3 魔王、喫茶店の常連になる
――そして一件落着、となるはずもなく。
「こんにちはー。ロゼッタ!」
「い、いらっしゃいませ」
にこにこ顔の魔王は三日に一度はやって来る常連となっていた。
そんな馬鹿なとロゼッタは困惑した。
(魔王って暇なのかしら)
「どうかしたのかい、ロゼッタ?」
「い、いいえお客様。今日のご注文は?」
「今日はこのクルミのパンケーキとコーヒーで。あと……」
「あと?」
注文を終えた魔王がなぜかモジモジしている。
大の大男が不審でしかない。
ロゼッタが内心引いていると、何か覚悟を決めたようにぱっと顔を上げた。
「僕のことはテオドール、と呼んでほしいんだ」
テオドール。
そういえば隣国の魔王はそんな名前だったなと思い出す。
魔王……テオドールはまるで大型犬のように期待に満ちた顔でロゼッタを見上げている。仮にも隣国の皇帝を名前で呼ぶなんて許されるんだろうかとも一瞬思ったが、本人が良いと言っているのだからいいかとロゼッタは開き直った。
「はあ……わかりましたわ、テオドール様」
「様はいいのに……」
「一応、お客様ですから」
「わかったよ。えへへ」
えへへってなんだ。
名前を呼んだだけで嬉しそうにするのはやめてほしい。一体何なんだとロゼッタはさらに困惑した。
こうしてロゼッタはどういうわけだか隣国の大型犬……ではなく魔王に懐かれてしまったのだった。
「ここのところ書類仕事が多くて肩が凝るんだ」
「それも大事なお仕事ですわ。わたくしにはよくわかりませんが」
数日ぶりに訪れたテオドールがうーんと伸びをする。腕が長い。
先にコーヒーを出しながらそう言うと不満そうに口を尖らせた。
「うちの文官たちは書類を作るのが遅いんだ。なるべく僕に見せるのを遅くしようとしてるんだ。怒られるから」
「それは……命の危機を感じているのかもしれませんわね」
「ねえ、それより今日はこのリンゴジャムを試したいんだけど」
何か1つ魔王の気に障ることがあれば処刑と聞いたことがあるロゼッタは、遠い目をして文官たちの苦労を思った。メニュー表を見て目を輝かせているテオドールがぽつりと呟く。
「書類にもどこに罠が隠されているかわからないからね。本当に息が詰まるよ。僕の癒しはここのパンケーキだけ」
「……それはちょっと重すぎますわね。誰か頼れる人はいませんの?」
「うーん、どうだろう……。人を疑ってばかりいたらわからなくなっちゃったんだ」
ローレンツ帝国は身内同士での争いが絶えず粛清も多かったと聞く。現皇帝であるテオドールも父を殺して(返り討ちにしたのだが)今の地位についたという噂だ。
そんな場所にいれば気が休まらないのも当然だろう。
まあ、気が抜けないのはこの国の貴族たちも同様なのだが。
どこの国も大変なのだとロゼッタは思う。
「お待たせしました。スフレパンケーキ、リンゴジャム添えですわ。こんなもので気が晴れるならいくらでも食べてくださいませ」
「ありがとう、ロゼッタ。いただきまーす」
嬉しそうにテオドールがパンケーキを頬張る。
身内同士での争いや戦争なんて本当に馬鹿げているとロゼッタは思う。
(みんなパンケーキでも食べて幸せになればいいのに)
我ながらお花畑なことを考えているなと自嘲しながらロゼッタは幸せそうにパンケーキを噛みしめるテオドールの横顔を眺めた。
「……泣き言は言っても、テオドール様は立派にお仕事をされているんでしょう? わたくしなんてパンケーキを焼くくらいしかできませんのよ」
次期王太子妃として妃教育を懸命に受けてきたが、屋敷から出てみればできることなどロゼッタにはほとんどない。記憶が戻る前はどうしてあんなに気位高くいられたのか不思議なくらいだ。
できることといえば前世の記憶を頼りにパンケーキを焼くことくらいだ。
「おや、私はとても助かっていますよ。ロゼッタさん」
「ありがとう、マルシオ様」
カウンターでカップを磨いていたマルシオに笑顔で返す。今ここにいられるのは彼のおかげだ。
「ロゼッタのパンケーキは食べるとね、なんていうか心が元気になる。そんなことをできる人はなかなかいないと思う。だから君はすごい人だ」
「そんな……テオドール様ったら。お世辞が過ぎますわ」
「お世辞じゃないよ。君は君にしかできないことをしていると思う」
優しく微笑むテオドールを見ていたら急に照れ臭くなってロゼッタは背中を向けた。自分のしてきたことが認められるのが、こんなに嬉しいとは知らなかったのだ。
そこではっとロゼッタは我に返る。
(いけない、いけない。彼は魔王ですわ。油断してはいけませんわ。……けど)
ちらりと視線を向ければにっこりと微笑み返してくる。
わふっと黒い大型犬がきらきらとしためで尻尾を振りながらこちらを見つめている幻覚が見える……気がする。
下手をすればゲームシナリオ通りに反逆罪に問われかねない。けれどあの笑顔を見ているとなんだか拒絶できない自分がいることにロゼッタは頭を抱えていた。
ロゼッタはまあまあ犬が好きだった。
「――ねえ、聞いた? 王太子殿下が聖女様と婚約されたんだって」
「あら、王太子殿下って他に婚約者がいなかったかしら?」
店頭で材料を注文しようとして、思わずロゼッタは動きを止めた。
