57、騎士を断頭する者たち(6)
フリアは目を伏せた後、意を決したように僕へ向く。
「あなたの船の動力はお祖父様なんでしょう?」
ザッと靴音がした。自分が後退したのだと気付くまで数秒かかる。
「……知らない」
騎士として誤魔化すまでもなく、本当に……。
焦る頭は疑問符で埋め尽くされ、矢継ぎ早に質問をしようと口を開きそうになる。しかし一旦全て飲み込まねば。昨日、水門へ向かう船で彼女にした態度は余裕の無いものだった。打ち明ける彼女は勇気を出してくれたのに。
船の成空碇が誰であったのか知っているのは、保管する塔の墓守だけだ。飛空艇の完成間近、アロンソの工房が算出した成空碇の重量を元に選ぶ。今ならラモンがその役割である……。しかし彼は塔に住んでいてフリアと接点はない。
「……昨日、親父殿が何か言った?」
「ウィル様は石の声が聞こえた女の子の話をされただけよ」
石の声が聞こえた……?
「成空碇を密輸した人たちが、ゴランフィルを通ったとき、小さな女の子が箱の中に人がいるって衛兵に言ったらしいの。その事件は聞いたことがあったわ。関連を疑われて、無実のマヌエルさんが一カ月も勾留されたから。きっとその女の子って、ママなんだと思う」
「つまり……親父殿は君の反応を見るために、ルシア殿の昔話をしたのか?」
「ええ。ママや叔母さんから聞いた事はないけど」
理由はどうあれ、ゴランフィルの主が一時捕まったのだ。発端の娘が幼いなら、親が同じだけマヌエルの部下に拘束されてもおかしくない。以降、身内でも軽々しく言う事を禁じたか、恐ろしい勘違いとして処理したのか。
「私、思い当たる事を話してしまおうか迷ったんだけど、動けるようになったマリーザが怒鳴り込んで来て、ウィル様は後々詳しく聞かせて欲しいと仰って終わったわ」
彼女は溢れた髪の毛を耳にかけ、少し高揚をみせて言う。
「それまで半信半疑だったの。でもウィル様は私を試すような言い方をした。だから私の勘違いではないのかもって、もう一度写真を見ようと思ったわ」
「……写真?」
フリアはこくこくと頷く。
「ベステ様にも見せてもらったけれど、もう一度バルジャン家でお願いしたの。その後あなたがお兄さんの話をして、今日のお昼にイメルダ様からも話を聞けて……確信したわ。あの船の成空碇はあなたのお祖父様だって」
彼女の言ったことを反芻するが、上手く理解できない。
「……フリア、ごめん。僕はよくわからない。どうしてわかったのか、具体的に教えて欲しい。それに、石の声ってどういうこと?」
城砦から模擬野営にはしゃぐ子供たちの声が聞こえた。それを注意する騎士の声も聞こえるが、今話していることとかけ離れていて、異国の言葉のように耳が捉える。
フリアは胸の前で手を握りしめて、さらに声に熱を込めて言う。
「私、初めて船に乗った夜、本当にスパナを投げるつもりだったの。でも振りかぶったら、成空碇の水槽がビリビリと震えたわ。その時『やめてくれ』って聞こえたの」
彼女は無意識なのか、僕に歩み寄る。堰を切ったように話し出す。
「それから私、マリーザにズボンと腰布は街に着いたらやめるように言われて、喧嘩したの。飛空艇が海を進んでいる夜よ。喧嘩というより、一方的に私が喚いただけなんだけど。どうにも悔しくて、寂しくて、納得できなくて、機関室で今度は成空碇にスカートを投げ付けたわ。そのときは、絵も流れ込んできた。絵がね、動いているのよ。白昼夢っていうのかしら。私の記憶には無い不思議なもの。山羊に乗ろうとした子供が振り落とされて泣くわ。あれはあなたなのよ」
「……わからない」
「そばにいた白い被衣のおばあさんがあなたをあやすの。弓矢を背負っているから、大お祖母様よ」
「確かに……母さんと同じで弓と剣ができた人だ。でも……曽祖母が存命なら僕は二歳とか、すごく小さい時だよ」
彼女は目を見開いて、僕の返答を喜んだ。
「そうよ! 走るのに慣れた頃くらいかしら。言う事なんて聞いてくれない時。ふっくらした頬が走るとブルブル震えてたわ。あなたはまた山羊に駆け寄って行く。山羊は怒って突進して、ポーンって飛ばされちゃう。そこでお祖父様は『やめてくれ』って言う。あなたは抱っこされるわ。絵の視点はね、お祖父様なのよ。あなたは大粒の涙を雨のように降らしてジタバタしているの」
写真は祖父じゃなくて、僕や曽祖母を確認したのか……?
