45、騎士と清算の難しい過去(14)
気を落ち着けるために歩くことに集中する。夜の浅い時間だが、装備が仕込まれたマントが鳴らす音を控えねば。住居の棟に囲まれた道で、小さな子供の寝かし付けには不要だ。
城砦に入り、まず診療所のマリーザの元へ向かう。個室の看護部屋で夕食を食べていた。痺れは無くなり、食欲があると言われ安堵する。労いの言葉をかけると、婦人会へ毒を使われた事を告げ口したと報告を受ける。明日、父へ申し入れがあるとの伝言を頼まれた。僕の顔色を心配されたが、クレーンに吊られていたからだと答える。
就寝の挨拶をすると、診療所を後にした。館を超えて、裏門から森へ続く道を進む。グローブの甲で頬を擦るが、顔色は戻らないだろう。
ロレンス・マーロウ卿……。貴族制度が撤廃される前は子爵家で、たしか家は弟が継いでいる。大戦は幼少期で出兵無し。だとすれば、現在の歳は五十前後。気質か家がらみか、軍属となり、そこからはトントンと階級を上げ、十五年前に武官としてこの国へ来国した。
その後軍のクーデターを最小に留めた要の人物であると、騎士団の諜報記録にあった。世間一般には帝国でも知られていない。しかしその功績で穏健派の重鎮に引っ張られ、退役し政治家へ転身したのだろう。
そのマーロウ卿の名が、今頃なぜ……。
木立の道で立ち止まると、山から秋の終わりの風が吹き下ろし、ざわざわと木の枝が揺れ、寒気が衣服の隙間に入り込む。
とてつもなく嫌な予感がする。団長室でジルドの調査書を読み、詫び状を書いていたときに感じた違和感が再燃する。
しかし足を動かす。それだけを考える。どんな事が暴かれようと、僕の気持ちは変わらない。
木立の奥に鉄柵が見え、音が鳴るように門扉を開く。玄関の前で案内を待っていると、住み込みで家事を手伝うローザが出迎えてくれた。それは母さんも話を聞くためと教えてくれる。
ローザが居間の戸をノックして開くと、暖炉の前のソファに座り親父殿がパンを齧っていた。おそらく自分で用意したのだろう。サイドテーブルにはまな板を皿にして、厚めに切ったチーズがナイフに刺さったまま置いてある。
「食べるか?」
手のパンくずを払い、父が言った。
「要りません」
「では茶を飲め。ひどい顔だ」
誰のせいで、と睨みそうになる。しかし母さんの表情でやめた。テラス窓の椅子から立ち上がって、暖炉の鍋を指差した。
「エヴァン、カボチャのスープがあるわ。それは飲めますか?」
「小さな器なら」
「……一応聞くが、俺の分は?」
「話が終わってからです。何回言えばいいのかしら」
僕は暖炉の横の一人掛けのソファに座る。グローブを外し母からカップを受け取ると、手にじわっと熱が伝わる。飲み始めると、左に座る親父殿は不服そうにチーズを切って摘んでいる。
親父殿は口髭に汚れはないか丁寧にハンカチで拭き、僕は扉の前に置かれたワゴンに空のカップを乗せ、幾分温まった体で元のソファに座る。
「マリーザは大事を取って、診療所で一晩様子を見ます」
ピクッと親父殿の眉が動く。暖炉に薪を焚べる母は怪訝な顔をする。
「大事は無いはずだ」
「もちろん。しかし家にいれば家事をこなします。今晩くらい、体を休めた方がいいかと。なお、婦人会のパトリシア会長が明日、朝一番で詰所に来ます。親父殿に申し入れがあるとのことです」
「……エヴァ、約束を違えているぞ」
僕は肩をすくめる。船での約束通り、母さんに毒の件は言っていない。診療所でマリーザがパトリシア夫人にさめざめと毒を使われたことを話しただけだ。
地下牢行きの引き換えとは言え、毒を仲間に使った処分は必要だ。孤立無縁で夫人方にガンガン詰められてしまえば良い。それくらいの責苦は受けてもらわねば。そして、その前に……。
「ねえ、ウィル。どういうこと? 私が知らない事を言わないで」
母が父の隣に座ると、親父殿は口の中をもごつかせた。
「母さん、マリーザは元気です。ただ数時間前、体調を崩したのです」
「やめろ! ……俺が言う」
話を聞くと母さんの額に青筋が浮き出た。
「母さん、落ち着いてください。面倒な荷物などとフリアに対した発言もありましたが、それは既に本人に謝っています」
「そう……。私の友人や娘に、そんなことをしたのですか」
母は腰元の宝飾が施された鞘をさすりながら、親父殿を下から睨め付ける。
「……育つとこうなるのか。バルトロメに指導役を任せたのは間違いだったな」
父の悪びれない口調に母はテーブルのナイフを手に持った。
僕は立ち上がり、暖炉のケトルから白湯をコップに入れて飲む。後ろではガタガタと音がする。ゆっくりと飲み、物音が静まるの待って振り返る。
親父殿の髪の毛は少々乱れ、母は壁に刺さったナイフを抜いていた。
「さて、東方諸国連合マルグレラダ領主代理殿、話を進めても構わないか?」
父は髪を後ろに撫で付け言った。
母は話を聞くために自分の生家の身分を利用したようだ。腰に巻いたサッシュはマルグレラダ領の赤や黄色の美しい刺繍があり、領主の家の者であることを示す。
「あなたに続ける勇気があるのなら」
母はナイフを投げ返す。父はピッとグローブをはめた指で受け取ると、畳みながら口を開く。
「もちろん。既に覚悟は決まっている。結論から言えば、フリア殿を帝国のロレンス・マーロウ卿へ受け渡す」
僕がガタンと席を立つと、親父殿はすかさず懐にしまおうとしたナイフを広げて投げた。マントで払うと、床に刺さる。
そのまま睨み合っていると、横から父に剣の鞘が投げ付けられた。母だ。カーブのついた片刃の剣が握られている。ランプに照らされた刃の煌めきが壁にうごめく。
「息子の殺気でナイフを投げるとは、老いたものですね」
「……確かに。エヴァ、非礼を詫びる。座って話を最後まで聞いてくれ」
親父殿は顔に笑みを戻し、ソファへ深く座った。僕は右腿の銃が入ったホルスターから手を離す。足が硬くなっていて、ぎこちなく腰を下ろした。
嫌な予感は的中したのだ。
きっとジルド・クローデルはフリアの父親ではない。彼は隠れ蓑に使われたのだ。それで違和感は無くなる。マヌエルに選ばれた才女ルシア殿なら、人当たりの良い優男にうつつを抜かすより、見識ある帝国駐在武官の口説き文句の方が響くはずだ。
実父ロレンス・マーロウは、十五年前の約束を果たすために現れたのか。




