54、騎士を断頭する者たち(3)
昨晩、親父殿に恩があるダニエルは役に立てなくなるかもしれないと正直に言ってくれた。
元より彼は先代の騎士団と今の騎士団の取次役だ。また僕の代でもダニエルに代わる長けた記憶力や洞察力を持った騎士を備えなくてはならない。後継は数日前に決まっている。ジーリレやガスパルは僕より年上の騎士を候補に上げたが、彼は珍しく頑なに自分の選択を主張した。
冷気の入る扉を振り返る。ダニエルが指名した騎士が不服そうな赤茶色の目で僕を見ていた。コーヒー色の髪と眉尻が薄いのはモンドラゴンの血筋だ。
「キリル、久しぶり」
ジーリレに押されるように部屋に入った彼は手に持ったベルトを僕に差し出す。
「……団長、お久しぶりです。これ、ベルトです。祖父が放って心配でしたよね。お納めください。さて、これで俺の仕事はありません」
見事な愛想笑い。棘のある口調。冬季放牧を死守するポーズはわかりやすい。
ベルトを受け取りマントにしまう。隣の椅子にジーリレが座り、僕はキリルへ向かいの椅子を勧める。
「君の祖父や父はまだ帰らないと思う」
彼は椅子に座らず、窓際に寄り城砦の方角を指差す。
「ええ、歓喜の指笛が聞こえて親父がギター持って走り出たので諦めてますよ。でもまあ、ご存知の通り納期の遅れはありません」
「この革工房は君で成り立ってるよ」
「新婚なのに大変だな。同情する」
ジーリレも愛想笑いを貼り付けて再度着席を促す。だが、キリルは座らない。
「団長よりはマシですよ。それに俺には冬季放牧がありますんで」
はっきり言うか……。微かな自慢は僕への当て付けだ。
「訓練や見張り当番、ダニエル先生の出す課題の合間、寝る間も惜しんで働いております。団長も色々と頑張ってくださいね。結婚の宴で俺が出る幕はありませんが、祖父さんも親父も楽しみにしてますよ」
キリルは一歩摺り足で後退する。
「ああ、もちろん」
「じゃ、俺ちょっと金物屋に顔を出してきます! 団長、出立日にマノロんちのバルに顔出してくださいよ。みんな集まるからさ。一口だけでも茶を飲もうぜ。またな!」
鞭を軽く飛ばしてドアノブを回らないよう固定する。彼の手は大好きな革の感触がするだろう。
「キリル、僕たちは気心知れた幼馴染じゃないか。そんなよそよそしくしないで、今茶を飲もう。もうすぐ君の妻が出してくれる」
「……喉乾いてないんだ。この鞭外せよ。ドアノブが壊れちまうよ」
「そうか。二年前、僕はゴランフィルに潜入した。理由は妻のフリア・トニエの素性調査だ。妻としての調査ではない。親父殿と北の国が協力して突き止めたイグナシオ・トニエの末裔としての調査だ。イグナシオ・トニエの説明はダニエルからされてるな?」
「……お前、ほんとに先代に似てるよ。俺はマリーザ夫人の気持ちが嫌ってくらいわかるよ」
「そうか。ダニエルから説明は受けているんだな。フリアの出自については知っていると思うが、加味して欲しい事柄がある。話は十五年前に遡る。首都で起きた事件が始まりだ」
「ああ、俺も親父に付いて行けば良かった……」
キリルは椅子に座らない。扉の前で項垂れる。
これは問題のある騎士です、とテーブルの下でジーリレが手信号を見せた。愛想笑いを剥がし、叱責の準備をしている。
確かにここまで渋るとは思わなかった。彼は騎士として予定の変更は往々にあると理解しているはずだ。
しかし僕が持ち込んだのはフリアと別れたく無いという、九割個人的な問題である。残りの一割はコジャト家の縁談という古い考えを誇示できるが、そうするつもりはない。
