58、騎士を断頭する者たち(7)
城砦の中は模擬野営に勤しむ声が響いていた。塀に沿って進んでいると、フリアがぽつりと言う。
「……複雑かしら? お祖父様が飛空艇を動かしてるって。知りたくなかった?」
彼女は心配する声音だが、僕はむしろ納得している。歴代団長の役割の一つだと言われてもおかしくない。
足を止め、彼女に体を向ける。
「感謝の方がある。移動は飛空艇に頼るから、僕なら自分を使ってくれと言うし、祖父も似たような考えを持っていたと思う。それに何だか心強いよ。本当にスパナを投げようとしていたのは、予想してなかった。君を止めるなんて、僕じゃまだできなかった」
フリアはほっとしたようだ。
「また角牛みたいな扱いするのね」
「角牛は可愛かっただろ。あの優しい目が……僕はとても好きだ」
彼女を見つめると、やはり顔が熱くなる。言葉がつっかえないよう、ゆっくりと話す。
「もっと、何か聞いてもいいよ。君が不安に思ったりする事があれば、取り除きたい。僕が答えられる事や、できる事があれば言って欲しい」
彼女は眉間に軽く皺を寄せた。やはり不安に思うことはあるのか。
「一つ……頼みがあるわ」
「何だろう?」
キュルキュル頭を回しながら構える。
「西門でハグして」
「西門で……ハグ。ハグ?」
頭は急停止。驚いて聞き返す。
彼女は少しソワソワするように体を揺らす。
「そうよ。結婚の宴はキリルさんに歌を任せたんでしょ」
何の話か全く見当が付かない。
「そう、だけど……」
「だから、工房長に最後の『太陽と剣』を歌わせて欲しいんだって。昼過ぎにサンドラさんと一緒にバルジャン家に来たのよ」
キリルが? なんて行動の早い奴だ。即日で祖父に埋め合わせをするとは。
「あの曲は結婚の宴でしか流さない。西門でやっているのはただの模擬野営だよ」
「『奥方には心労をかけますが、今日の日が沈む頃、西門前で抱擁をして下さい。団長がもし断ったら、頭の固い人ねと叫んで、ビンタをどうぞ』との事よ」
「こ、工房長が歌うために、どうして僕らが抱擁するんだ?」
「『歌い手の情熱を灯すため』」
「君が精神的な疲労を伴うなら、するべきじゃないよ。観客はいるんだ。勝手に歌わせればいい」
「バイラの方がいい?」
「……その質問は本当に困る。比べるものではない」
「そうかしら? 脇目も振らずに抱きしめたくせに。あ、もう暗くなっちゃうわ。行きましょ」
フリアはスタスタと歩いて行ってしまう。診療所を曲がると、子供たちが彼女へ挨拶をする声がする。
空はもう青と赤が混じり合い、白い雲を染めている。確かにそろそろ暗くなる。不思議な言い方をしたコトヴィアの件や、栗鼠の様子について尋ねたかったが、話はあらぬ方へ向かっている。
ハグ……抱擁。
僕にはただの僥倖だ。
……でもフリアはきっと違う。たぶん自分のせいでキリル夫妻が冬季放牧に行けなくなったと思っている。その負い目で請け負ったのではないか。
後を追い診療所を抜けると、学舎が現れる。その間は地面がならされ、広場として使われている。そこには谷中の子供たちが集まっていた。六歳から十二歳までの九十四人。二人が病欠、一人が軽い怪我をして診療所で待機。西門へ続く道だけは石畳が敷かれ、その両脇に即席で石を積んだ竈門がいくつもある。簡易なパンを焼いたのだろう。香ばしい匂いが鼻をかすめ、冷ます間にチーズやハムを切っている。
「待ってくれ、フリア!」
そう言うと周囲の視線が刺さる。子供たちへ挨拶を返しながら彼女に追い付くと、声をひそめる。
「子供以外に、騎士や婦人会もいるんだよ」
「見ればわかるわ!」
フリアはぶっきらぼうに言った。その言い方と、焦っている僕にさらに視線は集中する。
「キリルたちの冬季放牧は確かに残念だけど、君のせいじゃないよ。そんなことあの夫婦は思わないし、来年倍の休みを確約した。だから無理に変な頼み事を聞かなくても良いんだよ」
「これって変なことなのね!」
「いや、あの……うん、僕は変だと思うよ。本当にここでするのか? 嫌じゃないのか?」
