55、騎士を断頭する者たち(4)
説明を終える頃、母屋の扉が開く音がした。キリルが立ち上がる。
「少し失礼します」
彼は廊下に出て、すぐに茶の道具をトレーに乗せて戻って来た。サンドラはジーリレと会っていないが、ちゃんとカップの数は合っている。
「彼女、本当に大丈夫か?」
ジーリレが少し同情を滲ませて言った。
「ええ。昨夜から首都で散財する品を吟味してます。騎士の妻たるや絹と夫を待て、って感じですよ」
絹は谷で生産がない。ねだる者が多いと聞く。
キリルは茶を注ぐ間、思案しているのか口を閉じた。僕の説明の間、二度頭を掻いて一度目を見開いたが、お手上げといった様子ではなかった。それに少し胸を撫で下ろし、彼の淹れた茶を受け取る。
「……この件って、創案から実行まで先代のワンマンですか?」
「ほぼ確実に。マントから資料が出てくる時はほとんどそうだ」
彼は何度か頷く。読み込んだ過去の報告書を頭の中で開いているのだろうか。
「それにしても、栗鼠はどこに行ったのですか?」
「どことは?」
「いや、話の中で忽然と消えましたよね。さして大事ではないのかと思いまして……」
キリルは渡した資料をパラパラと捲りながら言った。
そこには生体の特徴が書かれていた。簡潔に言えば、栗鼠の興味を惹くのは成空碇とイグナシオ・トニエの血族である、ということだ。
裏付けもされていた。父は夜半にゴランフィルでリスの番を放ち、どこに行くのか調べたのだ。角牛や羊たちが反応しない五百から七百メートル離れても、林の手前のフリアたちの家へ向かったと記されていた。
キリルの検討の間、茶を飲む。美味いのは用意したサンドラのおかげだろう。
「そういえば昨日の昼、先代は言いましたよね。『話すことは栗鼠で決めた』と」
ジーリレも茶を飲んだ後に言った。
「それはフリアに栗鼠を与え、フリア本人で直接検証した結果を言ったのだろう」
一角栗鼠は目立つ。知っている者は知っている。日中のゴランフィルで放したら、治安局と新聞屋が飛んでくるだろう。しかし父は確証を重んじる。
「フリアが風呂に入っている間にジェンに盗人のような事をさせ、形見の指輪を鑑定するくらいだ。確かめられるのなら、徹底的にする」
眉を寄せるキリルを見た。どうやら納得していない。
「そういう方だと存じておりますが、先代が直々に資料までしたためたのは、大陸全土の騎士団へ禁忌の通知をするおつもりかと。それが栗鼠の生態だけとは考えにくいです。『まだ危険は少ない』と仰ったのなら、新たに何か記載する予定ではないでしょうか? しかし昨日、話はなかったのですよね?」
「部屋には母もいたから、できる話ではなかったのだと思う」
キリルは数回頷く。
「では、団長が奥方ご本人にお聞きください。先代が話す手間を省いたように感じます。たぶん奥方はわかっていらっしゃるのでは?」
フリアが既にわかっている……。確かに彼女なら自分で気付くかもしれない。それに彼女は昨日、親父殿の船に乗って街まで帰った。そこで資料にまだ記載できない、イグナシオのトニエ家の確証のない事を調査したのだろうか。
「わかった。早いうちに聞く」
「はい。では栗鼠の件は一旦これで終わりましょう」
「次は要の話ですね。どうすれば俺たちは大円団を迎えられるのか、聞きたいものです」
ジーリレはやや緊張した面持ちで言った。
キリルはマーロウ卿の資料に目を通したまま、何の気無しに喋る。
「八割無理でしょうね。マーロウ卿が娘婿の転職を願っているのですから」
「二割いけるのか」
「おい、二割も算段あるのか!」
僕とジーリレが前のめりになるので、キリルは顔を上げて驚いた。一瞬固まった後、声に出して笑う。
「あくまで俺の感覚的にですよ。というか、お二人はどれだけ絶望してたんですか」
わりと深刻に、と僕は控えめに言う。ジーリレは窓の外を見て茶を飲み始めた。
「ただ先程も話したように、この件は先代の独断で動いています。マーロウ卿との交渉はお一人でされるつもりでしょう。二割は先代に懸かっているのです」
