三十二話 終焉の先に①
静まり返った空間の中で、彼の姿だけがやけに鮮明に映る。
その表情は、見たこともないほど苦しげで、それでも目を逸らすことなく、まっすぐにセシリアを見つめていた。
その視線に、胸の奥が激しく軋んだ。
エドガーは引き剥がすように視線を外すと、それを鋭いものに変え、ヴィクトリアの方へ向き直る。
そして、張り詰めた空気を断ち切るように、低く抑えた声を響かせた。
「……この女を確保しろ。セシリアに対し、呪いを行使した」
その一言で、控えていた騎士たちが一斉に動く。
床に崩れ落ちたままのヴィクトリアへと素早く駆け寄り、その身を拘束した。
ヴィクトリアは抵抗することもできず、ただ虚ろな瞳のまま引き立てられていく。
その姿は静かにこの場から連れ去られていった。
再び訪れた静寂の中、残されたのはセシリアとエドガー、ただ二人だけだった。
「全て、見られてしまったのですね……」
悲しげにそう言ったセシリアに、エドガーが静かに応じる。
「たとえお前に来るなと言われても、放っておける訳がないだろう」
その整った眉が、くしゃりと歪んだ。
「私は一度、……お前を失っているんだぞ……」
悲痛な声音で絞り出されたその言葉に、セシリアは涙が溢れそうになり、それをぐっと堪える。
「ごめんなさい……」
ほんの少し目を伏せて、そして再び顔を上げる。
悲しげでありながら、どこか覚悟を決めたような眼差しで、彼を見つめた。
「だけど、あなただけは巻き込みたくなかった。……それに、知られたくなかったんです」
(私の中にある、一番、醜い部分。……この人にだけは、絶対に知られたく無かった)
静かな声だった。
けれどその奥には、抑えきれない感情が滲んでいる。
「……こんな私に、幻滅しましたか?」
問いかける声は、わずかに震えていた。
拒絶されることへの恐れではない。
ただ彼の中で、自分がどう映るのか、それを知ることが、怖かった。
「そんなわけないだろう」
そんなセシリアに、エドガーは一切の迷いもなく答えた。
きっぱりとしたその声音に、セシリアは思わず瞬きをする。
セシリアの視線を受けたエドガーは、少しだけ視線を逸らし、ばつが悪そうに眉を寄せた。
「……むしろ、言わなければならないのは、私の方かもしれない」
ぽつりと、零すように言う。
「……私も、お前に話していないことがある」
その言葉に、空気がわずかに張り詰める。
エドガーは、一度だけ深く息を吐き、そして、静かに続けた。
「カトリーナが呪い殺された後……私は、怒りに身を任せた」
低く、抑えられた声でそれは続く。
「ただ私念の赴くままに、カトリーナの家族を皆殺しにして、故郷を滅ぼした」
その一言は、重く沈んだ。
風の音すら消えたかのような静寂の中で、ただ、その言葉だけが残る。
「後世には、アレクサンダーは賢王などと伝わっているがな」
自嘲するように、わずかに笑う。
「かつてお前に、立派な王だと言われたことが嬉しくて、……知られてしまった時、お前に見限られるのではないかと思うと怖くて、今までそのことは言えずにいた」
そして、ゆっくりと視線を戻す。
その目の奥には、僅かな不安があった。
「……セシリアは、こんな私に幻滅するか?」
問う声は、先ほどよりもずっと静かで、どこか恐れているようにも聞こえた。
その言葉に、セシリアはゆっくりと首を横に振る。
「……あなたは一つ、大きな思い違いをしています」
セシリアが静かな声音で呟いた。
けれど、その奥には確かな感情が宿っている。
「カトリーナにとって、もはやフランシス王国は故郷ではありませんでした」
視線を落とし、そっと言葉を紡ぐ。
「カトリーナの故郷は、アレクサンダー様のおそばでした」
ぽろりと、堪えきれなかった涙が頬を伝った。
「……生まれ変わって、アレクサンダー様がフランシスを統治し、立て直してくださったのだと知った時、私がどう思ったかなんて決まっています」
顔を上げる。
涙に濡れた瞳でまっすぐに彼を見つめ、はっきりと言い切る。
「愛しいとしか、思えませんでした」
その言葉に、エドガーの目が大きく見開かれる。
「エドガー様」
呼びかける声は、柔らかくエドガーに届く。
「愛しています」
迷いなく、真っ直ぐに彼へと向けられた想い。
その瞬間、エドガーの頬を大粒の涙が伝った。
「……セシリア」
かすれた声で、名前を呼ぶ。
「私も……お前を、愛している」
次の瞬間、エドガーはセシリアを引き寄せて、強く抱きしめた。
エドガーのその逞しい腕の中がどうしようもなく心地良くて、セシリアはそっと彼の背中に腕を回した。




