2 助けた魔王とパンケーキ
「ロゼッタちゃーん。パンケーキひとつ!」
「はーい、パンケーキですわね。おまちくださいませ」
カランカランと錆びたベルが鳴る。
ロゼッタが喫茶ビクトリアで働き始めて1か月が経とうとしていた。
マルシオはロゼッタが訳ありだということも承知したうえで雇ってくれていた。さらに二階の空き部屋を1つ無料で貸してくれているのだから感謝してもし足りない。
ロゼッタは張り切って毎日パンケーキを焼いた。
そのうちそのパンケーキが評判を呼び、閑古鳥だった店はほどよい賑わいをみせるようになっていた。
パンケーキ以外にもパスタやサンドイッチ等メニューを増やしたのも効果があったのだろうと思う。
「こ、このパンケーキまるで雲みたいに口に入れると溶けちゃう……! おいしい!」
「お褒めいただき光栄ですわ」
感激した女の子が涙を浮かべながら食べている。
そ、そこまでかとも思ったが褒められるのは素直に嬉しい。
(それにしてもこの子どこかで見たことあるような)
ロゼッタは内心首をかしげる。
黒髪に眼鏡のどこにでもいるような少女だ。けれどそれが誰なのかはどうして思い出せなかった。結局彼女は涙目で本当においしかったです、と何度もお礼を言って帰っていった。
その日の午後は、急な大雨が降った。
午前中はにぎわっていたが、お昼のピークを過ぎると店は急に静かになってしまった。
「すごい雨ですわね、今日はもうお客様はいらっしゃらないでしょうか」
「そうだねえ、早めに店仕舞いしようか」
店の窓から見える外は土砂降りの雨で良く見えない。大通りから一本入った場所にあるため人すらほとんど歩いていなかった。そんな中、黒い影が窓の外をふらりと通った。
「あら?」
大雨の中ゆらゆらと不安定な足取りで傘も差さずに何か真っ黒い長身の男が歩いている。なんとも不安定な足取りでロゼッタは自然と目で追ってしまった。そしてやがて黒い男は壁に寄りかかって座り込んでしまった。
「た、大変ですわ!」
「どうしたんだい? ロゼッタさん」
「外に具合の悪そうな人がいますの」
急な体調不良だろうか。
慌ててロゼッタは店を飛び出した。今日は大雨で店の前の道は人通りがほとんどなく、彼を助ける者は他にいない。雨も気にせず彼のそばまでロゼッタは走った。
「……寒い」
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんですの?」
「え……」
俯いていたずぶぬれの大男が声をかけてきたロゼッタに気がついて顔を上げた。
恐ろしいほど整った顔に赤い瞳。
彼の肩に手をかけたまま、ロゼッタは固まっていた。
――前世で、その男に見覚えがあったからだ。
「…………お腹、すいた」
「……」
結局ロゼッタは黒髪に赤い瞳の大男を店に連れてきた。今はタオルで頭を拭きながら一番奥のボックス席に座って、ぼんやりと雨の町を眺めている。
「この辺では見ない人だねえ」
「は、はい……」
すっと通った高い鼻。色白の肌に黒髪と特徴的な赤い目。
窓から外を見る横顔はまるで美術品のように美しい。
コーヒーを出してきたマルシオの言葉に上の空でロゼッタは頷いた。
実は見たことがある。
もっと邪悪で、もっと尊大そうな顔をしていたけれど。
(どうして、どうしてあの男がここにいますの――!?)
