51、鶏小屋の少女③
機関室の小さな窓が白んでいる。最低最悪な夜が終わった。夢だった飛空艇にこんな形で乗るなんて……。
あの無表情男は絶対に許さない。マヌエルさんの知り合いでも関係ない。
……でも私なんかじゃ、どうにもならない相手みたい。
機関室に来たサラというブロンドの女の子が船を案内してくれて、積荷の入った倉庫を見てわかった。
「……モンドラゴン商会って騎士がやってるの?」
「ええ、そうよ。知ってるの?」
「食品ならワインと油でしょ? ……商会の焼き印の木箱すら売れるって聞くわ」
「じゃあ、こっちは知ってる?」
「オラーノって香水とか化粧品ね。瓶だけ、雑貨屋で見たことあるわ。娼館の女の人が、プレゼントの値を釣り上げるために買うのよ」
サラはトントンと人差し指で顎を叩いた。
「……あ、もしかして紛い物だと思ってる?」
「思ってないわ。紛い物を造ってせこせこ稼いでも飛空艇は買えないもの。……ねえ、もう少し教えて。騎士って本当にバブリア内海の海賊を倒したの?」
「そうよ。でも、あなたの叔母さんや叔父さんには内緒よ。表ではモンドラゴン商会の雇った傭兵のした事だけれど、本当は騎士が倒したの」
「騎士って他に何するの? 人攫い?」
「えっと……、人攫いはしないわ。人攫いする悪い奴をやっつけるのよ」
「同士討ちね」
「……んー、あなたのことは確かに攫ったんだけど、予定がどうしても合わなくて。あなたも他の人と婚約しちゃったし。昔は確かにあったみたいだけど、普通ならこんな事しないのよ。私や他の女の人は何かあるんだろう、って思ってるの。少佐に問題があるのか、あなたに危険が迫っているとか。フリアは何か心当たりない?」
「……私が知りたいわ」
何となく父親の出自は伏せた。良い子に感じるけど、まだわからない。
「そうよね。ごめんなさい。変な事言って」
それからまた機関室に戻ると、柔らかな布を敷いて、座らせてくれる。
「何か食べない? 焼き菓子があるの」
「要らないわ」
……気にしてなかったけど、サラも無理矢理連れて来られたのかしら。私のことアマって言ったのも、変な薬作ったのも、シーツで捕まえたのも、この子の夫って言うし。
「……あなた、私が何か食べるまで戻って来るなとか言われたの?」
「違うわ。私はここに好きでいるのよ。あなたが飲まず食わずだと、気持ちが悪くなったりするんじゃないかって、心配なのよ」
「……叔母さんも心配しているわ」
思わず言ってしまった。サラが優しくするのが悪いのだ。弱音なんて、人前で泣くなんて……嫌なのに止まらない。
「ねえ、あいつを夫にするしかないのはわかったわ。少佐からあの男に変わっただけの話だもの。でも……叔母さんに会いたい、埃っぽいあの街に戻りたい……。どうすればいい? どうすれば逃してくれる?」
サラは優しく背中をさすってくれる。
「ごめんなさい……。逃すことは——」
「お逃げになるなら、三月後に致しましょう。首都であなたの叔父様の治療がひと段落します。団長はあなたを連れてご夫妻へ挨拶をする予定です。その時であれば、ベステ様の名にかけて必ずあなたを逃します」
扉を振り向くと、黒髪をタイトにまとめた女の人がいた。四十くらいで、マリーザ・ラミレスって自己紹介される。
「……ベステって誰?」
「団長の母君です。これをお渡しするよう頼まれました」
マリーザは小声で言った。彼女の手には小ぶりな拳銃がある。奥の機関部にいるディバに見えないよう渡される。
「弾は五発。一発目は空砲にしてあります。いざという時、お使いください」
「……私はあなたたちが、団長って言ってる奴に撃つわよ」
「できれば頭や首以外で。動きを止めるために」
「……どうして?」
彼女は私の足を見た。たぶんアザを付けられたことを知っている。
「ベステ様は、あなたと団長の予定の兼ね合いで、このような方法しか迎え入れる事ができないことを、大変心苦しく思われています」
「だからって、何故、銃を? 息子が撃たれてもいいの?」
「ベステ様は剣や弓をやられていた方です。この状況はフリア様にフェアではないと思われているのです」
確かに全くフェアではない。だけど……。
「……要らないです。他の人に当たったら、嫌……」
「……ならば、私マリーザをお呼びください。フリア様を如何なる時もお守りします。これから先、結婚の宴について話があるかと存じますが、断って頂いても問題ありません。ベステ様は先代を刺した責任で生家から否応なくお嫁に出されましたが、二年間突っぱねました」
先代を刺した? つまり、あいつの父親? よくわからない……。ベステって人は銃を渡すくらいの人だから、殺し屋だったのかしら……。
「でも、叔父さんの治療があるんでしょ。断るなんて、私、堅気だし、そんな事……」
「奥方が本当に嫌なら、断るしかありません。それで治療をやめるような男なら、私が代わりに撃ちましょう。あなたは正直であって良いのです」
……この人の方が、あいつよりよっぽど騎士っぽい。それにこの感じ、言葉遣いは違うのに叔母さんに似てる。
「あなたのこと信じるわ……。ありがとう」
マリーザさんに銃を返そうとして、ふと気が変わった。確かめたい事がある。
「……一発目は空砲ですよね?」
「ええ、そうです」
「ちょっと、一回撃つわ」
私は銃を構えて、成空碇の水槽に向ける。そして引き金を引いた。カチャンという音に反応して、奥にいたディバがパイプの隙間から現れた。
「な、な、な、何を……⁉︎」
拳銃を見て、腰を抜かしたような声を出す。
「あの……できれば、団長に向けて撃ってください」
見れば、マリーザさんも驚いていた。
「ごめんなさい。でも、それ……すごい発言よね?」
そう言うと、サラがふすふすと笑いを堪える。マリーザさんも口を抑えた。その様子に彼女たちが悪い人たちではないのはわかった。
「堅気の構え方ではございませんが、どこかで習ったのですか?」
「まさか、はじめてよ」
「何故、水槽に撃ったのですか? それとも奥のディバが粗相を?」
「違うわ。……銃なんてはじめてだから、撃ってみたかったの」
彼女に銃を返しながら、昨晩の事を思い出す。
——泣き虫だから、やめてくれ。
私はあの糞馬鹿男の舐めた売り言葉を買って、成空碇の水槽に本気でスパナを投げようとした。投げる直前、ビリンと耳の奥が震えて、知らない男の声が聞こえたのだ。
びっくりして、スパナは手からすっぽ抜けて水槽の横の配管に当たった。床で跳ねて、コツンって感じ。でも成空碇の水槽は気泡で溢れて、赤いランプが点いた。まるで嫌だって意思を示したように。
叔父さんが隠し持っている飛空艇の本には載っていない事象だった。一瞬だったけれど、気体があんなに溢れるなんて……。
でもあの不調は偶然だったのだろう。あいつに変な薬を撒かれたせいで頭が少しおかしくなってたいたのだろう。
……でも、ママのお墓でわんわん泣いた時みたいだった。都合の良い言葉が耳の奥から溢れてくる、あの響きに似ていた。




