52、騎士を断頭する者たち(1)
雨樋の修理費をジーリレに渡すと、彼は首を傾げた。
詰所の団長室に並べられた新しい衣服に着替えながら、昨晩のことを話す。親父殿との話し合いの結果を報告しても、彼は金は受け取らない。まあ、それだけではバルジャン家の雨樋が壊れるはずがない。
だから昨晩の経緯を話す。フリアに腹を殴られた事、別れ際の発言を考え込んだ事。友人として、ほとんど全て曝け出した。彼なら笑うだろうと思った。
「それで気付いたら、屋根から落ちてた。さすがに三階から落ちるのはまずいから、雨樋に鉤縄をかけたんだ。港側の二階部分だ。ぶら下がったら、留め具が数本飛んだ。ジェンが気付いて出てきたから、伝えてある」
「……なるほど。では受け取ります」
ジーリレは真顔で金を仕舞う。
「……君は何とかなると思うか?」
左手の籠手のポケットから鉄串を出し、投げる動作をして服の馴染みを確認する。
横目で彼を観察すると、僕の脱いだ服を畳みながら虚空を見ている。
「……雨樋のことですか?」
「まさか。マーロウ卿のことだ」
「……その串を花嫁の父に当てれば、あるいは」
やっと出た軽口は戦争の火種になってもおかしくない。帝国の政治屋だぞ。
「物騒な事を言わないでくれ」
「しかし、あの、これから……どうするおつもりで?」
「昨晩、考え込んだ。良い案はない。フリアに交渉に出てもらうくらいだよ」
「ねだらせるんですか?」
「僕なら一つ返事だ」
「いえ……それでも、彼女はこの谷を出て行くのでは?」
ジーリレの声が普段より小さい。彼は立て込んだ話を味わっているのか。舌を転がせばジャリジャリとするだろう。僕は吐き出して靴の裏で踏む選択をしたが、彼は昨日の自分をなぞるよう消沈してゆく。
「昨日は親心で試しているとか言って、余裕でいたのに」
「……さすがに、これは余裕とはいきません」
「次戦も付いて来るんじゃないのか? このままだとお互い城砦の家で一人暮らしになるぞ」
「ええ……屋根から転げたお話を一人で寂しく笑うんでしょうね。しかし……やはり谷の安全には変えられません……」
彼は牙を抜かれて、もう腹を決めている。明日にでも資産分けの準備をしそうだ。しかし僕は策が提示できない。彼がしゅるしゅると空気の抜けたエンベロープのように縮こまっても針と糸はない。でも……。
「僕は諦めない。谷の安全も僕の願望もまだ生きてる。何か手が残っているはずだ。その知恵を借りるために、モンドラゴンの革工房へに行く。悪いが、僕の予定の消化は君に任せる」
「それは、はい……。本日は団長に付き添うつもりで、既に他へ割り振ってありますのでご一緒します。朝のガスパルさんの素振りには出ないのは、寝坊したわけじゃないですからね……」
「それなら、君は休みでもいいよ」
「いえ……、大丈夫ですよ。まだサラは家にいますから……。それでは向かいましょうか……」
ふらふらと足取りの重いジーリレが扉を開けると、女たちが廊下に溢れていた。マリーザに毒を使った件だろう。パトリシア会長を筆頭に婦人会の召集は見事だ。朝一だというのに親父殿のいる隣の会議室に入りきらない。扉は開きっぱなしで、非難の言葉が溢れている。時々親父殿に反論の機会が与えられるが、五、六秒で終わり、言葉尻で糾弾が再開される。
もっと薪を焚べたくなる気持ちを抑えエントランスに降りると、珍しい人がいた。あまりガヤガヤしたところが好きではないはずだが。
「おはようございます。お祖母様」
壁際の長椅子にイメルダお祖母様が座っていた。隣には付き添いのローザと、服を届けてくれた工房長がいる。
「おはようございます。そして久しぶりですね、エルディヴァン」
……確かに半年ぶりだ。お祖母様は春の装いから、すでに冬服に身を包んでいる。濃い紅色のロングケープに黒のボーラーハット。革のブーツは今日も艶やかで、スネークウッドの杖を片手に立ち上がる。
「顔を見せず申し訳ありません」
「こんなものも忘れますし、ずいぶんお忙しいようで」
付き添いのローザが布包みを差し出す。この重みは……銃だ。昨晩まで覚えていたのに。取りに行くのを忘れていた。
「……わざわざ、ありがとうございます」
「ベステが二発撃ったので、弾が減っています」
祖母のピリッとした口調に、助け舟を出すように工房長は伝票を出した。しかし僕がサインをするのを待って、お祖母様はまた口を開く。
「何をやっているのですか。仕事道具を忘れるなど、だらしない。それから、今バルトロメへの不敬の話を聞きました。あなたは港で吊られて終いと思っているのでしょう? ウィルも厚顔無恥ですが、あなたも同じです。臣下を何だと思っているのですか」
