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9 パンケーキの力

「え!? ちょ、ちょっとやめてくださいまし!」

「フィオナ!?」


 その場にいた全員がぎょっとして、ロゼッタは慌ててフィオナのそばに膝をついた。


「頭を上げてくださいませ。一体どうされたのですか?」

「だ、だって、だって、私のせいでロゼッタ様はカミル様と……」

「それはあなたの責任ではないですわよ」


 涙目で謝罪し、土下座を続行しようとする彼女をひっぱりあげながらロゼッタは内心納得する。フィオナは自分のせいでカミルとロゼッタが婚約破棄になったことに責任を感じているのだ。そうえいばゲームでもそんなセリフがあったことをロゼッタは思い出していた。

 しかし主人公フィオナの思いもむなしく、ゲームのロゼッタは憎しみを募らせて彼女を拒絶するのだが。


 (いい子なのですわよね。実際ゲームでも国の未来を憂う心優しい乙女に聖なる力が宿るって伝承でしたし)


 ロゼッタはそっとフィオナの震える肩に手を置いた。


「これは国が決めたことですわ。国に振り回されたのはフィオナ様も同じはず。それにわたくしはもうこの人のことは何とも思ってないのでお気になさらず」

「え……?」


 背後でカミルが固まっていたが気にせずロゼッタは座り込んだままのフィオナに微笑んだ。


「それに、わたくし今は結構自由に楽しく暮らしているんですのよ」

「ロゼッタさまぁ……やっぱりファンです……!」


 いまだに不安そうなフィオナをよしよしと抱きしめる。

 言ったことに嘘はない。前世のように喫茶店で働きパンケーキを焼く穏やかな暮らしにロゼッタは幸せを感じていた。

 そしてカミルに視線を向ける。


「カミル殿下、そちらの席についてくださいませ」

「し、しかし」

「今日はわたくしのお願いを聞いて来てくださったのでしょう。これもわたくしの願いです」

「……どういうつもりなんだ、くそっ」


 カミルはちらりとテオドールを睨んでからため息をつき仕方ないと席に着いた。

 一方的に婚約破棄にしたことにいまだに彼も後ろめたさを感じているのだろう。今日はそれを利用させてもらった。

 一方フィオナは二人の席の正面にあるカウンター席の椅子に座ってもらう。


「それにしても一体いつの間にお店に……思い出しましたわ! 以前お店に食べに来られてましたわよね。でも髪色が違ってたかと……」


 ロゼッタがまだ喫茶ビクトリアで働き始めて間もない頃、パンケーキを感激して泣きながら食べてくれた少女がいた。それがフィオナだったのだ。けれど、その時のフィオナは黒縁の眼鏡をかけて髪もピンクではなくくすんだ茶色だった。


「あ、はい……。あの頃は急に聖女だなんて祭り上げられて、ちょっとした有名人みたいになっちゃってましたので。どうしても一人になりたくて変装をしていました」

「そうだったんですのね」


 恥ずかしそうにフィオナが言う。

 ゲームのロゼッタは聖女として現れたフィオナを憎んでいたが、彼女もまた急に環境が変わって大変な状況だったのだ。ゲーム内ではイケメンキャラクターとの交流がメインだったので、そんな彼女の内心はあまり描かれていなかったけれど。


「ところでロゼッタ、君が料理なんて本当にできるのか?」

「ふふ、まあ見ていてくださいませ」


 ロゼッタはボウルに入った生地をフライパンに流し入れながら答える。

 カミルの言いたいことはわかる。

 本来貴族の令嬢は料理などしないのだ。厨房など一生入ることもないのが普通だった。もちろんロゼッタだって前世の記憶を思い出すまでは料理をしようなんて発想すらなかった。


「やっぱりロゼッタ様のパンケーキって不思議……」

「え?」

「なんだか見ているだけで優しい気持ちになるんです」


 焼けていくパンケーキを眺めながらフィオナが呟いた。

 ロゼッタはローレンツ帝国の王宮でのことを思い出す。テオドールの側近のザシャによればこの何の変哲もないパンケーキには聖なる力が宿っているらしい。いまだにロゼッタには実感はないが、フィオナはもしかしたら何か感じているのかもしれない。


(本当にそんな力があるのなら、ぜひ今日の話し合いの雰囲気をなごやかにしてほしいですわ)


 ちらりと客席の方を見るとフィオナの背後ではテオドールとカミルが一言も話さず向かい合っていた。マルシオが先にコーヒーを出してくれたがカミルは一部の隙も見せずにテオドールを睨んでいた。テオドールはのんきにコーヒーにミルクをたっぷり入れているけれど。

 

 どうか話し合いが上手くいきますように、と祈りながらロゼッタはパンケーキを焼き続けたのだった。


 