「何回言えばわかるのよ!」
彼女はそう言って駆け出した。道の先、塀に沿った水路に架けられた橋を目指している。橋の奥には西門があり、こちらへ来る者たちがいる。キリルとサンドラだ。
「団長、どうかされましたか?」
「フリア様、どうされたの?」
どうしたかだって……? 役者夫婦が何を言う。
「やめやめ、見るな! みんなは食事の準備をしろ!」
キリルは子供たちへ注意しながら、さらに視線を集めて橋の袂まで行く。
そこでフリアは顔を隠してそっぽを向いた。サンドラが話し始めると、足がトタトタ小さく動く。それは感情が溢れた時の彼女の癖だ。……さっきは演技というわけか。肩が震えているのは笑いを堪えているのだろう。
西門からジェンも駆け寄って来る。フリアの背中をさすった。何も知らなければ泣いているように見えるかもしれない。
「よう、首尾は上々だな」
隣のキリルはマントではなくエプロンで、普段の話し方だ。あっけらかんと言った。
「よう、じゃないだろ。何なんだよ、これは」
キリルは緩む口元を手で隠し、眉間に皺を寄せる。
「一つ、心意気を見せてくれよ」
「工房長に歌わせたいのなら許可する。でもハグって何だよ? なくてもいいだろ」
「冬季放牧、冬季放牧、冬季放牧……」
「……お前、まさか昼間にそんなやり方でフリアを粘り落としたのか?」
少し怒気を含ませて言うと、キリルは大げさに首を振った。
「おい、おい。奥方は『協力してくれてがありがとう』って俺に仰ったんだぞ。ありがとう、だぞ? お前が言わなかった礼を、奥方から聞けるなんて嬉しかったよ! 涙が出た! だから調子に乗って、お前の言うように粘り落とした。さすが団長、ご名答だよ」
「キリル……」
「けっこうノリが良かったぞ。ジェニファーさんより演技が上手いし」
「まさかジェンも噛んでるのか?」
「だってがっつり俺のこと監視してるんだぜ。ありゃ先代の差金だな。だから、もう巻き込んじまえって思ってさ。でも、そのおかげですげえリアルになったよ。子供たちを見ろ。赤鳩だから、見ないようにして気まずそうだ。これは食事も楽しくないだろうな。しかし、そこで団長は——!」
「酷いやり方だ。フリアの意思を無視するなよ」
「何だよ。彼女はキスじゃなくていいのかって、二度も聞いたんだぞ」
「え、キス? そこまで彼女は許しているのか?」
その反応にキリルは頬を膨らませた。吹き出す前に僕の肩で俯いた顔を隠した。ひとしきり笑う。
僕は首元の布を鼻まで引き上げる。
「お前、ほんとその癖やめてくれよ。口が隠れてるとさ、俺でも勘違いする時あるんだよ。怒ってるって思う奴がたくさんいるんだぞ。まあ、だけど今はしとけ。それから、間違ってもキスはするなよ」
幼馴染はまだ笑っている。僕は城砦の高い塀が作る夕闇に感謝する。竈門の火に炙られたように熱い。
そこへ夕陽を背負う工房長が橋を渡って来た。アーチ型の構造の一番高い部分で立ち止まり、ポケットに手を突っ込み、暮れる空を見上げ目を潤ませる。その横からギターを背負ったキリルの父親が一足先に橋を渡った。
「団長、恩に着ます」
通り過ぎ様に言われ、モンドラゴン劇場は佳境に入ったとわかる。師は背負うギターを前掛けにして抱いた。婦人会の集まりへ向かい、事情を説明し始める。
それが合図なのか、幕が上がったようにフリアがこちらを見る。腰元の栗鼠のポーチが外されていた。ゆっくりと距離を縮めて僕を見る。キリルは手信号で再度『ハグだけ』と念を押し、離れていく。
彼女は堂々としていた。
「大丈夫?」
「僕は……大丈夫だよ。なあ、君が無理しているなら……やめた方がいいと思う」
「何よ。本当に恥ずかしいのはそっちでしょ。私のせいにして断るつもり? やっぱり大したことないわね」
音が一瞬、遠のいた。
……キャア! まあ! 見ろよ! 何?! みんな、西門の前だ! 作業止め、傾注! わああ! ヒュー! 何よ、仲良しじゃない! キスすんのかな? 俺たちでさせるんだよ! せーの! キース、キース!