意識して集中しないとパンケーキを焦がしてしまいそうなほど、実は内心ロゼッタは焦っていた。
なぜなら。
ちらりとロゼッタがカウンター越しに視線を向けると、ちょうど振り向いた赤い瞳とばちりと目が合ってしまい慌てて下を向く。
(あれは『星と海の輝き』のパッケージに一番大きく映っていた、魔王――)
地味な恰好にローブをまとい変装しているが間違いない。
あんな美形がそんじょそこらにいるはずがない。
どう見てもそこにいたのはゲームではラスボス。通称魔王と呼ばれる隣国、ローレンツ帝国の若き皇帝テオドールの姿だった。
エストレイア王国とローレンツ帝国は山脈を挟んで隣国にありながら、長きにわたり不仲が続いていた。今は休戦中だがいつまた戦争が起こってもおかしくない状態だった。ローレンツ帝国は広大な領地と鉱脈を持つが、エストレイア王国にあるような豊かな海や土地を持っていないからだ。
一年ほど前に即位した若き皇帝は気に入らない部下を次々と粛清し周辺の小国もあっという間に侵攻され飲み込まれてしまったのだという。そしてローレンツ帝国の民は魔法という通常の人間には使えない未知なる力を使うらしい。今代の皇帝、テオドールは中でも桁外れの魔力を持って生まれたことから、通称魔王と呼ばれていた。
――エストレイアに聖女が現れたのはおそらく彼を倒すためなのだろう。
そしてゲームでは、嫉妬にかられたロゼッタはこの皇帝と手を組んで聖女を陥れようとし……。
(い、いけませんわ! 余計なことは考えない、考えないでパンケーキを焼くのよ!)
一心不乱にパンケーキを焼きながらロゼッタは雑念を消した。
ロゼッタは今更聖女に嫉妬なんてしようとは思わない。婚約破棄のことはショックだが、このまま怨念を持ち続けても待っているのは処刑される未来だけだ。そんなことになるくらいなら、今はただ心穏やかにパンケーキを焼いて暮らしたかった。
だというのに、よりによって、なぜか魔王が目の前にいる。
(と、とにかくここは穏便にさっさと帰っていただきましょう)
ゲームのシナリオのように処刑などされたくない。
ロゼッタは素早くパンケーキを出した。
「さあ、こちらをどうぞ。お代はいりませんわ」
「……これは?」
「パンケーキですわ。温かいうちにどうぞ」
ぽつりと不思議そうに呟かれた穏やかな低い声。
じっとパンケーキを見つめていたロゼッタへと視線を向けた。
「……ありがとう。えっと、このタオルも貸してくれて」
「気になさらないでくださいませ」
お礼を言った。
ゲームでのクールで無慈悲で冷徹なイメージと違いすぎてついまじまじと見てしまった。おかげで赤いベリーのジャムのような目とばっちり視線が合ってしまう。
(落ち着くのよロゼッタ。いくら無慈悲で冷徹な皇帝でも食事のお礼くらいは言うかもしれないでしょう)
咄嗟に助けてしまった手前、見捨てることもできなくて店に連れてきてしまった。雨にずぶ濡れで今にも死にそうな顔色だったのだからしかたないと自分に言い聞かせる。
とにかく早く帰ってくれと願いながらロゼッタは深呼吸して心を落ち着けた。
それにしても隣国の魔王がどうしてこんなところに、と考えて一瞬背筋がぞっとする。まさかもう侵略を内部から始めようとしているのだろうか。それにしても魔王単体で下町にいるのはおかしいと思うのだが。
「――いただきます」
小さな声が聞こえてぎょっとして振り返る。
魔王、お行儀がちゃんとしている。
さっくりとスフレパンケーキにフォークをさして切り分け、小さな一口を食べるとほんのりと幸せそうな顔をした。
「おいしいなあ」
「どういうことですの!?」
「ロゼッタさんどうしたんですか」
ロゼッタが思わず叫ぶとマルシオが目を丸くして首をかしげていた。目の前のテオドールも目を真ん丸にした顔でこちらを見上げている。
「す、すみません。 なんでもありませんの」
不自然に顔をひきつらせたままロゼッタは答える。
ロゼッタの前世の記憶では、ゲームの中の魔王、テオドールは無慈悲に町を焼き、女子供であろうと容赦なく粛清する極悪非道の魔王だった。赤いワイン等をくゆらせながら玉座に座って悪魔のような笑みを浮かべるのが似合うのであり、断じてパンケーキを食べて子供のように微笑むのが似合うタイプではない。
「えっと……、このパンケーキを焼いたのは君かい? すごくおいしいよ」
「えっ……あ、あああありがとうございます!」
ふわりと微笑んだ魔王にロゼッタは顔を引きつらせてお礼を言った。
ここにきて疑問がわいてくる。
この人は本当に魔王だろうか?
