62、騎士を断頭する者たち(11)
ガスパルは先月まで三年間帝国にいた。自ら志願して、妻のクラリッサと共に渡り、仕事も完璧にこなした。この国へ薬物を流していた賊との戦闘は、彼がいなければ死人が出ていただろう。
飛空艇の相部屋で、僕らは首都にいる兄と久しぶりに会える事を楽しみにしていた。でもアンドレは谷で仕入れた石炭をひどく不足している地域に売るため出立して、再会は叶わなかった。それを聞いてガスパルは数回頷き、会いたかったと悲しそうに呟いた。
そんな表情を見て、アンドレにわずかに嫉妬した。僕の騎士なのに、と偉そうに子供っぽく思った。
……邪推してしまう。
僕の背中は微かにちりちりとする。敵に備えているのではなく、自ら呼んでいるような不穏さを感じてしまう。
ふざけた事に、調達部の連中は旧帝国騎士団の決闘の取り決めをまだ守っている。他の国の騎士と対決する時は必ず本名を名乗ると言う。
でもアンドレは腕を切った奴の名前を言わない。僕ら若い騎士が執着すると心配しての事だ。
だからガスパルは帝国で三年耐えたのではないか。帝国兵を見ても、もし調達部と対峙しても、冷静でいられると知らせたかったのではないか。それから……斬った相手の名前を聞き出すのかは、僕にはわからない。
「ねえ、ねえ、ジェン! あれは、あれはペリグリーノよ、絶対そう!」
フリアの興奮した口調ではっとする。空を見ると、確かにペリグリーノの特有の風を切る音がする。
「あら、本当にペリグリーノ型ですわ。裸眼でよくわかりますね」
望遠鏡を覗くジェンが言った。
「本でしか見た事ないけど、船体の横にフリンジみたいな垂れ幕をなびかせるんでしょ? エンべロープが横に大きいから抑えられて、フリンジは真上にゴチャってならずに張り付いて、まるで翼が生えているみたいなんでしょ? あの型は特に東方の船が素敵よね。細部までこだわっているんでしょ? 高価だけど良い物を載せてそうな船って感じがするんでしょ?」
「……アテュル工房の船は、そこらの富豪でも買えない代物ですから、手摺一本、階段一段にも飾りを施します。でも、あれがそうとは限りませんわ」
「それでもいいから……」
フリアは呟いた。冬眠前の熊でも食料を譲るような切ない声だった。
「ねえ、ジェン、私全く疲れてないわ。ちゃんと歩くから。明日も絶対に歩くし、明後日だって、これからだって、ちゃんと歩くわ。荷物があるなら、自分で持つし、転ばないように細心の注意もする。だから……望遠鏡は、駄目?」
僕は彼女が言い終わる前から、コートの裏ポケットに手を突っ込んで、フリアの望む物を準備していた。さっと出すが、ジェンの方が早かった。
「あの船だけですよ。止まって見ましょう。ダニエルさん、先頭をお願いします」
「ああ! ジェン、愛してる!」
そう言ってフリアはジェンに抱き付いた。
乾いた気持ちが彼女の笑顔や高揚した声に幾許か癒やされた。……が、ジェンがは何故望遠鏡を貸す役を譲ってくれなかったのだろう。彼女は潜入するには演技下手だが、察しの良さはあるのに。
望遠鏡を握りしめ、ジェンの目を見ながら追い越す。目を合わせたら逸らさない猫のように、首の可動が適うまで見た。年上の従姉妹はわざと無視をして、唇を噛み笑い堪えている。
同じような顔をしたジーリレは足を止めた。
「団長、ちょうど良いので小休憩にしませんか」
「……まあ、そうだな」
フリアも落ち着いて見られるだろう。
「ちょっと休ませてもらいます」
僕らの会話を聞いていたダニエルが、街道から二十歩ほど離れた民家の方へ声をかけた。柵の向こうで、庭の木の枝を剪定していた老父が片手を上げる。
「あんたら商人かい?」
「いいえ、モンドラゴンの傭兵をやらせてもらってます」
「ここらじゃよく聞く冗談だね」
ダニエルは旅券を見せた。国から交付された派遣兵の許可証も兼ねたものだ。僕やフリア、キリルが持つ普通旅券は何の変哲もない白であるが、彼が掲げたのは辛子色である。