キリルは笑みをしまうと、カップの茶に視線を落とす。
「ダニエル先生に言われて過去の報告書を読み漁っていますが、先代お一人が画策される場合、要件を細切れにして各騎士に指示します。前の副団長であるバルトロメさんがいるなら、彼には大筋を言うかもしれません。しかし俺たちには事が終わるか、大筋を任せられなければ教えられない」
そういう事は僕もジーリレも過去幾度かある。特に潜入が必要のときは余計な事は言われない。金持ちの家でホールボーイのようなことを二週間して、主人が治安局に捕まって解雇され、よくやったと言われたこともあった。
後から聞けば、従者に出される食事には成空碇を飲み込める程度に砕いた欠片が含まれており、手洗いの掃除をする男が汚物の樽を仲介役に渡し、砂金掬いのように取り出していたらしい。
父は感情が場違いであると不利益を産む、との持論を持っている。しかし潜入十日目で、伝令役のバルトロメは証拠の品を求めた。まだ何も知らない僕に、この袋に出して来いと言われた衝撃は忘れられるものではない。
「団長は結婚の破談の見返りをどう予測してますか?」
頭から過去を吹き飛ばす。マーロウ卿に提示する交渉内容は昨晩思い当たっている。
「去年、ドロスハット家が金鉱脈を当てたのが関係あると予測する」
南の大陸のドロスハットは姉ディララの嫁ぎ先だ。モンドラゴン商会の出資の元で採掘事業を成功させた。
「固い線ですね。輸送路のバブリア内海の海賊を掃討しましたし、下方変動の少ない帝国貨幣を稼ぐチャンスだと俺も思います」
「マーロウ卿と極めてプライベートな交渉って、帝国に資源を与えることなのか?」
ジーリレは不快を滲ませる。
「副団長、相手は政治屋です。しかも既に調達部の伝手で先代と連絡を取り合っています。最新の飛空艇の図面が欲しいと言ったら、マーロウ卿の首が刎ねられますよ。直接関わりがない貿易のパイプ役に目を付けると思います。この国の海や陸路を使えば、輸送費のマージンを慰謝料代わりに落とせますから。それくらいなら、愛娘を引き取る父親に周囲は目を瞑るはずです。しかし、これは大義名分であると俺は思うんですよね」
「僕もそう感じる。親父殿は密約という言葉を使った」
「ええ。鉱石を売りたいにしても、先代はそこまで守銭奴ではありません。こんな仰々しく帝国の政治屋を使うなど、少しおかしいです」
キリルはカップを手に持ったが、口を付けずにテーブルに置いた。
「言葉がアレですが……、俺はどうにも団長が尻拭いの手伝いをしているような気がするんです」
親父殿が失敗したと言うのか。
「どこが気になる?」
「そもそも帝国と交渉するところですよ。……何かマズったのかな、って思うんです。予想外な事が起きているのか。それを治めるために、先代の方がどうしてもマーロウ卿と交渉したいのでは?」
親父殿の方がどうしても……。その視点は無かった。確かに昨晩、ムカつくほど交渉に対してやる気に満ちていた。
「でも、僕がフリアを妻にしたいと言ったから、この事態になっている」
「誰が夫でも、奥方がマーロウ卿の娘であることに変わりありません。団長じゃなくても、少佐でも、他の騎士でも、卿が動くなら良かったのでは?」
ジーリレがキリルに問う。
「つまり、フリアさんや貿易とは別の件があるってことか?」
「そうなのかなー、って感じですね」
確信のないキリルが首を傾げるのを見ながら、ジーリレが指でテーブルを叩く。
「まどろっこしいな。本当に片付けたい事を先代が隠してるってことだろ? そのメリットはなんだ?」
「奥方を取引に使うなんて、団長の反発は目に見えていますから、関連がないように処理させたいのでは?」
「まるで僕が反旗を振るようだ」
キリルはふっと笑う。友人の時の笑みだ。
