6 テオドールの事情 1
(あたたかい……なんだかいい匂いがしますわ……)
夢うつつのなかでロゼッタはぼんやりとそんなことを思った。
光の渦の中、抱きしめられたテオドールの腕の中と似た香りは、なぜか不思議とロゼッタの心を落ち着けてくれた。そして体は真綿に包まれたように温かく心地が良い。
けれど、遠くから聞こえる声が少々うるさかった。
「まったくあんたは何を考えているんですか! 普通に国際問題じゃないですかこれ!」
「わかってるよ。だからごめんって」
「ごめんで済んだら帝国軍はいらないんです!」
「もといた場所に返してきなさい」
「えー!?」
うるさい。
一体何の会話なのだ。
せっかくいい気持で眠っていたのに、とロゼッタの意識が浮上する。
(へ?)
ぱっちりと目を開けてロゼッタは何度か瞬いた。
目の前には見慣れない天蓋。そしてぎゃあぎゃあと聞こえてくる声。叱られている声にのみ聞き覚えがある。
テオドールの声だ。
ロゼッタは別れを告げるテオドールを引き留めようとして、彼のマントを掴んだ。その時、彼の身体から光が溢れておそらく魔法が発動したのだ。その後のことはあまり覚えていない。
(だ、だとしたらわたくしは今どこに!?)
がばりとロゼッタは勢いよく上半身を起こした。
物は少ないが質のいい家具が揃えられたシックな広い部屋はもちろん見覚えなどない。
(ま、まさかここは)
「ロゼッタ! 目が覚めたんだね」
ひょっこりと隣の部屋の扉から顔を出したのはテオドールだった。そしてこちらへ近づいてこようとする彼を誰かが背後から肩を掴んで止めた。
「陛下、みだりに近づいてはなりません」
「僕にくっついてきたのに……」
「まずは俺が事情聴取します……。この女はエストレイア王国の王太子の元婚約者ですよ? 間者かもしれないでしょう」
テオドールの後から部屋に入って来たのは、青い髪に眼鏡の神経質そうな青年と緋色の髪の少年だった。おそらく二人ともテオドールの側近なのだろう。
ロゼッタはベッドの上に座ったまま青ざめていた。
(と、とんでもないことになってしまいましたわ)
確かに皇帝に近づいてきた敵国の女など間者だと疑われても仕方ない状況だ。別にロゼッタからテオドールに近づいたわけではないが。テオドールが勝手に懐いてきただけで……。そのあとはついロゼッタも彼を放っておけなくて、引き留めようとしてしまったのだけれど。
「あ、あの、ここは……」
「ローレンツ帝国の王宮だ」
やっぱり、とロゼッタは頭を抱えたくなった。
おそらくテオドールの魔法に巻き込まれて、一緒に来てしまったのだろう。誓って害意はないが、信じてもらえるだろうか。頼みのテオドールはなぜか後ろでシュンとしている。
「貴女はエストレイア王国アディノルフィ侯爵家長女、ロゼッタ・アディノルフィだな。調べはとっくについているぞ。一体どういうつもりで陛下に近づいたんだ」
髪と同色の緋色の明るい瞳が印象的な少年がベッドの前に立ってロゼッタを睨む。気を失っている間にロゼッタの正体もばれてしまっていたらしい。
「彼は……わたくしの働いている喫茶店の常連なのです。別にこちらから近づいたわけではありませんわ」
「そもそもどうして侯爵家の令嬢が喫茶店で働いているんだ。それがまずおかしいだろう!」
「それはその通りなのですが……。わたくしも色々ありまして……自分の人生を考えなおしたくなったのですわ」
じっと緋色の瞳に見つめられると、なぜか心の奥まで見透かされている気分になって居心地が悪い。眉根を寄せてこちらを疑り深く見てくる少年を負けじとロゼッタは見つめ返した。だって嘘はついていないのだから。
「そもそもわたくしは王太子殿下から婚約破棄された身。今更彼や国のために働こうなんて思いませんわ!」
「……嘘はついてないようですが、どうします?」
「だから言ったろう? 大丈夫だって」
目を細めてこちらを睨んでいた少年が後ろを振り返る。
急にどうしたのだろう。意外にあっさりと終わった事情聴取にぱちぱちと瞬いているロゼッタのそばにテオドールが膝をつく。
「ごめんね、君の潔白を証明したくて真実を見る魔法を使わせてもらたんだ」
「真実を見る魔法?」
「うん、嘘をつこうとしてもザシャの瞳に見つめられると真実しか話せなくなる魔法なんだ。断りもなく、こんなことをしてごめん」
「そうだったのですね。別にそれはかまいませんわ。ですがこの状況は……」
