第13話 悪人
オレの一言が彼女のアイデンティティを奪ってしまったのだ。
「マジか」
「ああ」
「錦さんがギターをねー」
椅子を強く引く。
「お前はどうなんだ?」
「何が?」
「結局、ギターを弾かない錦さんのことは好きなのか?」
手が止まる。
「分からない」
「・・・・」
「そうか・・・」
「ギターを弾かない君は魅力的ではない・・・か」
「どうして、錦さんは・・・」
「弾く者にしか分からない」
「弾く者にしか?」
「錦桃はギターに対して何かしらの想いがあったはず」
「それが、分からない」
「だから、弾く者にしか分からない」
「そんな・・・」
片隅。
「私にギターを教えて下さらない?」
最上百合。
「なぜ、ギターを?」
「なぜって・・・ギターは・・・弾く者にしか分からないのでしょう?」
呆気に取られる。
「前に言っていたでしょ?あなた」
唇を力いっぱい噛む。
「君は・・・それでいいのか?」
小さく笑う。
「いやよ」
瞬き。
「ギターは低俗なもの・・・それでも・・・」
強い瞳。
「みんな楽しそうに弾くんだ。それに、聴く人もみんな何かに魅入られている。野花も・・・きっと、父もそうなんだ」
「オレは・・・」
「自分で出した答えに従う。それって案外、難しい」
薄暗い。
「お母様、わたくし・・・」
「百合~私はあなたといられて、本当に幸福だわ」
母は私に依存している。こうなったのも全て、父のせい。私と母を捨て、ギターを選んだ父の・・・
「ねえ、お母様。私のおとう・・・」
「今日は百合の好きなお菓子いっぱい買ってきたから」
母は父親について一切、話さなかった。私が今まで、詮索してこなかったから。でも、母が言わないのならそれでもいいと半分諦めていたのかもしれない。いつだって、母は私を想って行動しているのが分かっていたから。父について知らないことが私にとっては良いことだと母は思ったに違いない。
「お母様、先にお風呂に入ってきてください」
「そう・・・分かったわ、百合」
母がお風呂に行ったところを見届ける。
「ス―」と戸間を開ける。この戸間の先には・・・
「まるで、誰かを呪う儀式を行う祭壇ね」
父の顔写真と白い花が備え付けられている。
「そんなに、こっちを見ないでよ」
父は被写体越しから私を見ている。とても幸せそうにこちらを見つめている。
「百合―」
「お母様!」
「百合、私のそばにいてくれてありがとね」
どうにか、バレずに済んだ。
「お母様」
「なあーに、百合」
「その花って」
「お花?」
「百合の花でしょうか?」
母の表情が強張る。
「何でその名前を知っているの?」
「な、名前?」
「どうして?」
「いえ、その・・・」
思わず目を逸らしてしまった。
奥には埃の被ったギターが「ぽつん」と立てかけられている。このギターと父の表情を見て私は父がギタリストだと確信した。
「あの人は壊された」
だから、彼はギタリストなんだって・・・そう確信した。
いつも、切り出せずにいた。父のことが気になってしょうがないくせに母を問い詰めることができなかった。私にはその権利があるはずなのに。母が私に献身的に振る舞う姿の前ではとても父のことなど・・・聴けるはずもなかった。
「百合はどうしたい?」
それもまた、私を想っての行動なのだから。
「百合は・・・」
「百合は!」
分かっていながら、私はこうして部屋に入り中を物色する。私は母の血より父の血の方が濃いのだ。あふれ出る好奇心を必死に抑える。でも、父はどうして私と母を捨てたのか?彼が追いかけギターとは?知りたい。知りたい。
「百合―」
また、これか。
「上がったわよー」
「ス―」と戸間を閉める。
「お母様」
「百合―」
彼女は私を抱きしめる。
「私、百合のためならなんだってできる」
私は母を理解することができない。こんなにも私に尽くしてくれているというのに・・・
私は本当に親不孝だわ。それでも、母を突き放せない自分に腹が立つ。私は一体、何がしたいのか?父を追いかけたい。母と一緒にいたい。私は一体・・・
「あなたって、本当につまらない」
野花に言われたこと。あの時、私は・・・
「絶対、アイツ野花ちゃんのことが好きだよね」
「ねえ、野花ちゃん・・・私はアイツのことが・・・」
「ごめん、何でもない」
あのとき、私はこう言おうとしたんだ。
「私はアイツのことが好きだから、どんなアプローチをされても絶対に受け入れないでね。
だって私たち、親友でしょ?」
私は親友に対して、脅迫めいたことをしようとした。「私の好きな人がどうやら、あなたを好きなようです。なので、身を引いてください。私たちは親友なので、快く受け入れてくれますよね?」と・・・でも、私は自制した。ただ単に言う勇気がなかった。そんな、私に彼女は・・・
「あなたって、ほんとつまらない」
見放した。多分、彼女は承諾しただろう。私が本心を打ち明ければ・・・どんな醜い私でも彼女は受け入れていたはずだ。
なのに、私は本心をひた隠しにした。それは、何も善意によるものでない。悪意に満ちた善行だった。その行為に彼女は幻滅し、私の元から去ったのだ。
「まだ、私は人間じゃない」
私は母のことが理解できなかった。どうして、母は私に尽くすのだろう?自分の娘だからという理由でそこまで尽くしてくれるのか?我が子のためにそこまでする母を私は理解できなかった。
自分本位に生きた父の方がよっぽど理解できるというものだ。父同様に私を捨てれば、もっと楽に生きられたんじゃないのか?