「お言葉ですが、団長はけっこう我儘で頑固なところあるじゃないですか。誰が止めても聞かない時ありますし。七歳の時、春の熊の方が弱いってみんなに言い張りましたよね? 春の熊なんて誰も近寄らないのに、見付けて倒しちまって、ほら見ろって笑ってさ。頭がやばい時がありますよ」
「そ、それは兄も言い出したことだ」
「いや、アンドレさんはお前が言う事聞かないから、付き合ってくれたんだよ。まあ、どっちにしろ熊より恐ろしい兄弟ですが」
ジーリレが鋭くキリルを見る。
「仕える身の言葉遣いを忘れるな」
「おっと、すみません。俺もまだ頭が整理できてなくて。まあ、そういう若さ故の暴走も先代は考慮したんじゃないでしょうか。物事の流れがどうあれ、今の団長は奥方優先になりますよね?」
……そうなるかもしれないが。
「でも親父殿が帝国に交渉してまで抱える事案なら、僕だって騎士として向き合える」
そう言うと、仕える身のジーリレが眉を垂らした。
「まあ俺の喝は届かず、実家の雨樋も壊されましたが、団長はやる時はやりますからね」
「ぼ、僕は従うだろ。勝手な行動を起こしたら、谷が危険になるかもしれないんだぞ」
「春の熊が街に降りて来たら、どうするおつもりだったんでしょうか」
それを聞いたキリルがガタッと立ち上がった。まるで閃いたときのダニエルのように。
「ああ、それだ!」
ジーリレと二人で彼を見上げる。
「谷の安全が脅かされるのは、次代を背負うあなた方に最も効果的なストッパーだ。お二人が自己犠牲に至っても仕方ない。カチカチっと嵌まりましたよ! いや、ダニエル先生が心酔して従うわけだ。先代は豪胆に見せて策謀に長けていらっしゃる!」
僕とジーリレは顔を見合わせる。よくわからない。
「キリル先生、わかりやすいご教授を」
ジーリレが肩をすくめて言った。
「この件は先代にとって一石三鳥なんですよ!」
僕は少し考えて、言葉を出す。
「三鳥の一つは大義名分の帝国貨幣だろ。残り二つは検討が付かない。推測を教えてくれ」
キリルは再び座ると、ぬるくなった茶を一気に流し込んだ。
「一つは先代の主たる隠された案件です。おそらく先代が引き金を引くまでわかりません。ワンマンであるべき事で、団長に知られたら瓦解するかもしれない事です。奥方も関係しているのでしょう。そのために谷が危険になるというストッパーを明示して手綱を握った。わかることと言えば、稀代の騎士が得意な事、まあ、簡単に言えばドンパチでしょうね」
「それは帝国にも旨味があるドンパチなのか?」
ジーリレが不審感を露わにして言った。
「はい。俺はマーロウ卿に新たな貸しを作れる事だと思います」
「はあ? いったいそんな戦闘、誰が敵なんだよ?」
「それは船に乗らなくてはわかりません。でも片付けたら、先代の手札が卿よりも多くなるような敵ですよ。そしたら大円団に一歩近付くでしょう」
「……僕とフリアの事を認めさせるのか」
「ええ。それは残りの一件に繋がります」
キリルは僕をじっと見つめた。赤茶色の目の瞳孔は開いている。
「団長、もし奥方とこの街に住めるように先代がマーロウ卿を説き伏せたら、お父さん大好きってなりますよね?」
「……なる」
そんなの、ならざるを得ない。
「どんな事があろうとも、ベステ様より先代の味方をしちゃいますよね?」
「……すると思う」
しないと恩義に反する。
今度は隣のジーリレが勢いよく立ち上がった。
「そうか、ベステ様の流刑か! 詰所でイメルダ様はそれを言ってたんですよ!」
確かにお祖母様も懸念があると示唆されていたが……。流刑のことか。すっかり忘れていた。
東方諸国連合とこの国と北の国は同盟を結んだ。その調印式の三日後だ。裏で動いていた祖父と共に行動していた父は、母さんに髪飾りで刺された。
「公にはなっていませんが、祝いのムードを血で染めてしまった責任を感じ、連合の一角マルグレラダ領領主はやむなくご息女を流刑としました。課した刑期は二十五年。それが二月後に明けます。ベステ様は晴れて自由、裏に隠れた婚姻の義務も跳ね除けられます!」