魔王の空似じゃないだろうか?
だってあまりにもゲームの印象と違いすぎるからだ。
(そもそもこんなところに魔王がいるわけないのですわ)
「……本当に、おいしい」
「えっ」
もしかしたら別人なのかもしれないとロゼッタが思い始めた時だった。急にパンケーキを食べたテオドールがぽろりと宝石のよう涙をこぼしたのだ。
思わずロゼッタはぎょっとして固まった。
「どっ、どうされたのですか? どこか具合でも悪いのでは」
「ご、ごめん。違うんだ。あまりに君も、このパンケーキも温かくてふわふわで優しくて、つい……」
つい、で泣かれても困る。
しかも美形の大男が目の前ではらはらと泣いているのだからロゼッタもどうしていいかわからない。おやおやとカウンターのマルシオも驚いている。ロゼッタはハンカチを取り出して差し出してあげた。
「どうぞ」
「ありがとう、優しい人。ちょっと疲れがたまっているだけなんだ」
「そうでしたのね。お仕事ですか」
「そうなんだ……。部下は好き勝手なことばっかり言うし、ちょっと油断するとすぐ裏切ろうとするし」
ずいぶんと過酷な職場で働いているのだなとロゼッタは思った。
ハンカチで上品に涙を拭う大男はぽつりぽつりと話し出した。
「僕の力が強いばかりに父からも暗殺されかけるし。……返り討ちにしちゃったけど。おかげで皇帝なんかに祭り上げられちゃうし」
「…………」
やっぱり魔王だった。
水分補給に、と持ってきた水のお代わりをなんとかこぼさずにテーブルに置きながらロゼッタは内心頭を抱えていた。
それにしてもゲームのイメージとはだいぶかけ離れている気がする。なんだか頼りないし泣いているし。ぐいっと水を飲み干した魔王はまたはらはらと泣き出した。飲んでいるのは水なのにまるで酔っ払いだ。
「つらい……仕事もうやめたい……!」
「ええ!? そんなにですの? ああもうハンカチがぐしょぐしょ。こちらのタオルをどうぞ」
やはり魔王とは激務なのだろうか。
濡れたハンカチを回収して今度はタオルを貸してあげた。よほどストレスが溜まっているのだろう。
ゲームでは無慈悲にエストレイア王国に侵攻してくる魔王だった。聖女に対しても容赦ない攻撃を仕掛けていたことを思い出す。こんなメソメソした人物ではなかったはずだ。
しかし今目の前にいるテオドールは、まるで雨に濡れてしょぼくれている大型犬のようだった。
そんな姿を見ていると、さっさと帰ってほしい気持ちもあるが慈悲の心も湧いてくるものだ。
「こちらサービスですわ。元気を出してくださいまし」
「えっ……でも……」
「早く涙を拭いて食べてくださいませ。目が腫れてしまいますわよ」
仕事を辞めたいといったって、そう簡単に転職できる立場でもないだろう。
ロゼッタは追加のパンケーキを一枚焼いて魔王の前に差し出した。
最初驚いて目を見張っていた魔王はやがて涙を拭いて微笑んだ。それは何も知らない女子が見たら一目で恋に落ちてしまいそうな蕩けるような笑顔だ。
「ありがとう。えっと君は……」
「ロゼッタですわ」
「ロゼッタ。本当にありがとう。今日の恩は忘れないよ」
「おおげさですわ」
そして魔王は本当においしそうにパンケーキを味わって帰っていったのだった。
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