彼には選択してもらうつもりだ。サンドラと行く冬季放牧を選ぶなら、無理強いはできない。しかし、話すら聞いてくれないのは何故だろう。
キリルはそのうち歌い出すんじゃないかと勘繰っていたのだが。僕が彼の父にギターを習った頃から、仲間内ならキリルは歌を披露してくれる。どれだけ隠れて練習していたのか皆すぐに理解して、からかう声は皆無だった。今はジーリレがいるから歌わないのだろうか。
——俺が出る幕はありませんが。
先ほどの彼の言葉が頭に刺さる。祖母の言葉を思い出す。モンドランゴン家は歌が命令に関われば……。
なるほど、と呟く。するとキリルがチラっとこちらを見る。
ドアノブに絡めた鞭を緩める。これで出て行くのなら、僕は友人の小芝居すらわからない未だ鈍感な奴なのだ。
「そろそろ人前で歌いたいのか?」
「何が?」
「歌を自慢したいんだろ?」
「……どこで?」
「僕の結婚の宴に決まってる」
キリルの口の端が僅かに上がった。それを誤魔化すように大げさな身振りで否定する。
「おいおい、当代の宴だぞ。十五の俺が祖父さん差し置いて歌えるかよ。無理だろ」
「決まりだ。工房長ラファエル・モンドラゴンではなく、キリル・モンドラゴン。君に午後の司会と歌を任す」
彼は扉ではなく、僕に体を向けた。ニヤリと笑っている。
「司会なんて俺はイキるよ。今のお前みたいにさ。自信ある。だからそれは祖父さんに譲る。俺じゃ、冗談が痩せてるからもっと腹が肥えてからにする」
「それでも工房長が発狂しそうだな」
ジーリレが怒りを解き、呆れ気味でそう言うと彼はさらに笑った。
「怒り狂って剣を振るっても、悲しみに落ちて飯が食えなくなっても、ちょうどいいですよ。祖母さんに少し痩せろって言われてましたんで」
キリルはエプロンを外して、壁に掛けてある暗い黄土色のマントを取る。白地に黄色の刺繍があるシャツや首元の金のループタイがマントで隠れ、口元を隠す黒い首布でサンドラが縫ったというオレンジのスカーフを隠す。
「団長のこういう羽振りの良いところ、コジャトっぽくていいと思います」
「僕も君の扱い易さは良いと思ってる」
「俺が全部わざとなら、どうでしょう?」
キリルは向かいの椅子を引いて座る。
「さすがモンドラゴンだよ。小芝居をすぐに思い付いてやってのけるのは、度胸がいる」
彼はスッと表情を変えた。僕よりも年上の男の顔をする。
「ちなみにサンドラには昨晩、冬季放牧に行けないと言ってあります。俺がさっき裏口から出て行ったのも知っております」
「……いや、彼女は普通だったぞ」
「さすがモンドラゴンでしょう?」
「……さっきのやり取りは、彼女のためか?」
「はい。サンドラは俺に人前で歌って欲しいそうです。なら、最高の舞台で歌うしかありません。まあ、団長夫妻の噂を聞く限り、いつになるかわかりませんが。外堀を埋めようにも、あなたの場合崖ですからね」
その言葉にジーリレも笑った。
……僕にもペースというものがある。事、個人の恋愛だ。人にどうこう言われて段階を早めるものではない。状況が逼迫しても、フリアを大切にしたい。彼女の心を読み解いて、歩幅を決めるべきだ。だから幸せな奴らの事なんて気にするべきではない。気にするべきでは無いと、わかっているのだが……。
「春だ! 春に君は僕とフリアのために歌うだろう。それなら栗鼠の邪魔も入らない」
「……敵は栗鼠、ですか?」
キリルは顎下に生え始めた髭を撫でて言った。
「ああ。今から話す。落とし込んでくれ」
素直に礼も言えない僕に、キリルは頷いた。僕は彼を騎士として見る。




