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49、騎士と清算の難しい過去(18)



 フリアのいる部屋は、子供の頃バルジャン家に預けられた事を思い出す。母がウルバノの看病にかかりきりになると、兄と姉とこの部屋で寝起きした。


 今は懐かしい花柄の壁紙は闇に沈み、マツ材の家具は黒く塗られている。壁掛けランプはすでに消灯し、暖炉も熾火にする前か、仄かに赤くなっているだけだ。


 僕は踏み入った窓の前で、なるべく動かないようにする。


「……マリーザは食欲があって、夕飯を食べていた。今夜は診療所に泊まるけれど、痺れも無い」


「マリーザの事はダニエルさんが教えに来てくれたわ。あの人もあんな困惑顔するのね」


「……怖い思いをさせて、すまなかった」


「今更何を言ってるのよ。あなたって窓板を外して、人の家に勝手に入ってきた男よね? 今だって同じようなことをしているのに、それは冗談?」


「……それを言われると何も返せない」


 フリアはクローゼットから出したガウンを羽織り、スカーフを広げて髪を下ろした頭に巻いた。それからスパナも取り出して、暖炉の前のテーブルにごとりと置く。壁掛けのガスランプを点けると、部屋の隅に布で覆われた栗鼠の籠が見えた。それに気遣ってか、灯りを絞る。


「ねえ、ジェンに許可を得たけど、勝手に見ても良かったかしら?」


 フリアはスパナの横にある箱を見た。濃紺の布が貼られている、バルジャン家で昔話に花が咲くと出てくる箱だ。中には肖像画を小さく模写した絵や、ガラス製の写真、フィルムで写したものが入っているだろう。


「こんな無邪気な顔で笑えたのね」


 彼女は蓋を開けて、一枚の写真を取り出した。僕に見せてくれるが、部屋が薄暗くてよくわからない。


「……近くに行ってもいいか?」


「……いいわ」


 絨毯の上を歩くと、フリアとスパナはテーブルの対面に回った。


 写真を見ると、六匹の子猫を抱いている僕が写っていた。彼らの母猫は三毛のペルーサで間違いない。僕にだけ子猫を触らせてくれた貴婦人。


「この頃は兄が団長を継ぐと思っていたから、こんな写真ばかりだ」


「そうね。ジェシカとジュリアに化粧されても笑って写るなんて、今じゃ考えられないわ」


 ジーリレの二人の妹に、僕が人形のように扱われた事を言っているのだろう。彼女たちは自分たちの服を着せ、レースの付いたボンネットを頭に巻き、エルリイと呼んで、夕食の席でお披露目した。


「そんな写真まであるなんて、今知った」


「そうなの? たくさん撮ると、忘れてしまうものなのかしら」


「……いや、がむしゃらになってたからだと思う。君に見つかりたくない本を借りたのも忘れるし、君に痣を付けてもすぐに気付かないし、また窓から君のいる部屋に入ってしまったし」


 フリアを見つめると、彼女は視線を外す。スパナをチラと見たが、手は伸びなかった。彼女は暖炉の前に屈んで細めの薪を焚べる。


「あなたががむしゃらになったのは、お兄さんが怪我をされたからでしょう? 誰に聞いても、とても強い人だって言っていたわ。隻腕でも、団長って務められるんじゃないの?」


 僕は少し考えて、言葉を慎重に選ぶ。


「斬ったのは帝国軍の成空碇(せいくうてい)を集める機関の手練れだ。兄の斬られた右腕は奴らに持ち去られた。目を付けられると厄介な奴らで、仕事に割り込んでくることもある。……必要があれば、谷へ来るかもしれない。だから団長を辞めた」


「……もう、誤魔化さないの?」


 彼女は立ち上がって僕を見た。驚きと憐憫を顔に浮かべている。


「誤魔化すとは?」


「だって、斬った腕を持ち去るなんて……。成空碇は貴重な鉱石じゃなくて、人のことだって認めるの?」


「君の判断に任せる」


「昼間に聞いた、私の感じたことは合っているのね?」


「僕は生き別れの弟じゃない」


 ズルい言い方を続ける。フリアは箱を白い手でそっと撫でた。


「……どうして写真なんか残すのよ。なんだか危ない気がするわ」


「谷からは持ち出さない」


「それなら笑って撮ったら? 騎士団の人たちの写真って、ぶすーとして格好付けてるのか知らないけど、怖いわ」


「じゃあ、僕は笑って撮る」


 彼女は右目を少し細めた。


「……あら、嘘よ。あなたは絶対に笑わないわ。私、ベステ様にもいろいろ見せてもらったのよ。お祖父様の肖像画もウィル様の写真も皆、笑ってなかった。だからあなたも笑わないわ」


「でも、僕は……君が言うなら……」


 ……笑わない。祖先や祖父、父を習うだろう。


 頭がジリジリと疼く。彼女のスカートの裾から覗く足首、屈んだ時に露わになった尻の形、ガウンの隙間から見える胸の膨らみ。いつもなら視線を逸らすのに、じっと見つめてしまう。しかし顔は熱くならない。代わりに下劣な思いが沸騰する。誰にも言えないような事が次々と頭に浮かぶ。彼女を組み伏せてしまいたい、痣ができないようにどうやったら触れられるか、眠り薬ならバレやしないんじゃないか……。父の策とはいえ攫ったのは僕なのに、最後ならもっと最低になってもいいのではと思ってしまう。



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