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今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


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第三十話 呪いの再会②

 その時、セシリアを取り巻いていた禍々しい呪いが、音もなく反転した。

 絡みつくように纏わりついていたそれは、まるで意思を持つかのように向きを変え、一斉にヴィクトリアへと襲いかかる。

 見えないはずの呪いが、形を持ったかのように、黒く蠢いた。

 逃げ場など、どこにもなかった。

 ヴィクトリア自身が放ったそれは、容赦なく、正確に、彼女自身を喰らい尽くしていった。


 セシリアは、ただ静かにそれを見つめていた。

 表情一つ変えず、まるで、それが当然であるかのように。


 セシリアは、ただ、この時のためだけに強くなったのだから。


 幾度も剣を振るい、血を流し、魂を削るようにして積み重ねてきた全ては、この瞬間に繋がっている。

 積み上げてきたのは、誇りでも、正義でもない。

 ただ一つ、生まれ変わったリリィをこの手でねじ伏せるための力だった。


 培われた強靭な魂は、もはや呪いに侵されることはない。

 むしろそれを掴み、ねじ伏せ、意のままに操ることすら出来る。

 受けた呪いをそのまま何倍にもして、リリィに返すために。


 セシリアの唇がゆっくり歪む。微笑みなどという生易しいものではない。

 それは、もっと醜く、冷たく、底が見えないほど深い憎悪だった。

 心の奥底から、遠い記憶が浮かび上がる。




 カトリーナは、幼い頃からリリィのことが羨ましかった。

 何もかもが違う、同じ父親を持って生まれたはずの異母妹と、否応なく比べられるたびに、その想いは強くなっていった。

 

 リリィは、誰からも愛されていた。

 笑えば周囲が和み、泣けば誰かが慰め、望めばすぐに与えられる。

 その全てが、当たり前であるかのように。


 それに比べてカトリーナは、何も持たない。

 母を亡くして以降ずっと、誰にも望まれず、誰にも愛されず、ただそこにいるだけの存在だった。

 同じ血を引いているはずなのに、与えられるものはあまりにも違いすぎた。


 それでもカトリーナは、ただ生きていられるならそれでいいと、そう思い込もうとしていた。

 だが、リリィは、それすらも許さなかった。

 突き飛ばされるのは日常で、持ち物は見つかれば奪われる。

 気に入らないと言う理由だけで、カトリーナの尊厳を、リリィは何の躊躇もなく簡単に踏み躙ってくる。


 何とかカトリーナが耐えられていたのは、亡き母に愛されていたというかすかな記憶が、唯一、彼女を支えていたからだった。


 けれど、あの時。

 母のたった一つの形見をあっけなく壊されたその瞬間、胸の奥で何かが、静かに崩れた。


 初めてだった。

 ここまで強く、誰かの事を、存在ごと消してしまいたいほどに憎んだのは。

 その感情は、これまで感じたどんな痛みよりも深く、どんな悲しみよりも重く、確かにカトリーナの心の奥へと沈んでいった。


 けれど、アレクサンダーと出会い、ルミナリア王国で過ごす日々の中でその感情は、少しずつ薄れていった。

 彼と言葉を交わし、彼が守るこの国の人々のために祈り、誰かのために生きる時間に、カトリーナの傷ついた心は、少しずつ、けれど確かに、満たされていった。


 そうしていつしか、リリィのことも、過去のことも、全てがどうでもいいことだと思うことが出来た。


 カトリーナにとって、アレクサンダーこそが唯一で、全てだった。

 この人のために、これからの人生を捧げたいと、本気でそう思った。


 一度は、確かに、そう思えたのだ。


 けれど、カトリーナはその死の間際の最期の時、沈みゆく意識の中で、気が付いてしまった。


 まとわりつく、異様な気配。

 冷たく、重く、粘つくような何かに。


 それは、ただの死ではなかった。

 これは呪いだと。それも、強烈な憎悪を孕んだ呪いだ。

 その時カトリーナは理解した。

 リリィの底のない憎しみによって自分は、殺されたのだと言うことを。

 

 その時、カトリーナの胸の奥で、押し込めていたはずの感情が、一気に溢れ出した。

 どうして、自分がここまでされなくてはいけないのか。

 ようやく手に入れた大切なものを、ようやく、満たされた心を。

 愛する唯一の王に捧げると決めた、人生を。


 どうして、踏み躙られなければならないのか。


 そしてカトリーナは、かつてないほどの憎悪の感情に呑み込まれながら死んでいった。

 それがカトリーナの、本当の最期だった。



 セシリアとして生まれ変わり、記憶を取り戻した時、最初に抱いた感情は、アレクサンダーの居ない世界に生まれ変わってしまった事への絶望だった。

 アレクサンダーの居ない世界に生きることに、もはや何の価値も見出せなかった。


 そして次にその心を襲ったのは、リリィへの深い憎悪だった。

 その燻り続けたその感情は、前世抱いていたものよりも、深く大きいものになっていた。

 いつまでも消えぬ火種のように、静かに、だが確実に胸の奥に、強く根を張っていた。


 どうしようもない絶望感に苛まれた時、ふと、同時に、気が付いた。

 死ぬ直前に、絡みついていた呪いの気配が、今もなお、身体の中にあることに。


 それは、消えていない。

 途切れていない。

 まるで、どこか遠くと繋がっているかのように。


(……ああ、そうか)


 それを理解した瞬間、心の奥底で、何かがどろりと蠢いた。


 リリィもまた、この世に生まれ変わっている。

 あの深い憎悪を抱えたまま、どこかで、生きている。


 その事実が、思い出したく無かったと思うと同時に、どうしようもなく愉快でもあった。

 それは、アレクサンダーの居ないこの世で生きなければいけない彼女にとって、一種の救いとも呼べるほどのものだった。


 心の奥に潜むカトリーナが、低く静かに囁く。

 そうか、リリィは既に、この世に生まれ変わっているのか。

 だったら今度は必ず、私が、リリィに報いを与える。


 あの女に、奪われる側の絶望を、思い知らせてやる。


 ただ命を奪うだけでは足りない。

 そんなものでは、この憎悪は到底満たされない。


 苦しみ、絶望し、息も出来なくなるほどの恐怖の中で、何もかもを奪われて、それでもなお終わらない地獄を思い知らせてやる。


 生まれ変わったことすら後悔するほどの絶望の果てで、ようやく終わりを迎えればいい。


 そのためだけに、強くなってやる。


 セシリアの瞳には、静かに、けれど底知れぬ決意の色が宿っていた。



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