48、騎士と清算の難しい過去(17)
鳩尾の不快感が増していく。浅くなる呼吸と早くなる心音が噛み合わない。落ち着けと自分に言い聞かせる。
「エヴァ、色眼鏡無しに見ろ。現在、日の当たる市井では平和な時分である。マーロウ卿は大陸の覇権を握る帝国で、元貴族でありながら独自の地位も築いた男だぞ」
しかしルシア殿に手紙も出さず、何故、今になって……。
「卿はフリアの存在を知っていたのですか?」
「ゴランフィルの騎士によれば、卿は五年前から定期的にフリア殿の様子を調べていた。以前の音沙汰は全く無い。慎重な男とみる。よく固めた地盤で、身分違いの花嫁を迎え入れようと思ったのだろう。少し遅かったがな……。それでも行商を装った雇われ者が、年に数回は娘の様子を見に来ていた。しかし少佐との婚約話が街に流れても、この半年動きは無かった。引き取るつもりはないと見ていたが、どうやら娘婿が騎士というのがすこぶる気に食わないらしい。意味はわかるな?」
「……はい」
僕らは帝国軍が有する調達部から狩られる立場にいる。奴らも秘匿の存在に近いが、マーロウ卿は退役時の階級が大佐であり、駐在武官であった。近隣諸国にしゃしゃり出る奴らの内情を知っていてもおかしくない。
加えて帝国の情報庫には成空碇の在処が列挙しているという。手に入れる優先順位が低ければ低いほど、自然な形の手段を取る。対象者の寿命や病死などだ。国内で、尚且つ権力者の庇護下ならば優先順位は下がるだろう……。
「あちらが騎士を通して俺に接触したところを見ても、心遣いはできる人物だ。我を忘れて、外交問題に上げるようなトンチキな政治屋ではない。だから一度、断ってみた。しかし卿の返信は『別の方法を考える』と引き下がらない。それで俺は帰郷したというわけだ」
『別の方法』……。それは脅しか。
腐る前の調達部はこの谷と交流があった。場所も割れている。もしマーロウ卿が上層部に掛け合い承諾を得られたら、調達部が動くだろう。フリアを求めてこの谷に入るかもしれない……。兄さんの腕を切り、ガスパルが逃した奴らが、この谷へ……?
ぶわっと汗が出る。手の湿りけをズボンで拭うが治らない。
……これは、どうしようか。いや、何か提案をせねば。……何を? 僕は、何をどうすればいいんだ? そもそも……どうにかなる事なのか……?
親父殿は薄く笑い僕を見ていた。さっと避けてしまう。駄目だ、堂々としなければ。言わなくちゃ。僕はフリアを好きだと、諦められないと伝えなくては。それを押し通す案を考えなくては。それなのに、ぞわぞわと背中に虫が這うような感覚がして、頭が上手く回らない。引いた顎が戻らない。
「お前がフリア殿を妻にしたいと言ったとき、嫌な予感はした。コジャトの男は一筋縄ではいなかない女が好きだからな」
床を見つめていると、母さんが僕の顔を覗き込んで肘掛けから勢いよく立ち上がり鋭い声を出す。
「あなたの事だから、こうなるとわかっていたんでしょう? 何故、結婚を止めないのよ!」
「俺だって半々しかわからんよ。マーロウ卿が大人しく結婚を祝うか、今更父親面をするかなど、事後にならねばわからない」
「うそよ! 小物の横槍があったのでしょう? 少佐がフリアを見初めて婚約したのだって、今の話を聞けば、あなたの指示に聞こえるわ!」
「……ああ、そうだ。事態を動かすために、エヴァの予定を読み、俺に恩のある少佐に依頼した。なあ、ベステ。これは早く片付けるべき問題だと思わないか? 年を重ねればマーロウ卿は今より確実に力を付ける人物だ。エヴァも今以上に彼女にのめり込むだろう。話がもつれるならば、今が良いと判断したのだ」
「ちゃんと答えて。結婚を反対しなかった理由にはなっていません」
「……十五の夫婦を切り裂いて、俺の息子の結婚を破断にするのだ。仲はどうあれ、あちらも少しは心が痛むだろう。マーロウ卿とていくらか条件を引き出せる」
「本気で言ってるなら最低よ……!」
「しかし密約は強固なパイプを敷ける。穏健派の政治家で、今の帝国軍幹部と知己である男だ。幹部の中には卿がクーデターを取りなしたおかげで命拾いした者もいる。その男と今なら極めてプライベートな交渉ができ、貸しが得れるのだ。この国の政治屋も承諾した」
「フリアを人質のようにして、まるで賊です! 恥ずかしくないのですか!」
「賊とはひどいな。マーロウ卿が動かない限り、俺だって息子の結婚だ、大いに祝福するさ。フリア殿の度胸も気に入っている。しかし完全に俺の仕事になってしまったのだ。もう手は引けない」
「この子たちの気持ちはどうなるのよ!」
ガタンとソファが鳴った。わざと音を立てたのだろう。視線を上げると、親父殿が立ち上がっていた。
「エヴァ……この半月楽しかったか?」
父は暖炉脇に歩み、写真立てに目を向けている。
「フリア殿を妻にしたいと言った時、お前はまた生まれたてに戻ったのかと思うくらい赤くなったな」
