59、騎士を断頭する者たち(8)
体にマントを巻き付け、張り巡らされたパイプに囲まれた通路を歩く。シュルシュルと音が響き、成空碇の融解されたガスをエンベロープからボンベへ移している。高度は徐々に下がり、もうすぐバルクガラの上空で旋回し始めるだろう。
僕はフリアとジェンの相部屋をノックして、要件を伝える。
「フリア、外廊下に行かないか? 親父殿に景色を眺めないかと誘われた」
「行くわ!」
そう答えてすぐ、彼女はワクワクしながら出て来た。
白いブラウスに紺のスカート、黒の毛糸でできたボレロを羽織っている。紺のスカートの裾には白糸で花の刺繍が細かにあり、ボレロの前を留めるリボンは光沢のある黒い絹で、ブラウスの襟はレースになっている。
あの時と全く同じ衣装だ。
「……ケープを着た方がいいよ。風が強いから」
「そう。じゃあ着てくるわ」
僕はこの短い間に五日前の事を思い出してしまう。
キリルの思惑通りになったあの夕刻。フリアの舞いについて行けずに背中をバシンと叩かれた。走り気味の演奏に足がもつれたからだ。彼女の鮮やかな手捌きに僕は吹き出して、観客も一緒になって笑った。むしろ彼女が押すように叩かなかったら、手を付いていたから、助けてくれたのかもしれない。
最後、僕のせいで中央よりかなり左に立った。フリアは僕が差し出した手を掴んで、くるりと回ってこちらに倒れ込む。それは完全なアドリブで、本当は手を繋ぐだけだ。とっさに左腕で彼女を支えると、僕らは見つめ合い、短くキスをした。どちらともなく、ギターと歌声の余韻を止めるように、踊りの一部のように。一瞬だけ軽く、瞬きで見過ごしてもおかしくない、本当に刹那、沸き立つ歓声の前触れのように。
フリアが扉が開ける直前、僕は背を向ける。
「行こう」
「ねえ、谷より寒いの?」
後ろを歩くフリアが言った。
「谷よりは寒くない。どうして?」
「あなた耳が赤いから。外にいたんじゃないの?」
「……これは関係ないよ」
キスをして、どうなったかと言えば変わりはない。船で料理を一緒にしたが、お互い普通だった。普通とは何かと問われれば、僕は顔を熱くしてパンやチーズを慎重に切って、彼女は平然としてリズミカルに料理をするということだ。
会話も大差ないが、親父殿が記されていない一角栗鼠の生態を教えてくれた。そしてコトヴィアの声が聞こえたことも。
——僕は空が好きだから、たくさん見たい。そう聞こえたわ。不明瞭だけど、あどけない感じだった。
それは成空碇がコトヴィアに残されている事となり、やはり栗鼠も気付いた。コトヴィアの保管される港の倉庫の前を通った際、騒がしくなったらしい。小さな耳を忙しなく動かし、額の丸い角を前足で撫で、歯をカチカチ鳴らしたという。ジェンが倉庫を開けると、一目散に排気管に潜り、炭のように黒い欠片を見付けて来た。
一角栗鼠は成空碇を見付けると歯で削り、散らばった粉を体に擦り付ける。猫でいうとキャットニップ、東方ではマタタビと呼ばれる草に見せる反応と似ている。多幸感に包まれたようにうっとりとするのだ。
しかしエスピラルは成空碇の欠片をフリアに渡したと言う。厳密に言えば、頬袋に溜めた三つの欠片を彼女の足元に全て出した。
ジェンがハンカチで欠片を包もうとすると取られまいと噛み付いたが、フリアが同じ事をしても反応はなく、欠片をジェンに渡そうとするとジェンに噛み付く。
まるで欠片はフリアの物であるかのような行動で、見えない所でハンカチをジェンに渡しても気付いて暴れる。だから未だ彼女が欠片を持っている。
これがこれからどのうように作用するのか、キリルもまだわからない。おそらく悪い方向に進むのだろう。
だから思考をダンスから離し、グラデーションのように変える。顔の火照りは治った。
フリアと空に張り出した通路へ出ると、飛空艇は雲を抜けていた。眼下は白土と乾いた草の大地が広がる。進む北方には砂風にけぶり、うっすらと旧都が見えた。彼女はジェンから借りたのだろう、望遠鏡を覗き込む。
やがて古城を囲む赤土色の屋根の街並みや、小高い山へ続く道にも家が連なり、鉱夫を乗せたトロッコが動いている。飛空艇のエンベロープに溜まったガスが安く手に入るため、ガス式だ。
「一度、出国するのよね?」
バルクガラの西には飛空艇のドックと貸し倉庫が立ち並ぶ。船で首都に訪れるなら、ここに置くのが一番近いが、この国は成空碇の使用を禁じているため、そこは北の国の飛地である。
「うん。旅券はジェンから貰った?」
「ええ。でも、私一文字も書いてないのに、どうやって用意したの?」
「いろんな方法を経て」
彼女は数度頷くと、それ以上は聞かなかった。
一から十まで説明すると、役所に潜り込んだ騎士を五人は登場させなくてははならないし、ジーリレがフリアの筆跡を完璧に書き写せることを伝えなければならない。
たぶん彼女は面白がるだろう。しかしここはもう騎士の谷では無い。船を降りれば誰に見られても、聞かれてもおかしくない。これからはそういった興味を削がなければならない。僕もまた嬉々として質問に答えるのは控えなければならない。




