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今世では恋を諦めた伯爵令嬢ですが、前世の夫が今世で執着してきます  作者: 陽ノ下 咲


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第二十九話 呪いの再会①

 ヴィクトリアからの手紙を読んだ数日後のこと。


 セシリアはフランシス領を訪れていた。

 前世以来、初めて足を踏み入れたフランシスは、かつての面影を少し残しながらも、前世でこの地を去った頃とは全く別の場所のように、整えられていた。

 荒れていた街並みは整備され、通り過ぎる村も、とても穏やかだった。

 

 けれど、それでもなお、この地に染みついた自分自身の記憶だけは、消える事はなかった。

 胸の奥に、鈍い何かがずしりと沈む。


 それを押し殺すように、セシリアは屋敷の門をくぐった。

 通された応接室は、静まり返っていた。

 重厚な家具や装飾品が整然と並び、無駄の一切ない整えられた空間。

 だがその完璧さはどこか不自然で、胸の奥をじわりと締めつけるような息苦しさがあった。

 やがて、扉が音もなく開き、ヴィクトリアが現れた。


「お待たせいたしましたわ、セシリア様」


 優雅に微笑むその姿は、完璧な淑女そのもの。

 だが、その瞳の奥にある汚く濁った色を、セシリアは見逃さなかった。


「本日はお招きいただき、光栄です」


 形式通りの挨拶を交わし、向かい合って腰を下ろす。

 紅茶が運ばれ、穏やかな会話が始まる。


 天気の話、領地の話、社交界の話。当たり障りのない話が続く。

 けれど、会話の内容とは裏腹に、二人の間には張り詰めた空気があった。

 そしてしばらく経った頃。

 ヴィクトリアが、不意にカップを置いた。


「……そういえば」


 柔らかな声音。

 だがその響きに、微かな歪みが混じる。


「昔のお話、覚えていらっしゃる?」


 セシリアの手が、ほんのわずかに止まる。

 視線だけを上げ、ヴィクトリアを見る。

 ヴィクトリアは、そんなセシリアを見ながら、にこりと美しく微笑む。


「とても可愛らしい髪飾りがあったでしょう? 細くて、控えめで……まるで持ち主のように、弱々しいもの」


 その言葉で、記憶が引きずり出される。

 薄暗い物置、埃の匂い、痛みで霞む視界。


「それ、あなたが大事そうに隠していたものよね」


 ヴィクトリアの瞳が、ゆっくりと細められる。


「亡くなったお母様の形見だったかしら?」


 くすり、と笑うその笑みは、あまりにも歪だった。

 そして、ふっと、その笑みの温度が変わる。


「……ああ、でも」


 わずかに首を傾げ、観察するようにセシリアを見つめる。


「こうして向かい合っていると、確信してしまうわね」


 どこか愉悦を滲んだ穏やかな声音で、ヴィクトリアは続ける。


「あなたも、思い出しているのでしょう?」


 一拍だけ間をあけて、唇がゆっくりと吊り上がる。


「ねえ、カトリーナ」


 その名を呼ぶ響きは、あまりにも親しげで、同時に、底知れぬ悪意に満ちていた。


「……いいえ、こう言った方がいいかしら」


 ヴィクトリアが、すっと目を細める。


「久しぶりね。お姉様」


 空気が、ぴたりと止まった。


「私は、リリィの生まれ変わりよ」


 だが、セシリアの表情は微動だにしない。

 ただ、冷たい瞳でヴィクトリアを見つめていた。

 そして、淡々と言い放った。


「知っていたわ」


 感情のない声で続ける。


「あなたが私に気づいたように、私もあなたに気づいていたもの」


 一瞬、ヴィクトリアの瞳が、わずかに見開かれる。

 その表情に浮かぶのは、ほんのかすかな驚きの色があった。だが、それもすぐに消える。


「……そう」


 静かに呟き、再び微笑んだ。

 その笑みは、先ほどよりも深く、抑えきれない憎悪と執着が滲み出ていた。


「髪飾りを壊した時のあなた、本当に必死だったわよね。返してって、震えながら手を伸ばして……」


 楽しむように、なぞるように、過去を語る。


「でもね、滑稽だったわ。あなたみたいな人間が、大切なものを持っているなんて」


 声が、低く落ちる。


「だから、壊してあげたのよ」


 ヴィクトリアの指先が、何かを折る仕草をした。その仕草に、セシリアの背筋がぞくり、と粟立つ。


「その時のあなたの顔、今でも忘れられないわ」


 うっとりとした声音で続ける。


「何かが壊れたみたいな、あの目……本当に堪らなかった」


 そしてゆっくりと、口元が吊り上がる。


「あの時ね、私、あなたのことが憎くて憎くて仕方なかったの」


 凍りついた空気の中、ヴィクトリアは愉しむように囁いた。


「だから私ね、あなたを呪い殺したのよ」


 一瞬の静寂の後、続く言葉。


「……そして、それは今も変わらないわ」


 その言葉と同時に、部屋の空気が、重く沈んだ。

 見えない何かが、じわりと這い寄るように。

 黒く、濁った禍々しい気配がまるで生き物のように蠢き、セシリアの周囲にまとわりついた。


 だがその瞬間だった。

 セシリアの唇が、ゆっくりと歪んだ。

 恐怖も、動揺も、そこには一切なく、ただぞくりとするほど、冷たい笑みを浮かべる。

 むしろ待ち望んでいたかのような、愉悦すら滲んでいた。

 セシリアはゆっくりと、ヴィクトリアと視線を合わせる。


 そして静かに、言い放った。


「この時をずっと待っていたわ」




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