのに」
一緒に学校へ行く。そんな約束をなんの制約もなしに果たしていたことがそもそもおかしかったのか。百合はその日、ずっと野花を待ち続けた。
野花はそうとも知らず、すでに教室へ到着していた。ドアに手をかける。ドアにかけた指が震えている。
「次はどんな目を向けてくれるのだろう」
ドアを強く開けた。
「佐藤さん、おはよう」
「の、野花ちゃん!おはよう」
視線が集まる。でも、違う。この視線は私に対して行う視線ではなく佐藤野花という生徒を見る視線である。役を見る視線。これじゃないの。
「おはよう」
窓際の後ろから二番目。そこに視線を向けるとその子はすぐに目を逸らし、顔を伏せた。私は少し笑った。
「では、授業が終わったら教室の掃除な」
「はーい」
「野花―」
「帰ろ帰ろー」
「私、靴履くの時間かかるから先に門のところで待ってて」
「全然、下駄箱のとこで待つよ」
「あんまり、自分が靴を履くところ見られるの得意じゃないから」
彼女はいかにも?顔をしていたがあまり、気にならなかった。
「今日は気合の入れた靴履いてきちゃった」
光。
「気のせいかな?」
野花は靴を丁寧に床に置く。
「あれ?靴の中に何か」
また光。
「まさか」
口元を隠しながら靴を履いてみる。すると、足の裏に電撃が走った。
「赤い」
視線を感じた。興味のある。それに気づいて、手が震え口元を隠しきれない。ダメ、この顔は観られちゃダメ。
「あなたが私に初めて触れてくれた。初めて、私を観てくれた。私、ゆりのはなを」
桃の顔がどんどん青く変色していく。
「でも、確信を持てなかった。そんなことで人を好きになるなんて。きっと、普通じゃないから」
口元を抑える。今にも吐きそうだった。
「だから、あなたと付き合えば違う答えになると思った。だけど、付き合うことはできなかった。だから、余計に興味が溢れてきて」
首を横に大きく振る。
「あなたに拒絶されて」
観られることで初めて私自身を理解できた気がするの。
「だから、私もギターを始めたんだ。これはきっと普通の感情じゃないから。錦さんがかつてそうしたように私もギターをやれば私だけじゃなくあなたのことも理解できるんじゃないかって」
「それ・・・」
「でも、やってみて思ったの。ああ、どうしてこんな物にあなたの視線を向けるのかって・・・」
目を逸らす。
「でも、これには感謝している。あなたのことがたくさん知れたから」
息が荒い。
「やっぱり、あなたしか私をゆりのはなにしてくれる人はいないってそう確信できた」
違う。ゆりのはなだけは。
「普通じゃないことの恐怖。だから、これも本当は捨てたかった。けれど、捨てられなかった」
強く握りしめる。
「そうだよね」
桃。
「私がいけなかったんだ」
特別にはなれなかった。なろうとすればするほど遠のいていく。初めから分かっていた。だから、観るしかなかった。
「だから、特別に触れるしかなかった」
「ねえ」
首を三十度曲げる。
「佐藤錦って知ってる?」
「何、それ?」
「さくらんぼの品種の中で王様って呼ばれるくらい有名な品種でね」
「何が言いたいわけ?」
覗き込む。
「私たち二人なら王様にだってなれると思わない?」
「王様って?」
「うーん。まあ、錦さんの言う特別?」
手が止まる。
「なんじゃない?」
「ねえ、さ・・・野花・・・」
「なあに?」
「私はあなたがいれば特別になれるの?」
不敵に笑う野花。
「なれるよ。なんだってなれる」
「私たち二人なら」
「じゃあ、もう」
百合の花になるしか。もうそれしか。そんなとき、ある音が私たちの世界に侵入した。
音。
空間を切り裂く。
音。
「この音って」
野花は表情を変える。。
「錦さんに」
大将と。
「野花」
百合・・・
「あと、もう少しなのに」
あと少しで私は。
「“あの音”は何かに縋った者にしか弾けない」
「それでも、弾いてみたい。そして、その音を誰かに」
初めて指を弦に乗せる。
「これが」
ギター。
音をかき鳴らす。
“あの音”は鳴らない。
それでも。
「音は鳴る」
声高らかに叫ぶ。
「あら?こんな音で満足を?」
「くそ」
大将は悔しそうに唇を噛む。
思い通りには鳴らない。
「おうー大将―」
ギターだけに向けられた視線を前方に向ける。
「お前・・・」
音が歪む。
「あれ?」
百合の音が乱れる。
「まさか」
あいつのこと。
音。
「なら」
音が強くなる。指の第一関節をしっかり曲げ、指を立てて弦の直上から押さえる。滑らかに正確にコードをなぞる。
「生意気」
深呼吸。
「負けない」
CDに残った。
「ゆりのはなより」
CHERRY。
この曲は誰に向けられたものなのか。
「まさか」
錦桃。私は、誰のために。
「君のギターは特別なんだ」
そう、私は特別。
「私は特別」
「違うよ、錦さん」
「ギターを弾ける私は特別」
「ギターがなければあなたは」
「あなたが観てくれるから」
特別になりたかった。
「私はギターを」
ギターに打ち込めば特別になれた。
「違う、錦さん。あなたはギターなんか弾いちゃダメなの」
たとえ、ギターを弾けてもそれは特別な私じゃない。
「こんな私でも」
「錦さん」
ギターを特別になるための道具にしてはいけない。
「特別だって、言ってくれてうれしかった」
見つめる。
「唯一、私を観てくれたあなたに送る」
「やめて」
「私も音を」
ギターを観るあなたは嫌い。私だけを観てほしかった。
「だから、同じギターで奪ってやるんだ」
指を弦に乗せる。
「あれ?」
動かない。
「どうして」
手が変色する。
「あと少しだったのに」
大将・・・お前。
やっと、ギターを弾くように。だけど・・・
「音が」
ここに錦さんがいないからか。
「音は聴こえなければ意味をなさない」
まだ、お前は。錦桃に。
音の歪み。
何をしているの!私はもう先に・
弦が遠い。
「切れた」
呼吸が荒くなる。
「音を出さないと」
どうしよう。
「大将はまだ、音に迷いがある。だから・・・」
「音が止まる。どうして、くそ」
客席を見る。
あいつは目を閉じている。
音だけを聴いている。
「誰の音を」
いや、音じゃない。
想いを。
「聴いている」
そうだ。
弱い。
でも、確かに音の色が変わった。
桃へ。
弦を押さえる指が震える。
「あと少し」
なのに。
「大将君たち」
私を観て。
「やっと、錦さんを好きな理由が分かったのに・・・」
野花に向けて。
弾く。
「それは私の作った」
CHERRY。




