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5 一歩踏み出して

「――ねえ、聞いたかい? カミル王太子が近々挙兵するらしいぞ」

「そうか。じゃあ魔王が倒される日は近いな!」

「聖剣を手に入れたのか!」


 客席から聞こえてきた声に、ロゼッタはコップを拭いていた手を止めた。

 ローレンツ帝国の人間は魔力を持ち魔法という強力な術を使う。

 けれど聖剣は、強大な魔法の力も打ち破るのだという。


(まずいですわ、まずいですわ……! このままではテオドール様が)


「ロゼッタさん、どうかしましたか?」

「……あ、なんでもございませんわ。すみません。すぐに追加のパンケーキを焼きますわね」


 脳内でぐっさりとカミルに聖剣で貫かれるテオドールの想像をしてしまい青くなっていたロゼッタだったが、マルシオの言葉で我に返る。

 テオドールのことは気になるが、今のロゼッタにはできることなど何もない。そもそもローレンツ帝国とは長年国境をめぐって小競り合いが続いている。いつ火種が大きくなっても不思議ではなかったのだ。ゲーム『星と海の輝き』では聖女が聖剣を召喚し、王太子カミルがその聖剣で魔王を倒し世界に平和が訪れる。


(でも、それでは……)


 魔王を倒して、エストレイアには平和が訪れるだろう。

 けれど……。


 カランカランと乾いたベルの音が鳴った。


「こんにちはー。ロゼッタ、今日はお土産にジャムを持ってきたんだけど……」

「人の気持ちも知らないで何なんですのあなたは!?」

「ええ!? ロゼッタ機嫌が悪いのかい?」


 噂のテオドールがご機嫌な様子で普通にまた来店してきた。心配で胃を痛めそうなロゼッタは思わず睨みつけてしまった。

 誰のおかげでこんなに気をもんでいると思っているのか。ほとんど逆切れだったがロゼッタは開き直った。

 ロゼッタの剣幕に驚いて後ずさったテオドールの手を引いて奥のボックス席にどすんと座らせる。他の客たちは『ロゼッタちゃん積極的だねー』などとはやし立てていたが気にしない。


「ど、ど、どうしたのロゼッタ? 僕何か君の気に障ることしたかな」

「どうしたのはこっちのセリフですわよ。あなたこんなところでのんきにしていて大丈夫な立場じゃないのではないですか?」


 周囲に人がいるのではっきりとは口にしないが、テオドールもそれでロゼッタの言いたいことがわかったのだろう。へたり込んでいたソファにしっかりと座りなおす。ロゼッタは腕を組んでテオドールを見下ろした。


「……ロゼッタ、それって」

「わたくしが気づいてないとでも思いましたの?」

「普通の人は気づかないよ。でも、そうか……やっぱり知ってたんだね」


 テオドールが気まずそうに視線を逸らす。彼も薄々正体を知られていることに感づいていたようだ。

 普通の人は気づかない。

 ……それはそうだ。

 魔王のビジュアルなど知らないのだから。

 ロゼッタは気まずくなって一瞬目をそらした後、ふんと鼻を鳴らしてふんぞり返った。


「……と、とにかく、あなたはどういうつもりなんですの? どうしてここへ来るのですか?」

「そりゃあ、君に会いたいから」

「なっ……! そういうことを聞いているんじゃないですわ!」


 ヒューっと勘違いした外野が指笛を鳴らす。なんでもないことのように穏やかに微笑んだテオドールの言葉に、ロゼッタは真っ赤になって水のグラスを置くとカウンターの奥に逃げ込んだ。


「おやおや、ロゼッタさんが退散してくるなんて珍しいね」

「し、知りませんわ!」


 コーヒーを淹れていたマルシオの言葉にロゼッタはぷいっと顔をそむけたのだった。

 こちらが真剣に心配しているというのに、その本人はのんきにパンケーキを食べているのだから腹が立つ。


(心配……)