彼女1人なら・・・もっと、美しく生きられたはずなのに。
きれいな彼女を汚したのは私だ。私さえいなければ・・・
「いなくなれば」
私が死ねば彼女は解放されるのか?私が死ぬことで彼女の人生がより豊かになるのならば・・・
「でも、一つだけ心残りがあるんだ」
「百合?」
「弾いた者にしか分からない」
ギターは私の特別な人たちを魅了した。野花も・・・私の・・・母も
「あれ?どうして、お母様は・・・ギタリストの父に惹かれたのだろう?」
今まで私は、母が父を好きになった理由を考えたことがなかった。でも、そうだよな・・・
このような善人ですら、ろくでもない父に惹かれたのだ。ギターを弾く父に・・・
なぜ、私が今まで父を追いかけたい、ギターを弾きたいという気持ちを抑えてきたか?それは母の献身に答えたい、母を裏切れない気持ちがあったから。私は父の娘であると同時に母の娘だ。好奇心旺盛で自分勝手な父と献身的で優しい母の子供である私は上手く生きられない。心に邪心を抱えながら、善良に生きていく。母の献身的な姿勢をいつも見ていた私は父のようにはなれなかった。中途半端に生きる私に野花は嫌気が差したのだ。どちらの選択もできない、哀れな私。私の心は「父を追いかける」
でも、あれだけ献身的に支えてきてくれた母を裏切ることになる。母は私にギターをやってほしくない。裏切った父と同じ道に
進ませることを許しはしない。きっと、私も母に依存している。母と離れたくないという気持ち。それは、確かに私のなかにあるものだ。
「百合~明日は遅くなるから、ご飯作って冷蔵庫に入れとくね」
それも、私が死ねば解決するような単純な話ではない。確かに私は苦しみから解放されるかもしれない。けれど、母はどうだ?本当に私が死んだら母は解放されるのか?違う。きっと、彼女は私の分まで苦しむのだ。どこまでも心の綺麗な彼女。彼女にとって、この世界は汚すぎる。でも、そんな世界を恨んでいる暇なんてない。この世界に生まれた私は彼女に何をしてやれる?
死なんかじゃ・・・ダメだ。死は救済ではない。
「お母様・・・」
また、私は選択できないのか?人間なら・・・
よく、人間を善人と悪人に分ける風潮がある。もし、人間が善人と悪人の2種類しかいないとしたら自分勝手に家族を捨て、ギターをした父は悪人。娘のために頑張る母は善人になるだろう。私は?私の心は悪で満ちているけど、身体的には善だと言えるだろうか。悪に走る勇気がなかった私は善にも悪にもなれない。そんな私は・・・
「人間じゃない」
「ねえ、どうしてお母さんはそんなにも綺麗なの?」
私の記憶の中で誰かが話す。
「アンタもギターを弾けばいい」
お前は・・・
「私、あなたのことが嫌いなんだ」
錦桃・・・
どうして、こんな時にアナタを思い出すのか?
昔からアイツのことが嫌いだった。なんの個性も特技もないアナタがギターと出会い、私の親友の目を引いた。私のやりたかったギター自由に弾くアナタ。野花の視線をくぎ付けにするアナタ。そんなあなたに私は嫉妬した。なぜ、アナタみたいな人が・・・
そういえば、彼女はどうしてギターを弾くのだろうか?私には分からない。父のことも母のことも野花のことも・・・錦桃のことも・・・・私は分からないことばかりだ。
浴槽から出る音がする。急いで戸間から出なければ。
「ス―」と戸間を閉めようとすると誰かの視線を感じ取る。
「お父さん」
父は笑顔でこちらを見つめている。被写体越しでも分かるくらいに口角を上げているのが分かる。ニタニタとこちらを見つめる彼はまるで、私の動向を楽しんでいるようにも思える。何がそんなに面白い?何がそんなに・・・
「カタカタ」と戸間を抑える手が震える。
「百合―」
母はすぐ、そこにいる。
「弾く者にしかわからない」
震えが止まる。
「百合の大好きなさくらんぼのお菓子をいっぱい」
私は・・・
アナタも私と同じなのか?錦桃。何者かになりたい。人間になりたい。
もし、この世界に善人と悪人しかいないのなら・・・私は・・・
「百合―」
手に取る。
「ゆ・・・り?」
鳴らす。
「お母様・・・」
このとき、私は初めて親に反抗した。