緋色の髪の少年……ザシャの瞳に感じた違和感は魔法だったのだ。そんなことができてしまうとは……とロゼッタは感心すると共に少し恐ろしくもなった。エストレイア王国の民には魔法を使うことはできないからだ。
「君はあのとき、僕の発動した転移魔法に巻き込まれてここに来てしまったんだ。転移の魔法はすごく高度でね、下手をすれば身体がバラバラになっていたところだったんだよ」
「え……」
さーっとロゼッタは青くなる。そんなに危険なことだったとは。危うく死ぬところだったのだ。
テオドールがほっとしたようにロゼッタの手を取る。
「君が無事で本当によかった……」
「陛下、そろそろお時間が」
背後から眼鏡の青年が声をかけてきた。それにテオドールが頷く。
「すぐに喫茶ビクトリアに送っていってあげたいところだけど、実はこれからはずせない会議があるんだ。だからここでちょっと待っていてくれる? 護衛はつけておくから」
「わ、わかりましたわ……」
どうせテオドールがいなければここからは出られないし帰ることもできないのだ。
ロゼッタは大人しく頷いた。
テオドールが仕事に行ってしまい、ロゼッタは寝室の続き間になっている応接室のソファで何をするでもなく座っていた。扉のそばには先ほど取り調べをしてきたザシャがツンとした顔で見張り兼護衛として立っている。
「何をじろじろ周囲を見ているんだ」
「すみません、なんだか手持無沙汰でして。こちらのお部屋は客間ですか?」
「陛下の私室だ。貴女の存在がばれれば王宮は大騒ぎになる。本来であれば牢に入れるところを陛下からの頼みでここに匿っているんだ。ありがたく思うんだな」
「そ、そうだったのですね」
どうりでベッドからテオドールに抱きしめられた時と同じ匂いがしたはずだ、と思ったところでぼっとロゼッタは赤くなった。一体自分は何を考えているのだと、頭を振っていると不審そうな顔でザシャに見られてしまった。
「ええっと、あなたは……」
「俺はザシャ。陛下の側近だ。まったくどうして陛下はよりによってエストレイアの女なんかにご執心なんだ」
「パンケーキを作ってあげただけなんですけれどね」
「……もしかして最近陛下の顔色がいいのは貴方のおかげなのか?」
どうしてテオドールが懐いてくるのかなんて、ロゼッタだってわからない。心当たりがあるとすればパンケーキを食べて涙していた姿だ。ふとそのことを呟くと、ザシャが緋色の瞳を見張った。
「そういえば出会った頃よりは元気そうに見えますわね」
「陛下は貴方の作る飯を食べに行ってるのか」
「そうですけれど……どういうことですの?」
「陛下はあまり食事をしたがらないんだ。特に皇帝になられてからは。ずいぶん痩せてしまって顔色も悪くて……皆、心配していたんだ」
初めて出会った雨の日をロゼッタは思い出していた。
雨の中、足取りもおぼつかない様子で顔色も悪く、生気がなかった。
「最近は俺かアロイスの作る食事なら少しは食べてくれるようになったけど」
「アロイス?」
「さっきの眼鏡だ」
以前からテオドールは周囲に心を開ける人はいるのかと心配していたが、どうやらこのザシャと先ほどのアロイスという青年のことは信頼しているようだ。
(あんなに美味しそうにパンケーキを食べていた人が……)
一体どうしてそんな状況になってしまったのか。
ロゼッタの前にザシャがやって来る。
「なあ、頼みがあるんだが」
「わたくしに頼み?」
「ああ、貴女のパンケーキとやらの作り方を教えてくれないか?」
「パンケーキ、ですか?」
何かを決意したようにザシャが頷いた。
「陛下には元気でいてもらわなきゃ困るんだ。だからもっとちゃんと食べてほしいんだ」
「ザシャ様……」
こんなにもテオドールを思ってくれている人がいるとは。
ロゼッタは少しだけほっとした。彼にもちゃんと味方がいるのだ。
それと同時に不思議にも思う。こんなに親身になって支えてくれる者達がいるのに、まだ心を閉ざした様子があることを。
『うーん、どうだろう……。人を疑ってばかりいたらわからなくなっちゃったんだ』
以前、テオドールはそんなことを言っていた。
一体彼に何があったのだろうか。
けれど、目の前の真剣なザシャの瞳に嘘はないようにロゼッタには見えた。
「わかりましたわ。わたくし特製のパンケーキのレシピを伝授いたします!」
「ありがとう、恩に着る!」
こうしてロゼッタはローレンツ帝国の王宮で腕を振るうことになったのだった。
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