テオドールが店へ来るようになってからひと月ほど経った。腰を悪くしたマルシオの代わりに食材を買いに町へ出ると、王太子と聖女の婚約の噂がそこかしこで流れていた。
「たしかアディノルフィ家のご令嬢じゃなかったかしら?」
「まあ、気の毒にねえ」
「法律で決まった結婚なんでしょう? 無理やり婚約破棄なんてひどいわ」
「でも、王太子殿下も大人しくそんな法律に従うなんて、そこまで婚約者様を愛してらっしゃらなかったのかしら」
グサグサグサ! とロゼッタの心に矢が刺さりまくった。
わかっていたことだがあらためて人に言われると結構傷つく。涙目でロゼッタは陰に隠れた。
カミルのバツが悪そうな顔をふと思い出した。
彼は別に悪い婚約者ではなかった。
子供の頃から優しかったし、頭も良くて賢くて、気の強いロゼッタが言うこともよく聞いてくれた。
けれど、そこに愛があったのかと言われるとよくわからなかった。
(わたくしは、カミル殿下を愛していたのかしら)
ロゼッタ自身も今では彼への気持ちがよくわからなくなっていた。
何しろ二人の婚約が決まったのはロゼッタが生まれた時なのだから。二人は恋人というよりは兄妹のような間柄だったのかもしれないと、今では思う。
今頃彼は、魔王を倒す聖剣を召喚するために聖女と共に旅をしていることだろう。
(魔王を……倒す……)
浮かんだのはパンケーキを泣きながら食べる情けない顔だった。
どくん、と嫌な風に鼓動が鳴る。
下手に知り合いなどになってしまったのがいけなかった。
ロゼッタは慌てて首を振って気分を切り替え、買い物を再開したのだった。
「ちょっと買いすぎてしまったかしら……」
よいしょ、と両手でずっしりと重い紙袋を抱えなおしてロゼッタは商店を出た。
この2か月ほどで一人で買い物をするのにもすっかり慣れてしまった。値切るのもお手の物だ。それも前世の記憶があるからできたことなのだけれど。
それにしても重い。これから喫茶ビクトリアまで歩くのが大変だと思った時だった。
目の前に二人の若い男連れがロゼッタに立ちふさがるように現れた。
「ねえ君、一人で買い物してんの?」
「なあもしかして向こうの通りで最近働き始めた子?」
「え? は、はあ……」
急に声をかけてきて一体なんなのだろう。
戸惑うロゼッタを二人はニヤニヤしながら眺めている。
「やっぱり! 最近噂になってるぜ。すげえキレイじゃん」
「なあ、俺たち緒一緒に遊びに行こうよ。ほら荷物持ってあげるからさ――……」
もしかしてこれは前世で言うところのナンパというやつでは。
面倒な予感がして後ずさるロゼッタに無遠慮に伸ばされた手は、なぜか直前でぴたりと固まった。
なぜか二人は急に青ざめてロゼッタの後ろを見つめていた。
「え?」
「やあ、ロゼッタ」
いつの間にそこにいたのか、背後にテオドールが立っていた。驚いてロゼッタは振り返る。
「テオドール様! 驚きましたわ。こんなに大きいのにまったく気配を感じませんでしたわ」
「うん、気配を消すの得意なんだ」
「妙な特技ですわね」
「――ところで、彼らはロゼッタの友達?」
にこにこと微笑んでいたテオドールの赤い瞳がすうっと細められて二人の男に向けられた。びくりと飛び上がりそうな勢いで男二人が肩を跳ねさせる。
「あ、その、俺達急用ができちゃって」
「す、すみませんでしたー!!」
ナンパ男二人はそれだけ叫ぶと風のようにロゼッタ達の前から走り去っていった。
「一体なんだったんですの……?」
「ところでロゼッタ、ずいぶん買い込んだね。お店のお使い?」
まるでナンパ男達の存在など、最初から無かったかのようにテオドールが爽やかに笑った。そしてごく自然にロゼッタの抱えていた荷物をさっと取り上げてしまう。
いや、それよりも重要なことにロゼッタは気がついた。隣国の魔王が普通に町中を歩いている。本人はあっけらかんとした顔をしているがロゼッタの方が慌ててしまう。先ほど一瞬頭をよぎった嫌な考えを思い出して、慌ててかき消した。
ロゼッタの荷物を軽やかに奪って歩くテオドールの隣に並ぶ。
落ち着きなく周囲を確認してしまうが、不思議と誰も彼の正体に気づいてはいない。
この国で彼の顔を知っている者の方が少ないかと納得する。ロゼッタは前世でゲームをプレイしていたから知っていただけなのだし。
「申し訳ありません。自分で持ちますわ」
「いいよ、お店まで送っていくよ」
どうやら喫茶ビクトリアに行くつもりだったらしい。それ以外の理由でこの町を歩くことはあるのだろうか、とふと思ったが怖いので聞くのはやめておいた。
「君が買い物に出てるってことは今日はもしかして定休日だった?」
「ええ、マルシオ様が腰痛で今日は通院日なんですの」
「そうだったのか。残念だなあ」
喫茶ビクトリアの定休日は不定期なのだ。
マルシオの気分で開けるし閉める。だいぶ自由な店だった。
「今日もパンケーキを食べに?」
「ああ、そのつもりだったんだけど……そうだ。じゃあどこかでお茶にしない?」
そう言ってテオドールが視線を向けたのは最近開店した流行りの喫茶店だった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったらブクマや下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです。