 がしゃがしゃと怒り任せに生地を混ぜていたロゼッタはふと手を止めた。


「ロゼッタ、怒っているのかい?」

「……別に、怒ってなんていませんわ」


 眉を八の字にしてたテオドールがカウンター越しにこちらを覗き込んでくる。まるで迷子になった犬のようだ。どう見ても真っ黒で威圧的な大男でしかないのにそういう表情をされると放っておけなくなってしまうのだ。

 よかったあ、と微笑むテオドールを見ているとなんだか力が抜けてしまうのだった。



「ごちそうさまでした。ロゼッタ、はいこれお土産。以前欲しがってただろう?」

「ローレンツ産のラズベリージャム……! あ、ありがとうございます。よろしいんですの?」

「もちろん、いつも美味しいパンケーキを食べさせてもらってるからね」


 ロゼッタが以前話していたことを覚えていてくれたのだ。小さなジャムの瓶をカウンターに置いてテオドールは店を出てしまった。


「それじゃあ僕は行くね」

「あ、ちょっとお待ちに……」


 普段のテオドールならば、ロゼッタが呼べば振り返ってくれた。けれどなぜか今日に限って彼は一度も振り返ることをせず、店から出て行ってしまった。

 ロゼッタの胸に不安が広がっていく。


(まだ聞きたいことがあるのに……)

「ロゼッタさん、少しの間なら大丈夫だから行ってきてください」

「マルシオ様……、ありがとうございます」


 閉まった扉を見つめていたロゼッタにマルシオが声をかけてくれた。その気遣いに感謝してロゼッタは店を飛び出した。以前店を出たテオドールを追った時はすぐそばの細い路地へと入っていったことを思い出しそちらへ向かう。

 しかし路地には人の気配はすでになかった。


「誰もいない……」


 まるで煙のように消えてしまった。これが魔法なのだろうか。静まり返った路地裏で、ロゼッタは一人ため息をついた。

 胸騒ぎがしたのだ。

 もしかしたら、もうテオドールはロゼッタの前から消えてしまのではないかと、そんな予感がした。


「い、いけないいけない。とにかく早くお店に戻らなくては。お客様が待って……!?」


 油断すると悪い想像ばかりしてしまう。慌てて頭を振って踵を返そうとした時だった。

 ロゼッタの足元から真っ黒な影がぶわりと伸びたかと思うと、あっという間に影はロゼッタを拘束し口も塞がれてしまった。


「んー!?」

『おい、これが皇帝の……?』

『ああ、間違いない』


 ロゼッタを拘束する影とは別にもう一体の影がゆらりと空中から現れる。まるでこの世の者ではない気配にロゼッタは体が竦みそうになる。それに気がつくと地面から何体も影が伸び、ロゼッタを囲んでいた。

 真っ黒なローブから伸びた枯れ枝のような手がロゼッタの顎を掴む。


(どこかで見たことが……あ! 前世のゲームで見たアンデットですわ!)


 実態の無いまるで死神か幽霊のような姿。それは前世のゲームで見たことがある魔王の配下だった。魔王を倒すため旅に出たヒロインと王子一行を行く先々で襲ってくる存在だ。

 なぜその魔族がこんなところに。

 ロゼッタはなんとか拘束から抜け出そうとするがまったく動けない。


『間違いない。アディノルフィ家の娘だ』

『婚約者』

『王子の』

『元だが』

『性格キツそうだ。間違いない』

『よし、この娘を餌に皇帝を』

「むぐー!!」


 しかしそれ以上影たちの言葉は続かなかった。

 背後から伸びてきた手が一体の影をわしづかみにしたかと思うと、まるで霧のように霧散してしまったからだ。


「!?」

『な!? どうしてまだここに……ガァ!?』


 一体何が起こっているというのだろう。背後でロゼッタを拘束していた影の悲鳴が聞こえたかと思うと、こちらも霧のように消えてしまった。ロゼッタを取り囲んでいた影が次々と切り裂かれたように消えていった。