「こら、キスなんて言わない! お止めなさい!」
ジェンが棒読みでそう言った。
野次を隈なく聞き取る耳。没入できない頭が冷静になる。
思わず動いてしまった……。また間違えたのではないか? やっぱりこの谷には住まない、とならないだろうか。
彼女の背に回した腕がぎこちない。どうすればいいのかわからない。正解がわからない。フリアは嫌じゃないのか? その一点に集中して、ひたすら怯える。滑稽なほど腕が震えてしまう。
「ジーリレさんの言った『けいちゅう』って何?」
彼女の声に不満は無かった。僕に身を寄せて、フリアの耳が右頬に付いている。背中にも何か感触がある。肩甲骨あたりのマント、裏ポケットに軟膏やバームが入った箇所をきゅっと掴んでいるのだ。彼女も僕を抱きしめてくれているのだ。
また音が遠のいてゆく。
「……注目しろ、って事だよ。たぶんジーリレはこうなるって知ってたんだ」
「そうなの。あ、耳を澄ませると、サラが笑いを堪えているのが聞こえるわ」
「うん。さっき咳き込んでたね。変わった打楽器みたいだった」
「失礼よ、それ」
でもフリアは声を出して笑った。肩を震わせて、頬を赤くしている。彼女も顔が熱くなるのか……。隠してしまいたい。
婦人会のパトリシア会長は少々呆れ気味だが、他の大人は微笑んでいる。キリルの父の口を読むと「午前と同じく、イメルダ様の御了承は得ています。五分ですから」と言ったようだ。
「……まさかと思うけど、キリルはイメルダお祖母様への許可を君に取らせたのか?」
「よくわかるわね。手袋で口元を隠されて、ずいぶん考えてらっしゃったわ。怒られるかと思ったけれど『赤鳩よりはマシですね』って、許可してくれたのよ」
「それは今の僕と同じで、緩む口元を隠していたんだよ」
「そうだったの……。ふふ、安心したわ。思いきり踊れそう」
「え、お、踊るの?」
「そうだと思うけど」
フリアはキリルの父に目を向ける。どうやら許可が出たらしく、僕らを通り過ぎて、橋の上の工房長の元へ駆け寄った。二人はマントを後ろに払う。薄闇でもわかるほど、シャツはまさに一張羅だ。そして歌い始めを待つかのように、じっと僕らを見つめる。
「ほらね」
パンが冷めるのを待つ子供たちは、ジーリレや騎士の誘導の元、僕らの前に行儀良く横列を成す。あっという間に人垣でつくられた舞台に立つこととなる。
「お祖父さん、学ばせて頂きます!」
キリルの声がした。たぶんどこかでサンドラと共に見ているのだろう。探す余裕はない。フリアが僕の口元の布をそっと下げるからだ。わあ、と子供たちが歓声を上げた。
そして彼女は抱擁を解いて二歩下がる。着ているケープのボタンを一番上だけ残して外し、工房長たちと同じく後ろに払った。
「位置取りを忘れていたら、みんなの前で恥をかくわよ」
頬の赤い可憐な騎士は挑戦的に笑う。
どうやら、受けて立つしかないようだ……。




