60、騎士を断頭する者たち(9)
扉が開く音がして振り返ると、親父殿がいた。黒のスリーピーススーツに赤色のネクタイ姿だ。世間への建前はモンドラゴン商会の傭兵部門を統括する幹部となっている。
旅路でキリルやジーリレが親父殿の思惑を探ったが、「若い騎士に夫婦の関係を学ぶとはまさに老いても勉強だな」と、母さんとの関係を不安視する以外は何もわからなかった。徹底して隠すつもりのようだ。
お互いなおざりの挨拶を交わすと、父はフリアを挟んで立つ。
「ウィル様、おはようございます」
「おはよう。声は新しく聞こえたかい?」
「いえ、ありません」
フリアは成空碇に関しての不思議な感覚や声の事を親父殿へ全てを話した。それは騎士団で共有する情報なので仕方ないが、親父殿は暇さえあれば彼女を機関室に連れて行き、雑談をする。祖父の声が聞こえるかもしれないと思ってのことだ。
フリアはいろんな話を聞いたと、調理場で教えてくれた。父は僕より知識は豊富だし、披露できる話も多い。凄惨で身の毛がよだつ経験もしているし、腹が捩れるほどの笑い事も数多くある。小さい頃から弟と聞いてきたから、話の上手さも知っている。
おそらくフリアの感情の揺れで成空碇が反応するのではないかと実験しているのだ。彼女の母や僕の祖父、コトヴィアの声を聞いた時、心が揺れていただろう。だから喜怒哀楽に語りかけるような挿話を聞かせて確かめているが、まだ一度も聞けていない。
僕がその役目を果たしたいが、失敗した事も、血みどろの仕事も、あまり聞かせたくないと思ってしまう。恥ずかしいし、怖がらせたくない。怒っても欲しくないし、できれば笑って欲しい。でもきっと、楽しい気分では骨の声は聞こえないと思う。強い願いがある時に聞こえるのではないかと僕は推測している。
飛空艇はドックが空くのを待つ間、バルクガラを旋回し始めた。
「フリア殿、駅を見てごらん。基地と倉庫の間だ」
親父殿の言葉で僕らは北へ望遠鏡をずらす。
北にはドックと倉庫街の他に軍の基地がある。徴兵された新兵の教育はここで行われ、連隊規模の兵士が在中する。倉庫と基地の間を抜けるように線路があり、駅が置かれている。
「すごい人の数……。みんな、列車を待っているんですね」
とフリアが言った。
聞いていた通り、駅には人集りができていた。石炭の高騰で列車の本数が減り、乗車券が絞られたのだ。首都に向かう列車には通過便が出ているらしい。
「馬車はと言うと、見てみなさい」
倉庫街の一角には乗合馬車の停留所と馬駐があり、駅と同じく人が集まっていた。しかし馬が空っぽだ。と、なると……。
南の街道を見る。いつもより人が歩いていた。首都まで三十キロ。歩ける距離だ。荒野とは言え道は整備され、民家や店もある。朝から歩けば検問には辿り着くだろう。そこには大きな宿屋があるので、だいたいがそこで一泊して朝一で検問に並ぶ。
「譲り合いが試されているのだよ」
親父殿は僕らを見て肩をすくめる。
バルクガラを古くから治める家の当主が、騎士のためならと荷馬車を確実に手配している。しかし乗り合わせられないか、必ず他の者が交渉に来る。そう言っているのだろう。三十キロの距離を歩けない、無碍にもできない者たちに譲るべきだと。親父殿と文官騎士の二人は急ぎ首都へ戻る用事があるらしく、乗るのは決まっている。僕らが歩けばその席は空く。ただ、フリアは……。
「三十キロなんですよね? 私、それくらいなら大丈夫ですよ。今、八時前だから、たぶん夕方までに歩けます」
隣のフリアは望遠鏡を外して、さも当然に言った。
「君は馬車に乗りなさい。叔母殿の仮住まいに今日泊まれるぞ」
魅惑的な提案だ。もちろん彼女は迷う。
「でも……、そうですね。いや、でも、うーん……迷いますけど……私、歩きます。足の皮も厚いし、歩き慣れているから、たぶん平気です。それに……」
フリアは朗らかに答えた。