「ちょっと、待って……。祖父の視点で絵が流れるなら、本人は写らない。どうして視点が祖父だってわかったんだ?」
「あなたを高く掲げる腕には色とりどりの網紐が巻かれているの。虹みたいに綺麗なのよ」
網紐は祖父が大切にした腕飾りだ。曽祖母が無事の帰郷を祈願して、編んだという。しかしそれはシャツの下に巻いていたから……。
「……景色の中で、湯気の出る池は近くにある?」
「ええ、あるわ。あなたもお祖父様もほとんど裸で、放牧された山羊がジロジロ見ているの」
「……覚えていないが、確かに僕は曽祖母と祖父母の湯治に一緒に行ったことがある」
八年前に亡くなった祖父は、僕が生まれた頃バブリア内海の海賊との戦闘で骨を痛め、晩年は隠居していた。湯治に連れて行った猫の一匹が山羊に突っかかり困ったと、祖母は今でも話す。まさか僕のことか……。
フリアは僕を見てクスクスと笑っている。昼食でその話をイメルダお祖母様から聞いたのだろう。
「さっき『やめてくれ』って端折ったけど、本当は『泣き虫だからやめてくれ』って聞こえたのよ」
「……飛空艇で、ずっと聞こえていたの?」
「違うわ。あの二回だけ」
「普通の音と同じなのか?」
「いいえ。耳の奥から目の方へ揺れて、聞こえるの。軽い眩暈に似てる。少し寒くなった。私の体温は奪われて、そこに声や絵が入り込む感じ……。まるで時間がギュッて固まってカチカチになっていたのに、私の中で溶けて流れ始めるみたい。そしたら、また体が暖かくなるの」
フリアは昂るように話していたことに気付いたのか、うまく飲み込めない僕を見て頬を強張らせる。
「……ごめんなさい。こんな突拍子もない事言ったら、驚くわよね」
「それは、驚いたけれど……。君は辛くない?」
「どうして?」
「だって、戸惑うだろ。急に骨の声や思い出が頭に入ってくるなんて」
「戸惑っているのは確かね。でも辛くはないわ。もっと、見たいって何故か思うの」
「記憶を?」
「ええ。品が無いわよね。でも、お祖父様の記憶ってすっと馴染んだの。部品を組み立てるみたいに、隙間を埋めるような……体の一部みたいになるの。言葉を選ばずに言うのなら、私の物だった気がするわ」
千の家系を調べ一冊にまとめた男が思い浮かび、さっと用意された質問を口にしてしまう。
「ルシア殿の墓からも声はしたか?」
彼女はふわりと笑った。
「ええ! 四回したわ。全部、お墓でわんわん泣いた時。絵は見えなかったけど、きっと誕生日の夜よ。八歳と九歳の時だと思う。一緒にグララタンを作って、どれだけ私の事を誇りに思っているか眠るまで言ってくれた夜よ。私、自分で作り出しているのかと思ってた。でも、気のせいじゃなかったの。あれはママの言葉なのよ」
それを聞いて、彼女の受け止め方の明るさに安心するだけでいい。
しかしイグナシオ・トニエが頭をもたげる。何故、千羽書を書き、どうやって調べたのか……。その理由を考えてしまう。
——私の物だった気がするわ。
……これがどう危険になるのだろうか。帝国の調達部のように彼女に墓荒らしをさせるにしても、一角栗鼠で事足りる。しかし親父殿は『まだ危険は少ない』と言っていた。フリアの真価を僕以外で、誰が決めるのだろうか……。
考え込むと、視界の端でフリアがスカートをぎゅっと握り締めた。顔を上げると、笑みが消えている。
「……気味が悪いかしら?」
「そんなことない」
「いいのよ。私、どんどん自分が面倒な奴になっていくのわかるわ。帝国軍人の父を持つだけでも充分なのにね」
俯いたフリアは自虐的に言った。
「ゴランフィルで鶏の世話をしているくらいが、いいのかもしれない。静かにそっと、ママみたいに死んでゆくのが自分にできる事なんじゃないかって思う」
「何だよ、それ。本気で願いが変わったなら、そういう手筈を組むよ」
僕の過ぎた冗談に、彼女は右目を少し細め口の端を上げた。
「ママを愛してるけれど、絶対にそんなの嫌」
「……良かった。話してくれてありがとう。僕も伝えたい事がある」
特別栗鼠に好かれる事や、ルシア殿の首都の事件を言うと、彼女は興味深々だった。そしてイグナシオ・トニエについて、千羽書を省いた説明をした。彼女と同じ体験ができるのは、彼の血族だけだと。昔からそういう人間が一定数いたと印象付けて、世界に彼女一人という事は伏せて聞いてもらった。
「……この事って、あまり口外しない方がいいのよね?」
「あまりじゃなくて、絶対に」
「気味が悪いから?」
僕のさっきの反応は、フリアが再度確認するくらい不安になるものだったのだろうか。彼女は冗談めかしているが、目や口元に緊張がある。
「気味が悪いなんて思ってないよ。さっき黙ったのはフリアを利用する奴らが現れるか、考えていたんだ。それでしかめっ面になっていたのかもしれない」
「……そうだったの」
「そうだよ。栗鼠にモテるのも困るし」
「毒は使わないでよ」
「そんな事しないよ。木の実を遠くに投げて気を逸らすくらいだ」
思わず強く言ったが、彼女は頬を緩ませてクスクスと笑った。
それから、どちらともなく歩き始めた。聞いた僕も、たぶん話したフリアも頭に熱がこもっている。長く沈黙して、僕らは自分の時間として使った。
あの成空碇が祖父というのは信じるが、彼女には共感できない。唯心的で、死後もなお精神は存在するような……。わかるよ、と言う者もいるのだろう。しかし、僕には言えない。
ただフリアは説明に徹してくれたし、僕は理解に励んだ。それ以上のことは、今はないと思う。
……でも、まだ彼女には不安が残っているかもしれない。僕ができる事はあるだろうか。それをどう伝えようか迷いながら、城砦の裏門を潜った。見張りたちは、押し黙る僕らの様子にまた喧嘩したのかと顔を見合わせていた。