祖母は静かに捲し立てる。昔と同じく背筋が伸びる。
工房長は申し訳なさそうに頭を掻いている。普段は余計な詮索をしないお祖母様でも、今回は何事かと気になって彼に聞いたのだろう。それほど昨夜の母さんと親父殿の赤鳩は凄惨だったのか。
「私がバルトロメへ謝罪をします。巻き込んだテオのバティスタ家へも寄ります。あなたは出立まで時間がないのです。不敬の件は私にお任せなさい」
「それは……ご厚情痛み入ります。あの、母は大丈夫ですか?」
「昨日の赤鳩は家が壊れるかと思いましたが、朝の食事はいつも通り食べていました。今は弓を背負い剣を腰に差し、謝罪にくる男をラミレス家でマリーザと共に待っているでしょう」
祖母は僕の隣に視線を向けた。軽い会釈で済ませた無言のジーリレだ。
「まったく、エルディヴァン。あなたは大変なようですね。目が虚なジュリレッダを見たらわかります。何が起こっているのか知りませんが、ウィルのことです。どうせ小賢しい事を考えていますよ」
小賢しい? かなり窮地なのだが……。
「それはどういう事です?」
「子供が四人いれば対外的には円満に見えるのでしょう。誰しも忘れてしまうのです」
親父殿と母さんのことで懸念があるのか。聞こうとしたが、祖母は工房長の方へ向く。
「そうだ、ラファエル」
「はい」
名を呼ばれた工房長はしゃんと背筋を伸ばした。
「ラミレス家で音楽を流すことを許します。二分の短いものですよ。どうせ謝罪の最後はウィルとベステの喧嘩になるのです。婦人会の面々も向かうでしょう。人前で赤鳩など見るに耐えません。音楽ですぐに終わるように仕向けなさい。くれぐれも二分で終わらせるのですよ」
工房長の目に光が宿った。
「なんと! はい! イメルダ様のお心のままに!」
彼は水を得た魚のように詰所の外へ走る。おそらくギターを弾かせる息子を呼びに行ったのだろう。彼が担当する替えのベルトがまだだが、このような指示の仕方もあるのかと学ぶ。
お祖母様は弾むように出て行った工房長に目を細めた。
「モンドラゴン家は素直で良いですね。歌が命令に関われば、必ずやり遂げます。昔、夫と息子の喧嘩を短く、そして舞うようにしてくれたのも彼の歌でした。あなたと同い年にラファエルの孫がいますが、仲良くするのですよ」
「はい。今から会いに行くんです。お祖母様も街に降りてくださるなら、船をご用意しましょうか?」
「診療所の通い船を利用しますので、気遣いは要りません」
祖母は杖を浮かせて一歩進む。僕は杖を持つ逆の左に回り、腕を出した。そっと手が置かれる。
ローザが開けた詰所の扉から外へ出ると、甲高い指笛が鳴っていた。工房長がギターを弾かせるために息子を呼んでいるのだろう。
「ラファエルから聞きました。フリアは大変華麗に舞うと。……わたくしは春の帰郷を楽しみにしても良いのですか?」
「もちろんです」
ジーリレが静かなため息を吐いた。不敬だぞと言ってしまおうか。
お祖母様は後ろの彼を目だけで見て、憂うような顔をされる。
「帰って来てもどうなるかはわかりませんよ。わたくしのように雪山を命がけで登って逃げようとするか、ベステのように夫に刃を向けて拒否するか……」
「彼女はこの谷に住みたいと言いました」
ほぼ反射で言ってしまった。祖母相手にムキになるとは。空咳をして取り繕う。
お祖母様は目を見開いた。飴を転がすような口元を見せると、一瞬だけ口角が上がる。僕なら首に巻いた布を引き上げるだろう。
「……ローザ、やはり昼食はバルジャン家のお誘いを受けましょう。アンリエッタと久しぶりに話します」
アンリエッタ夫人はジーリレの祖母だ。……何の話をするのだろう。バルジャン家にはまだフリアがいるはずだ。言伝で誘われたなら、彼女が居ることはわかっている。
「フリアは繊細です。あまり詰めて寄らないで下さい」
祖母は心外だったのか、軽く左の眉を上げた。
「何を言うのですか。わかっていますよ。ウィルは我が子ですが、わたくしは相手が言い淀めば引くくらいの思いやりはあります」
「……雪山逃亡の話を彼女に聞かせるのですか?」
「もちろん。わたくしも仕事道具を武器にしたことを話すのです。雪山について来たアンリエッタも苦労話を披露するでしょう」
それはフリアが好きそうな話である。でもその後、祖母は問うだろう。この街に住みたい理由を。
彼女はどう答えるのだろうか。
理由はコトヴィアだとしても、一言でも僕が出てくるのだろうか。それは気になる。一番に頼る豪腕の副団長の反対を押し切り、コトヴィアを買う決意をしたのは僕だ。それがどれだけ誉れなのか知りたい。
……未来、彼女に聞こう。今はその機会を作らねば。