城砦から歓声が聞こえた気がする。ジーリレも窓の外を見たので、父母の喧嘩が始まったのか。
「先代は俺たちが産まれる前からの懸念事項の解決を望んでいるんですよ。ベステ様が故郷にお戻りになるのなら、あなたに恩を売り味方に付け、ベステ様の説得の糧にしたいというのが、残りの一件だと思います」
ほう、とジーリレが息を吐いて椅子に座る。どうやら、僕と違い納得したようだ。
「しかし、すごいな。破綻したら最悪、団長も先代も俺も離縁かよ。いや、前副団長のバルトロメさんもか……」
こんなの笑えないのに、ジーリレは半笑いだ。
「副団長方の自戒を実行するとそうなりますね。仕える者が失う物を手放すなど、俺には誓えません」
「先代はやるなら流刑の明ける今だと思ったってことか?」
「ええ。抱える問題全てを水門の絡繰のように一つに組み込んだんです。俺は効率的で見事だと思います。しかしマーロウ卿がどう出るかわかりませんので、博打に近いですが」
「あの人は好きそうだ」
「はい。俺もそう思います」
「……でも、僕に恩を作ってまで説得させなくても、母さんは帰らないだろ」
彼らの会話に割って入る。ジーリレが茶を飲み干して、僕に問う。
「確信はどれほどですか?」
「…………弟がいるし」
「孫が見れるのなら、領主閣下はお喜びになるのでは?」
ウルバノを連れて、母さんが帰る……。そもそも父はまだ確証を得ていないのか。母さんが故郷に戻るかもしれないと、思っているのか。
——べステの髪飾りは避けれた。
過去の父の発言だ。
昨晩、父は飛空艇に母さんが忍び込んだと言った。しかし全部仕組んだのだろう。状況をつくり、命を賭けて刺されに行ったのだ。
それで得た関係は、今になっても自信がないのか? そうだとしたら……え? いったい二十五年、何をやってたんだ? それで、なぜ僕とフリアが巻き込まれないといけないんだ? マーロウ卿の説得だけなら、僕が二十歳になるまでの五年で水面下で上手くゆくようにできたのではないか?
そもそも僕は彼女に鼻を折られずとも、肋骨にヒビが入らずとも、五年間ゆっくりと口説けたのだ。いや、それどころか助けてくれたお礼を言いに行けば、感動の再会だって味わえたはずだ。なのに僕は彼女に嫌われて——
いや、落ち着こう。ジーリレとキリルが心配そうにこちらを見ているではないか。攫うと決めたのも、船室で無理やり抱こうとしたのも、最後は僕が決めたのだ。落ち度を全て擦り付けるのは間違っている。
「事を整理しよう。聞いてくれ」
今度は僕が席を立つ。すっと息を吸い込んで話し始める。
「親父殿には二つの悩みがあった。一つは帝国とどうしても交渉したい件、もう一つは母さんの刑期が終わる事。そこに僕がフリアを妻にしたいと言い出した。それでピンと来る。どうせ騎士である息子の事をマーロウ卿はよく思わない。だから、フリアとの結婚は反対しないでおこう。これで帝国との交渉の場は設けられる。待てよ、そうだ、何とかフリアを街に住めるように交渉にねじ込んだらどうだろう。案件は帝国にも旨味がある。上手くいけば息子に恩を売って味方に付いてもらえる。夫婦の仲を取り持ってもらえるではないか。そういえばマーロウ家は大きな鉄鋼商会があったな。戦時下でも無いから売れるだけ売って、運送費から資金を得られるぞ。それを大義名分にすれば、息子はがむしゃらで気付きはしない。しめしめ、これは一石三鳥だ。……ということで、合っているか?」
「……はい。俺の予測と合っています」
キリルはずいぶんと申し訳なさそうに言った。彼は悪くないのに。ああ、ダメだ。自分でおどけて言ったのに、どうにも頭が熱くなる。でも母さんなら「正直にいていいの」と言ってくれるだろう。
「あの糞親父! 人の結婚を博打にしやがって!」
キリルとジーリレは、カップやポットを持ち上げてくれた。だからトレーが宙に舞っただけで、木のテーブルにシミはない。殴った箇所は盛大に折れてしまったが。
僕はまた弁償代を用意しなくてはならない。




