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4 ロゼッタの不安

「まあ、とってもおいしいですわ。この桃の酸味とホイップクリームの甘みが絶妙にマッチしていますわね」

「ロゼッタのお店では新作は出さないの?」

「今、研究中なんですの。果実のジャムを使いたいんですけれど、これ! というのがなかなか見つからなくて。ローレンツ産のベリーのジャムがとても美味しいと噂で聞いているのでいつか試してみたいのですけれど……」


 人気商品だという桃のタルトを一口食べてそのおいしさにロゼッタは瞳を輝かせた。

 二人は休憩がてら喫茶店に入っていた。ロゼッタの働く喫茶ビクトリアは住宅街の隅に隠れるようにある静かな店だが、この喫茶店は大通りにあり最近開店したこともあって、有名なのか人がひっきりなしに出入りしている。少し落ち着かないがコーヒーもデザートもおいしい店だ。

 ロゼッタもビクトリアがもっと繁盛するように新作は常に考えている。こうやって他の店の料理を食べることはとてもいい刺激になった。


(そういえばこうやってビクトリア以外のお店で食事をするのなんて、転生してから初めてですわね)


 侯爵令嬢という立場上、大衆の人々が利用する店にはあまり来たことがなかったのだ。

 新鮮な気持ちで周囲を眺めていると、ふと視線が気になって正面に戻した。テーブルに頬杖をついたテオドールがじっとこちらを機嫌よさげに見つめていた。


「ま、まあまあですわね! 良い偵察になりますわ」


 ベリーのジャムのような瞳を細めて満足げにこちらを見つめるテオドールに、ロゼッタは慌てて緩んだ顔を引き締めて背筋を伸ばした。カミル以外の男性と二人で食事をしたのも初めてだということにも気づいてしまう。なんだか落ち着かなくて視線を落とすと、彼の前にはコーヒーしか置かれていない。


「テオドール様は何も頼まなくてよろしいのですか?」

「うん? ああ、いいんだ。何か食べるときは君の店って決めているから」

「そうなのですか? でもお腹が空いておいでなんじゃないですの? こちら一口いかがですか? おいしいですわよ」


 喫茶ビクトリアに向かっていたということはパンケーキか何か食べるつもりだったはずだ。

 それなのにコーヒーだけでは空腹だろうと、ロゼッタは桃のタルトを半分に割って差し出した。ぱちりと赤い目を丸くしてテオドールが遠慮する。


「え? いいよ。これは君のなんだし」

「美味しいものは分け合った方がもっと美味しくなるのですわ」

「そ、そうなんだ……」


 荷物持ちをしてくれているのだから、遠慮する必要などないのに。妙に戸惑っているテオドールを不思議に思い首を傾げたロゼッタは、フォークが一本しかないことに気がついた。彼は皇帝なのだから手づかみで食べるのは嫌なのかもしれない。ロゼッタは一口サイズに切り分けた桃のタルトをフォークで差してテオドールに差し出した。


「はい、どうぞ」

「え」


 今度こそテオドールか固まった。

 一瞬不思議に思ったロゼッタは、ようやくそこで自分がやっていることに気がついた。これは恋人等にやる『あーん』というやつなのでは?


(な、なんてはしたないことを!)


 かっと頬が赤くなるのが自分でもわかった。

 さすがにこれはない。令嬢としてあまりにも恥ずかしい。


「も、もうしわけございません! まったく他意はなかったのですがこれ、は……」


 引っ込めようとした手を掴まれて、大きな口がぱくりと桃のタルトを食べた。ロゼッタは大きな手の暖かさを感じながら茫然とその様子を見つめることしかできなかった。


「……うん、おいしい」

「な……な……」

「はは、ロゼッタ、真っ赤だよ」

「もう! からかわないでくださいませ!」


 にやりと珍しくいたずらが成功した子供のような笑みを見せたあとテオドールがからからと笑う。自分からタルトを差し出してしまったのだからこれは逆切れなのだけれど、恥ずかしくて仕方がない。赤くなったり青くなったりしているロゼッタをテオドールは楽しそうに見ていた。


「よかった。元気になったみたいで」

「え……?」

「なんだか最初に見かけたとき、少し元気がなさそうだったから」


 ロゼッタは内心どきりとする。

 ぼんやりしているように見えて意外と鋭い。澄んだ赤い瞳に見つめられると、自分でも気づかないふりをしていた気持ちを見透かされているようだった。


「そんな風に見えました?」

「うん、何かあった?」

「……わたくしもいろいろありますの。詳しくは言えませんけど」

「そうなのかい?」


 カミルとのことや、目の前の魔王……テオドールのことを考えていたとはさすがに言えない。

 魔王だと知っていることも、王太子の元婚約者であることも秘密にしているし。

 テオドールはどこか抜けているように見えるから、なんとなくロゼッタは心配になってしまう。魔王を心配、というのも変な話だが何度もロゼッタの焼いたパンケーキを食べた相手だ。少しは情がわいても不思議じゃないだろうと結論付ける。


「わたくしのことより、自分のことをもっと気にかけたほうがよろしいんじゃないですの?」

「そうかな? うーん……確かにそうかもね。でもだからこそ僕はロゼッタに笑っていてほしいな」

「どういう意味ですの?」


 何が「だからこそ」なんだろうか。

 ほら、とロゼッタの手からフォークを取り上げたテオドールが苦笑しながら桃のタルトを切り分ける。そしてロゼッタの口元に差し出した。反射でそのまま口に入れたロゼッタは驚いて真っ赤になる。


