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今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


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番外編・敬愛するあの方の話②(クラウス視点)

 エドガーは、クラウスの剣を受け流し、踏み込みの軌道を変えた。

 本来ならば反撃に転じられるはずの絶好の間合いを捨て、崩れた騎士の側へと滑り込んだ。


 金属が弾く乾いた音が響いた。

 若い騎士が振り下ろした剣筋が、わずかに逸らされる。

 致命となるはずの一撃は空を切り、崩れていた相手の騎士は辛うじて体勢を立て直した。

 それはあまりにも自然な動きだった。


 そしてそのまま、エドガーは何事もなかったかのように、再びクラウスへ向き直った。

 その流れる様な一連の動きに、クラウスの口から思わず感嘆のため息がついて出た。


「…… ありがとうございました。彼に変わり、お礼申し上げます。悔しいですが、私では間に合いませんでした」


 エドガーが、視線はクラウスから外すことなく、淡々とした口調で言った。


「模擬戦で、致命傷を負わせるべきではないからな。……だが、これがもし戦場であれば、あの者はあそこで死んでいた」


 静かな落ち着いた声で、事実を述べる。

 その声に、感情の揺れは、全く感じられ無かった。


「ああいう失敗は、命で支払うことになる。だが、この国に生きる以上、命を無駄にすることは誰であれ、許されない。後であの者に伝えてやれ」


 低く抑えられた声だった。

 それでいて、不思議なほどに重く、言葉はそのまま胸の奥へと沈んでくる。


 エドガーのその言葉に、クラウスは一瞬、耳を疑った。


 騎士とは、王を守り、戦場で散るものだと、そう信じてきた。

 だが彼は、命を無駄にすることは許されないと言った。


 直接、「生かせ」と命じられたわけではない。

 けれど、先程の一連の動きと、今の言葉が、それを雄弁に物語っていた。


 死と隣り合わせの戦場で、王を守り、さらに部下の命も、自らの命までも、全てを守り生かせと、言外に示された気がした。


 それはとても困難で、けれど、何より尊いものに思えた。


 クラウスは、短く息を吐く。

 目の前のこの方は、ただ強いだけではない。

 その剣も、判断も、全てが一つの方向を向いている。

 何を優先すべきかを、迷いなく選び取れる人だ。


(……人の上に、立つ者だ)


 剣を引き、再び構えを取り直す。

 先ほどとは違う緊張が、静かに身体に満ちていく。

 ただ勝負に勝つためではない。

 この方の剣を、思考を、少しでも掴み取りたい。

 その思いが、自然と踏み込みを速めていた。

 その後の立ち合いは、さらに鋭さを増した。

 打ち込みは深くなり、間合いはより詰まり、互いの呼吸すら読み合う。

 一瞬の判断が、そのまま結果に直結する密度。

 だが、最後まで、決定的な一打は生まれなかった。

 やがて、どちらともなく剣を引く。


 わずかな静寂の後、周囲からどよめきと感嘆が上がった。

 けれど、クラウスはそれを意識する余裕はなかった。

 ただ、目の前の男を見ていた。

 彼は、まるで今の攻防がほんの肩慣らしであったかのように、息一つ乱さず、姿勢も崩さずに立っていた。

 訓練が一区切りついた後、エドガーは静かにクラウスへ歩み寄った。


「最後の攻めは見事だった」


 穏やかな声音だった。


「……恐れ入ります」


 自然と背筋が伸びる。


「貴殿の攻めは鋭い」


 一度、そこで言葉を切る。


「ただ、一点。その代償として、視野が狭くなりがちなところが見受けられる」


 核心を突かれたその言葉に、反論の余地はなかった。

 思い返せばこれまでも、攻めに意識が向いた瞬間に視野が狭くなり、周囲への注意が疎かになることがしばしばあった。


 エドガーが淡々とした声で続ける。


「人の上に立つ者は、常に周りを見て守れる者であらねばならない」


 そこで一拍言葉を止めて、続いた言葉は、クラウスが予想していたものとは違っていた。


「貴殿ならば、それが出来るはずだ」


 エドガーが、一転して声音が柔らかくなった声で、激励の言葉を紡いだ。


 クラウスは、しばし言葉を失った。


(ただ強いだけの者なら、いくらでもいる。だが、この方は違う。……この方は、真に上に立つ方だ)


 胸の奥で、静かに何かが定まる。


 確かな剣の腕、状況判断の早さ、そして何より、周りの者をよく見て動き、守るべきものを見誤らない。

 それら全てが、あまりにも自然に備わっている。


「……貴重なお言葉、感謝いたします」


 深く頭を下げた。

 その動作の中には、揺るぎない敬意が滲んでいた。


 顔を上げた時には、すでに確信していた。


(……この方は、別格だ)


 エドガーが訓練場を後にした後も、その印象は長く残り続けた。


 そしてクラウスは、彼の信頼に足る騎士でありたいと、心からそう思った。



 それからしばらくして、フィオナ姫を介し、ヴァルモンド家へセシリアへの縁談の打診があった。

 相手の名前は、エドガー・アルヴェイン公爵だった。


 その報を聞いた時、クラウスの胸中に浮かんだのは、驚きよりも、嬉しさだった。

 あの方に選ばれたセシリアに、誇らしさすら覚えた。


 けれど、やはりというべきか、セシリアはそれを頑なに、断ろうとしていた。


 父が言葉を重ねても、首を横に振るばかりで、揺らぐ様子がない。


 昔からそうだ。

 一度こうと決めたら、簡単には譲らない。

 それが良さでもあり、厄介なところでもある。


 クラウスは腕を組み、妹を見やる。

 あの瞳だ。

 幼い頃から見てきた、決して折れない光。

 簡単には引かないことは見て取れた。


 けれど、今回ばかりは引かせるべきだと、そう思った。


 あの方を知っていれば、断るという選択肢は出てこないはずだ。


 セシリアは、知らないから拒むのだ。

 ならば、伝えればいい。

 難しいことではない。ただ、思ったことをそのまま言えばいいだけなのだから。


 規律を重んじる騎士でもなく、厳格な兄でもなく、ただクラウス・ヴァルモンドとして、敬愛するあの方の話をするだけだ。


 そう結論づけ、クラウスは口を開いた。


「セシリアは、エドガー様の凄さを知らないから断れるんだよ」





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