「お待たせしました。こちらのパンケーキをどうぞ。これを食べたら戦争のことなんて考えられなくなりますわよ」

「はあ? バカバカしい。ロゼッタ、君はもっと聡明な女性だったはずだが。たかだかパンケーキで世界が平和になるなら苦労しない」

「そ……」

「なんですって?」


 ロゼッタは焼きたてのパンケーキをカミルとテオドールの前に並べた。

 雲のように白くて柔らかいスフレパンケーキだ。たっぶりのバターとメープルシロップにバニラアイスとベリーも添えた。

 しかしカミルはそれを一瞥してから馬鹿にしたようにため息をつく。その姿に一瞬テオドールが口を開こうとしたが、ロゼッタの声がそれを遮った。


「……たかがパンケーキ。ええ、そうですわよ。パンケーキに戦争を止める力はありませんわ。ですがパンケーキには人の心を癒す力がありますわ。フィオナ様も言っていたではありませんか。それにテオドール様もそう思ってくださっているんです。わたくしだって同じ想いですわ。雲みたいにふわふわとしていて、やわらかくて暖かくて懐かしくて優しい。そんな食べ物に救われる者もいるのです」


 ロゼッタは婚約破棄され前世の記憶を思い出して町をさまよっていた時、懐かしいあのパンケーキの焼ける匂いを思い出していた。そして喫茶ビクトリアに導かれるように入りパンケーキを焼いた。まるでそれは自分の心を慰め傷を癒しているようだった。

 そんなことをしているうちに、いつも緊張して張りつめていた心はどこか丸く柔らかくなっていた。


「パンケーキは人の心を少しだけ優しくしてくれるのです」

 

 ぽかんとしてこちらを見上げていたカミルがロゼッタの勢いにたじろいだ。


「だからって……」

「ですからこれでも食べて心を落ち着けて話し合えと言っているんですわ。無益な戦争を止められるとしたら、それは貴方達でしょうが!」


 二人は目の前に置かれたパンケーキを見つめて、それから顔を上げ向かい合った。



「……そもそも、帝国側が国境沿いの領地を襲ったのが始まりだろう。僕達は国を守るために戦っているんだ」

「それは違う。先に我が国の領地の住民を魔物だばけものだと差別したのはそちらだ。領地を広げようとしたのはそちらだろう」


 エストレイア王国とローレンツ帝国の国境での問題には長い歴史がある。長すぎてもはやどちらが発端だったのかもわからない。研究者によって見解がわかれるくらいだった。

 そしてどちらの国も相手が悪いと教えられて育つのだ。

 ロゼッタに促されて二人は話し合いを始めたが、今のところ責任の押し付け合いになっていた。

 パンケーキには手をつけず、テオドールを睨みつけてカミルが口を開く。しかしテオドールはそれに冷静に反論した。


(前世のゲームではエストレイア側からの歴史しか語られませんでしたわ。魔王の国が侵攻してくるとしか。それはテオドール様が魔王という倒される役割だったから)


 しかし今、ロゼッタが生きているこの世界は現実なのだ。三枚目のパンケーキをひっくり返しながら思う。真実なんてものは意外と簡単にひっくり返ってしまうのだ。

 王太子妃になると信じて生きてきたロゼッタが突然婚約破棄されたように。

 魔王と恐れられていたテオドールが甘いパンケーキを食べて涙するような人物だったように。

 ロゼッタが見守っている間にも二人は一歩も引かずに応酬を続けていた。


「帝国側の住民が魔法などという得体の知れない力を使うから――」

「エストレイア側が川上に勝手に砦を建てて水を塞き止めただろう」

「曾祖父の代の侵攻では」

「神代まで遡ればあそこはもともと帝国側の領地で」


 二人とも表面上冷静に話し合っているように見えるが、これでは平行線だ。

 何百年にも渡る長い戦いをしてきたのだ。話がそう簡単にまとまるはずがない。

 それはロゼッタもわかっていた。


「だってそっちのクソ王が挑発してきて」

「お前のとこの先代のバカ皇帝だって」


(でも、カミル殿下だっていたずらに戦争を起こしたくなんてないはず)


 だからロゼッタは賭けに出たのだ。

 まずは二人が、戦うはずだった王太子と皇帝が同じテーブルに着いて話し合うことから始めればと。

 しかしロゼッタの願いもむなしくカミルがテーブルを叩いて席を立った。


「バカバカしい! ロゼッタ、こんなことは無駄でしかない。いい加減夢みたいなことは……」

「――おいしい!」


 鈴の鳴るような可愛らしい声が店内に響いた。

 それは怒りをあらわにしていたカミルや、ひたすら冷静に対応していたテオドールでさえ、思わず毒気を抜かれてしまうような不思議な響きだった。緊張していたロゼッタもぱちぱちと瞳を瞬いた。

 その声は、カウンターに座ってパンケーキを一口食べて、感動に浸っていたフィオナのものだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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