「ほう!」
と声を上げた老父は、梯子から降りたのか姿を消す。水を飲んでいると、家から出て来た老父がダニエルの旅券を求めた。熱心に見た後、妻の名を呼ぶ。妻はオリーブの実の塩漬けの瓶と葡萄酒を差し出した。
ダニエルは無精髭をさする。
「いや、お気遣いさせて申し訳ない」
「何言ってるんだよ。お前さんらが海賊を潰したんだろ? 俺の育てたオリーブを積んだ船もやられた。保険金はミミズの餌程しか貰えんかったと、卸してた貿易商は潰れちまった。地主の旦那様も、買い叩かない良い人だったって残念がってたよ。だから、今の安泰のお礼だと思って食べてくれ。あのアルベルト・カヌート閣下にもよろしく言ってくれ」
アルベルト・カヌートは親父殿の偽名だ。十年前、バブリア内海の海賊を滅した男の名はまだ威光があるらしい。この国は帝国に攻め込まれた後、白旗として成空碇の使用をやめ、海を利用した船舶が多くなり、それを狙う海賊が蔓延り、長年苦しめられてきた。
「俺は今でも覚えてるよ。昼寝してたら、村の郵便屋の若い奴が自転車でこの街道を通ったんだ。『アルベルト・カヌート、海賊を打ち破る!』って叫んでね。その声で息子と飛び起きて、新聞を買いに行ったよ。残り二、三しかなくてさ。強い男ってのは、やっぱりいいよ。その記事、見るかい? まだ残してるぞ」
親父殿が褒められると、ダニエルは破顔した。
「いえ、俺も持ってるんで。お言葉に甘えて塩漬けを頂きます。しかし、歩くんで酒はやめときますよ。みんな、下戸でして。水で乾杯させて下さい」
僕とキリルは大人たちの輪から外れて見ていた。僕とフリア、キリルは外の世界ではモンドラゴン商会の遊学支援を受けた学生という事になっている。
「来年はあちらの輪に入れますね」
キリルが言うように十六になれば、国が発行している派遣兵の許可証が取得できる。
「早く剣や鞭を腰元に備えたい。今、特に落ち着かない」
「俺もです。鞄でぶん殴る事になるのは、勘弁して欲しいです」
老父の労うダニエルたちは商会の傭兵という身分なので帯剣しているが、僕たちは大っぴらに武器は持てない。すぐ出せる装備はナタとナイフ、鉄串、あとは外套の裏ポケットに痛み止めに似せた毒。それに本が入った革のカバンだ。辛子色の旅券があればジーリレに持ってもらっている麻袋の武器を纏える。
水を飲みながらフリアを見ると、ジェンがぴったりと寄り添っていた。彼女も派遣兵だ。守るためと、栗鼠を隠しているのだろう。
羨望の眼差しになる前に、キリルへ話しかける。
「親父殿の隠した案件は見当は付いたか?」
「……何となくですが、調達部がらみだろうとダニエルさんと話してました。でもマーロウ卿と交渉するので、内輪の厄介事であると思います。たぶんヴァランタン将軍に関してではないしょうか?」
マーロウ卿が内々に鎮めたクーデターの、裏で糸を引いていたと噂される人物だ。
僕は親指を隠して拳を握る。手信号で暗殺を意味する。
「まさか。そこまでは無いですよ。穏健派の政治屋が、俺たちに始末を任せるなど、バレたら開戦、マーロウ家は売国奴扱いされて破滅です。それに俺はどうしても先代の後始末という印象が拭えないんですよ。だから将軍に加えて関係あるとしたら……」
「海賊の生き残りか?」
キリルは頷く。
「クーデターの時期もおよそ十年前です。これらがどう繋がるのかは、まだわかりまけんけど」
「実働する僕たちには余計な情報を入れたくないのか」
キリルはチラッとガスパルを見た。
「私憤、公憤入り乱れると、舵取りが難しくなると、ダニエルさんは言っていました」
そこで僕らはパッと笑顔をつくる。老父の妻が塩漬けのオリーブを楊枝に刺して、こちらに向かって来た。
「学生さんたちもお食べよ。傭兵さんと歩くなんていいねえ。悪い輩が出て来ても安心だねえ」
占星術の予言のような言葉に、キリルと苦笑する。