薄青の瞳を細めて、写真から僕に視線を移した。
……どうして、そんな顔するんだよ。お前だって、今更父親面するなよ。そう叫びたいのに、口が戦慄いて言えない。
「お前が覚えた感情は素晴らしいものだ。生涯忘れぬ、かけがえのないものになるだろう。しかし、他の女を見付けろ。我ら騎士団は民を守る為にある。姫を守る為ではない」
何も言えずに黙っていると、母が低い声を出す。
「あら、そうですか。じゃあ、子供を連れて故郷に帰ります」
「べステ、茶化すな」
ティッと母さんは舌を鳴らした。故郷の言葉になる合図だ。
「茶かしてなどないわ。エヴァンは私に花嫁衣装を譲って欲しいと言ったの。コトヴィアを買って、お金がないからです。その時のエヴァンはあなたが見たエヴァンと一緒よ。ほっぺが真っ赤で、春なのに北風に打たれたのかと思ったわ。でもね、全部バルトロメに任せたウィルと違って、手直し用に金糸やレースをちゃんと用意していたのよ! 彼女と踊りたいからって、スカートの裾のデザインだって提案したの! あなたも親なら、そんな息子の手助けをするべきです!」
「……マルグレラダ領主代理と呼ばねばならんか?」
「母親だって私の立場です。無視をできない自分です!」
「どちらか選んでくれ」
「それなら先代の団長を黙らせるわ」
「領主代理殿に土を付けたら、船の登録が抹消される。俺には出来ないよ」
「あら、誰に土が付くのよ。やってみないとわかりませんよ」
親父殿は浅いため息を吐いて、壁に掛けてある木剣を二本取り、一本を母に投げた。
「……ならば受けて立つよ。エヴァ、出立は三日後だ。細かな日程はダニエルに聞け」
三日後……。それまでに処理する事が頭を駆け巡り、自然と立ち上がってしまう。いや、違う。逃げるな、考えろ。僕のするべき事は……。
足がフラついた。マントで払った床に刺さるナイフが当たりそうになり、木剣を放り出した母が支えてくれる。
「エヴァ、諦めたくないなら、それでいいのよ! あなたは自分に正直でいていいの!」
「……わかっています」
「わかってないわよ。あなたはまだ十五で、選択はたくさんあるのよ!」
「……うん。おやすみなさい」
目が熱くなって、けっきょく別邸を後にする。装備がぶつかる音を撒き散らして歩く。暗い森にガチャガチャと耳障りで、みっともなくて足が止まりそうになる。でも止まったら、もっとみっともなく蹲って、見回りの騎士に見つかって——
首に巻いた布を引き上げる。こんな情け無い僕は騎士を辞めた方がいいだろう。打開する策を考えるのを放棄して、母に叫ばせて、父の言う事に従おうとしている。昼間の威勢はどこにいったのだとジーリレに殴られる。でも谷が危険になるなら、誰に相談しても諦めろと言われるに決まっている。
……もし騎士を辞めて、マーロウ卿に譲歩させて、ジェレミーのいる北の国の街にフリアと住めるなら……。ジーリレとサラは別れずに済むし、咳の出るウルバノを団長としてみんな支えてくれるだろう。そんな選択は確かにある。
でも、僕は選ばない。それはわかりきっている。辞めたくない。騎士である事は譲れない。
どれだけ血濡れても、腹に穴が空いても、最後まで諦めない者たちを知っている。リノ、ダミアン、マリアーノ、オダリス、ライムンド……。称賛を受ける騎士たちを僕は知っている。そしてこれからも知った名前は増えるだろう。それを放っておく事なんてできない。できるはずがない! そのつもりもない! だから幼子に剣を握らせて振るわせている。僕が辞めるなど、僕が許さない。辞めたとしても、いつかマーロウ卿のように愛する人を無碍にして騎士に戻ってしまうだろう。
「フリア……!」
彼女の名前はすぐに風が攫った。追いかけるように駆け出してしまう。
どうして僕はこの谷に生まれたのか。どうしてフリアと出逢ってしまったのか。その過去はどれだけ走っても振り切れない。
気付けば吊られていた港に舞い戻っていた。誰にも言ってないし、詰所に寄っていない。居場所の言伝も、ダニエルに日程を聞くのもまだだ。それに銃も別邸のテーブルに置きっぱなしにしている。それなのに冷静に見張りの目をかいくぐって来た。……でも今日くらい、いいだろ。
僕は半月前と同じように港の真向かいの家をよじ登る。間取りは自宅と同じように頭に入っている。今は客間となっている小ぶりな暖炉がある部屋に張り付く。城砦の上から見る騎士には見つかっているだろう。せめて口元の布を下げる。静かに空気を吸う。秋風が舞わせたのか、自ら動けない砂塵の味がした。
……そっと、本当にそっとノックしよう。
僕は撫でるように窓板を叩く。風と勘違いするような音だった。でも窓板は細い糸を作るように開く。僕だと確認すると、やがて左半分が開け放たれた。赤みのあるブラウンの髪がなびき、金色の瞳と目が合う。
「……やればできるじゃない」
そう言って、フリアは部屋に招き入れてくれた。