「ね、またパンケーキを焼いてよ。やっぱり君はパンケーキを焼いているときが一番楽しそうに見えるから」

「……なんですの、それ」

「君のパンケーキは、君も食べる人達もみんなを幸せにするからだよ」


 照れ隠しで思わず口を尖らせるとテオドールが頬杖をついてこちらを見つめてきた。

 確かにパンケーキを焼く時間は、前世の記憶もあってロゼッタにとっては癒しの時間だ。それが周囲の人々の幸せにもなっているなんて考えたこともなかった。


(わたくしには、もう何もないと思っていたけれど)


 婚約破棄によって、ロゼッタは何のために自分が生きているのかよくわからなくなっていた。

 けれど自分の手で焼いたパンケーキで誰かの心をひと時でも幸せにできているのなら、それはとても嬉しいことだった。そのたった一言で自分の心まで救われてしまうような気がして、なんとも胸がむず痒いのだった。



「本当に今日はパンケーキいらないんですの?」

「うん、今日は隙間時間に抜け出してきただけなんだ。今頃部下がカンカンに怒ってるかも」

「そうだったんですの……。わたくしに付き合わせてしまってもうしわけなかったですわ」

「そんなことないよ。僕も楽しかったんだからさ」


 結局テオドールは喫茶ビクトリアまで買い出しの荷物を持ってくれた。お礼にパンケーキをごちそうしようと思ったのだが、今日の彼には時間がないらしい。残念そうに苦笑いして店の扉を開ける背中を見つめて、ロゼッタは思わず声を開けた。


「あの……! テオドール様」

「何?」

「今日はありがとうございました。またいらしてくださいませ」


 そこまで言ってロゼッタは赤くなる。

 一体自分は何を言っているのだろうと。相手は魔王なのだ。本来はここにいること自体がおかしいのだ。一瞬目を丸くしてロゼッタを見つめたテオドールがふっと表情を緩める。


「もちろん。会いに来るよ、ロゼッタ」


 そしてカランカランと錆び着いた鈍いベルの鳴る音を残してテオドールは帰っていった。


(会いに来るよって……目当てはパンケーキでしょうに)


 パンケーキ一枚でそこまで恩を感じられるとは。

 一見冷たく見える容貌は笑うと案外人懐っこく可愛らしい。なんだか胸がそわそわとして落ち着かない。


「テオドールさんがいらしてたんですか?」

「マルシオ様、もう腰の方は大丈夫ですの?」

「ええ、先ほど病院から帰って来たところですよ。マッサージもしてもらってだいぶいいですよ」


 ロゼッタがぼんやりと扉を見つめていると、店の奥からマルシオが顔を出した。

 腰痛の治療のため今日は病院に行っていたのだ。


「よかったですわ。でも無理は禁物ですわよ」

「はい、ありがとうございます。……ロゼッタさん、顔が赤いですけど店内は暑いですかね?」

「え!? あ……その、そうですわね? ちょっと暑いですわね!」


 マルシオの言葉に驚いて思わずロゼッタは自分の両頬を手で包んだ。そうだ暑い、暑いだけなのだと言い聞かせる。穏やかに微笑んだマルシオはコーヒーを淹れはじめた。


「では今日はアイスコーヒーにしましょうか。……ふふ、懐かしいですね。妻との若い頃を思い出します」

「べ、別にそういうわけではないですのよ……?」

「そうなのですか? でもテオドールさんは貴方を大好きなようですが」

「大好きなのはパンケーキだと思いますわ」


 ロゼッタがそう答えると珍しくマルシオが声を出して笑った。これは前途多難だと。気恥ずかしくてそっぽを向いたロゼッタの前にアイスカフェオレが置かれる。


「……正直に、素直になるのが一番ですよ」

「……?」

「私もね、最初はなかなか素直になれなくて妻と結婚するのに時間がかかったんです。色々後悔もしました。今でも後悔していることもありますよ」

「今でも……?」


 アイスカフェオレに口をつけていたロゼッタはひとつ瞬いて顔を上げた。いつも穏やかな笑みを浮かべているマルシオにもそんなことがあると思うと不思議だった。


「妻に、結婚してくれてありがとうと、言えなかったんです。いつか言うつもりでいましたが、その前に妻は急な病で逝ってしまった。だから、これは死ぬまで続く後悔ですね」

「マルシオ様……」


 なんと言っていいのかロゼッタにはわからなかった。

 けれどコーヒーしか美味しく淹れられない彼が、妻を亡くした今でも喫茶ビクトリアを続けている理由がなんとなくわかった気がした。

 彼はロゼッタが後悔しないようにと言ってくれているのだ。

 今のロゼッタには婚約破棄のことも、テオドールのことも、これから先の未来のことも何もかもどうしたらいいのかわからない。


(自分の気持ちに素直に、正直に……でも待ってちょうだい。彼は魔王ですわ!)


 本当にどうしてこんな小さな店のパンケーキに癒しを求めてくるのか謎でしかないが、彼はいずれエストレイア王国を侵略しようとする魔王だ。まったくそんな風には見えないけれど。

 まさかエストレイア国内で何か暗躍しているのではないかと、それとなく周囲を探ってみたがその様子はない。本当にただパンケーキを食べにやって来ているようにしか今のところは見えないが、聖女が現れたということはいずれ聖剣を持ったカミルと彼は戦うことになるのだろう。

 テオドールとはいつまでこんな関係でいられるのだろう?

 そんなことを考えるとなんとなくロゼッタの心は重くなるのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったらブクマや下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです。

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