 そっと視線を動かすと、背後から伸びた手から真っ黒な塵が風に乗って消えていくのが見えた。


「聞こえているな。蠅のように鬱陶しい者共め。次に彼女に手を出したら一族ごと消えてもらうことになるぞ」

「え」


 気配を感じて頭上を見上げると蝙蝠のような生き物が慌てたように飛んでいきやがて消えてしまった。あの影たちの仲間だったのだろう。

 唖然としたロゼッタはゆっくりと振り返りテオドールを見つめた。

 見たこともない冷たい深紅の瞳にロゼッタが映る。

 しかしぱちりと一度ゆっくりと瞬くと、それは見慣れた色に戻っていた。



「ロゼッタ、怪我はない? 大丈夫?」

「な……な……」

「ロゼッタ!? やっぱりどこか怪我してるんじゃ」

「だ、大丈夫ですわ。ちょっと腰が抜けただけで……。あなた本当に魔王なんですのね」


 へなへなとその場にへたり込んだロゼッタに、慌てた様子でテオドールも膝をついた。

 テオドールの様子は飼い主を心配して慌てている犬のようだが、影をすべて消し去った姿を見たロゼッタは彼が魔王であること初めて実感として感じていた。

 普通に滅茶苦茶怖い顔をしていた。

 

「怖い思いをさせてごめんよ。まさか君が追いかけてくるなんて思わなくて……。しかもあいつらが君に手を出してくるなんて」

「あいつら?」

「強硬派の連中だ。以前からエストレイア王国へ攻め入りたくてその機会をずっと伺っていたんだ。僕が駄目って止めていたんだけど……。ロゼッタを使って僕を脅そうなんて。やっぱりあいつら一族郎党処刑して……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし。とりあえずその件は置いておくとして……」


 ロゼッタはなんとかテオドールの手を借りて立ち上がる。


「あなたは戦いたくないんですのね?」

「……できればね。でも、もう無理かもしれない。だから今日は最後のお別れに来たのに、こんなことになってごめんよ」


 テオドール自身は戦うことなど望んでいないのだ。

 苦しそうな顔をしたテオドールがロゼッタの手を離す。

 

「え? 待ってくださいませ、テオドール様」

「ううん、僕はもう君のそばにはいてはいけないんだ。君に危険が及ぶ」


 そう呟くと今度こそテオドールはロゼッタに背を向けた。

 これが一生の別れになってしまうのだろうか。

 ロゼッタは無意識に手を伸ばしていた。


「待っ……」


 けれど一瞬躊躇する。

 ロゼッタは今、身分を隠して喫茶ビクトリアで働いているけれど、エストレイア王国の侯爵令嬢だ。立場を考えれば今の状態ですら国賊と言われかねない状況だ。ロゼッタはテオドールを助けたいと思ってしまっているのだから。ゲームのように魔王と通じたと判断され、処刑される未来もあるかもしれない。それが嫌で家から飛び出したのに。


『君のパンケーキは、君も食べる人達もみんなを幸せにするからだよ』


 けれど、テオドールはロゼッタを元気づけてくれた。

 自分には何もないと思っていたロゼッタに、そんなことはないと教えてくれたのだ。


『……正直に、素直になるのが一番ですよ』


 マルシオの言葉を思い出してロゼッタは顔を上げた。

 テオドールの周囲が淡く輝きマントがふわりと風もないのに浮き上がる。これが魔法なのだろう。


(わたくしはこれ以上後悔なんてしたくないのですわ!)


 ロゼッタは離れていくテオドールの背を追いかけてそのマントを掴んだ。


「待ってくださいませテオドールさ……きゃあ!?」

「……ロゼッタ!?」


 その瞬間、光がロゼッタの視界いっぱいに広がりふわりと体が浮いた。ぐるりと視界が回り、どちらが上か下かもわからない。まるで大嵐の中に放り出されたかのようだ。けれど、木の葉のように飛んでいきそうなロゼッタの体をテオドールの腕が引き寄せた。

 そのまま腕の中に抱きしめられてロゼッタは意識を失ったのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったらブクマや下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです。

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