46、騎士と清算の難しい過去(15)
浅くなった呼吸を落ち着ける。念の為、銃をホルスターからテーブルへ置いた。電報にあったとおり、のっぴきならない事情であることは理解した。
「……ではジルド氏の調査書は何なのですか?」
僕の質問にふっと親父殿は鼻で笑った。
「題目のとおり、奴の調査書だ。俺はあくまでマーロウ卿の関係者として、ジルド氏を調べるようにダニエルに言った。まあ、お前がどういう目であの男を見ていたかわかる。しかし調査書にはフリア殿の父親とは書かれていないはずだ」
ざっと内容を思い出す。確かに……。そうだ、僕は昔、ゴランフィルでフリアの口から聞いたのだ。その視点のままに読んでいた。
「ルシア殿もさすがに相手が帝国軍人と言えず、実父の存在を隠していたと推測する。娘に真実を言わずに死んだ理由はわからん。だが、ゴランフィルは退役軍人の拠り所だ。フリア殿が不必要に気を病むと考えたかもしれん」
親父殿はマントの中から封筒を出してテーブルに置き、僕へ滑らせた。中身を取り出すと、ロレンス・マーロウの調査書だ。
「俺はずいぶんと前からこの件に気付いていた。発端は昔、首都で起きた珍しい事件だな」
母さんが首を傾げるので、マーロウ卿の資料の項目を指差して手渡す。一角栗鼠が密輸され脱走し、一箇所で残らず見つかった事件の部分だ。
「成空碇があるとされた違法な宿屋は徹底的に調査して白だったはずです」
「いかにも。しかし逃げた栗鼠が行先を決めた理由は何なのか。それを俺は考えていたのだ。しかし治安局の奴らは栗鼠に興味が無くてな。報告書を盗み読んでも、大した事は載っていなかった。もちろん局に騎士もいるが、現場に出るには少し偉くなり過ぎて動きづらい。だから俺は直々に局員を装って、違法宿の老父に尋問した。結果、老父が治安局に隠していた二つの事を聞き出した。まず常連に帝国人であろう客がいたこと。スパイ容疑をかけられると思い、黙っていたらしい。もう一つは、一角栗鼠が逃げ込んだのは空き部屋では無かったことだ」
親父殿が詳細を言わずともわかった。
事件の日、老父は焦っただろう。隠れて違法な宿をやり、客には帝国人がいて、その部屋に栗鼠が押し寄せたのだ。
「裏口から客を逃したが、帝国人の連れの女が動けば栗鼠も動いたそうだ。老父はがむしゃらに女に張り付く栗鼠を袋に入れたと言う。その若い女の容姿を尋ねれば、眼鏡をかけていても美人とわかり、金色の瞳をしていたとはっきり述べた」
父は水差しを傾け、グラスの水を一口飲む。
「もしや帝国人の男が成空碇を持っていたのか、と考えた。どこぞで取引をして、受け渡し役に金色の瞳の女を使ったのか。その線で調べると、女はルシア殿とすぐに割れた。男の方は十中八九に留めておいた。帝国駐在武官殿を刺激しては、陰の存在である騎士の名折れだからな。しかし……」
親父殿は右頬を指ですっと一筋撫でた。
「ついさっき、お前の顔に傷を付けたその指輪が確証となった。安っぽく見せているが、嵌められた石はマーロウ家の所有する鉱山でしか取れない宝石だ。帝国でも一部にしか流通しない」
「いつ鑑定なさったのですか?」
僕の横に来て書類を見ていた母さんが尋ねた。
「エヴァの怪我は電報で知っていた。あらかじめジェンに指示をして、フリア殿が風呂に入る間に指輪を拝借し、鑑定士のジョエルに見せたのだ。エヴァが来る前、言伝に来ていただろう?」
親父殿はグラスの水を飲み干すと、母さんが書類から目を上げるのを待ち、話を続ける。
「話を戻す。首都での調査では成空碇に関してこれといって目立つ情報はなかった。俺はただ他人の恋路を暴いたのかと苦笑したよ。マーロウ卿の火遊びの落とし胤……いや、卿は今日まで未婚であるから婚外子か。まあ、覚えておくかと思ったが、栗鼠の件がどうにも片付かない」
また封筒がテーブルを滑る。今度は一角栗鼠についてまとめられた文章だ。
「自分でも番で飼ってみたが、見向きもされない。まるで出会った当初のベステのように威嚇されるだけだ。世話を続けても、ポケットに餌がある人間だと覚える程度。そうなれば、ルシア・トニエの素性調査となる」
親父殿は口髭をなぞる。僕はその新しい癖がどうにも馴染まない。
「フリア殿は世迷言を言うのだろう?」
「どのような事ですか?」
言葉が早る。不自然な即答に親父殿は笑う。高鳴る心臓が抑えられない。船でした彼女との会話は僕の手札だ。しかし、すでに……。
「誤魔化すな。顔に毒を塗りゴランフィルで行き倒れを演じたのはお前ではないか。フリア殿が林で見付けたときの第一声は、お前が報告したのだぞ」
頭がギュルっと当時を振り返る。
一年より少し前、僕が十四になった年の初夏だ。羽虫が夜の林で乱舞して、毒で腫れた顔をくすぐっていた。夜が明けるまで待つつもりだったが、対象者が住む木造家屋の扉は開く。足音は真っ直ぐに僕のいる茂みへ向かって来る。
——……ママ? 生き返っても、手紙はまだないわよ……?
月に照らされた目の前の草は、彼女が足でかき分けると艶の白色が散った。僕は高熱が出るのを待たずに保護されても良いか考えていた。しかし抑え難い顔面の痛みで、彼女の登場は幸運に思えた。
フリアは横たわる僕をじっと見ていた。思い返せば、呻き声も上げていないのに、彼女は迷うことなく僕の元へ来た。
——……もしかしたら、生き別れの弟かしら。
自分はルシア殿に慈悲をもらったのか。僕らは成空碇に選ばれた骨の持ち主だが、それが分かる感覚は彼女たちにしかない。
過去に埋まる自分を親父殿はつぶさに見ていた。僕は狼狽える暇もなく、語られる感想を聞く。
「イグナシオ・トニエは悪の書物を千羽書と名付けたが、人間が羽根に見えるのなら、そう言いたくもなるのだろうな」