「ママ……母も歩いた道なんです。私と同じ年齢で、首都の高等学校に行くために。バルクガラで降りて、浮いたお金で本を買おうと思って歩いたと話してました。それがどんな道か見たいんです」
……なんて素敵な決断だろうか。そしてルシア殿、深く感謝する。僕も一緒に歩ける機会はあなたがくれた。
「そうか。ならば、くれぐれも道中気を付けたまえ」
親父殿は口髭をなぞる。感動を打ち消して、何か引っかかる物言いだ。フリアに馬車を勧めたくなるような……。しかし、主導権を握る父が決定した以上、不本意でも従うしかない。
部屋で陸路を行く荷物をまとめていると、ガスパルが言う。
「何もなければいいですが……」
「まだないと思う。キリルもそう言っていた。首都での日程は二週間あるし、その後はマーロウ卿との会談は北の国だ。事態が動くなら、半月先と見てる。おそらく北の国での仕事だろう」
それでもガスパルは僕の荷物を見下ろして、思案顔をする。
僕の荷物は鞭と剣、予備の剣、銃や火薬、毒、鉄串、薬一式、スリング武器。それらをマントに包んで麻袋に入れるとぱんぱんに膨らんだ。手荷物の検閲は、北の国の潜入している騎士が融通を利かせてくれるので、持てるだけ持って行く。
何もなければいいと思うのは、僕の願望に過ぎない。何しろ息子の結婚を利用して仕事の段取りを組む男の掌の上だ。不安がないと言えば嘘になる。
平服に着替えると、飛空艇は揺れ始めた。積荷がほとんどなく船体は軽い。本来の出立の予定は一ヶ月先だったためだ。載せるはずだった谷での生産品は期日通り親父殿の船で出荷する。
船は地上から二十メートルの空中待機中に横からアウトリガーを張り出し、人工的に造られた溜池に着水する。海に比べる程ではないが、機関部のある船尾を軸に上下に揺れる。揺れが小さくなると、ドックの整備士たちが固定する足場を組んで、溜池の水位を下げる。船首から船尾まで底に張られている竜骨のみが池に着いた状態となれば、成空碇の鎮静化が始まり、タラップが用意される。
「顔の傷はどうしたんだい?」
溜池の艀で入国審査を担当する北の国の若い検閲官が言った。ジーリレのバルジャン家のルーツと同じく銀髪は長く、三つ編みにして一つに束ねている。
「……夫婦喧嘩です」
「一方的な?」
電報を読んでないのか、と問いたくなる。
「……いや、まあ、そうですね。一方的に僕が悪いんです」
「ふうん」
検閲官はにやにやと笑った。兄やジェンと同じ二十二歳、北の国の騎士団長のビャークラン・ミケルセン。豊かな銀色の睫毛や水色の瞳、石鹸に血を一滴混ぜた白肌、儚げな妖精のような顔……には似合わず、制帽をつばの下げて、僕に意地悪く笑う。
「君の旅券は派遣兵の公用旅券じゃないから、顔の怪我は目立つよ。わかってる?」
「……分かってます」
「普段からアンドリュディオはちゃんと化粧をして隠していたよ」
彼はまだ僕をアンドレの弟にしか見ていない。
「これでも隠してるんです」
ビャークは白い手袋で僕の右頬の傷をなぞった。
「へえ、ほんとだ。なら、いいんだ。僕は君の予定の消化を待ち侘びているから、気になってしまうのかな」
結婚の宴が延期されたことをチクリと言われる。
「仕事の兼ね合いで、ちょうど僕も妻のレイチェルもこの街にいるし、君たちの谷へ行くのは手間にならない。でもさ、ここは木箱とオリーブと砂しかないんだ。なるべく早く招待状を頼むよ。もっと鮮やな色味や、感嘆溢れるこの国の言葉を習いたい」
「春、貴方の興味をひいた温泉に入れます」
「ほう、いいね。湯気のこもる池と百花繚乱の草原。そんな土地を薄い沐浴着で妻と闊歩できるなんて御伽話のようだ。楽しみにさせてもらうよ。ではエルディヴァン・コジャト、ご武運を」
ご武運を?
聞き返してしまいそうになる。
ビャークは僕の未来を知っているのか。武運が必要になることを。確かに事が動くなら北の国だが、彼も参加するのか? それは予測の付かない事だ。
少々、鮮やかな怒りが再燃する。
命を賭けて伴侶を得ようとした男の常識が、全くわからない。




