38、騎士と清算の難しい過去(7)
岩穴から現れた黒い船は商船の飾りが施されている。この国は表向き成空碇の使用を禁止しているためだ。僕の船は南の大陸と王国の逓信用通船で使い分けている。もちろん無断で。
しかし親父殿の船は母さんの故郷である東方諸国連合の協商ギルド公認船として登録され、デッキの中央や欄干には赤や緑、黄色の垂れ幕が下がり、黒い船体を華やかに彩る。派手な色が好きで、暗い色の衣装しか着れない事をこの船で晴らしているのだと過去に言っていた。
小屋の前の桟橋に川面の波紋が届き、船からギャリギャリと鎖同士がぶつかる音が聞こえる。隣のジーリレが臨戦に猛る笑みを見せた。
「アンカー降ろしてますね」
「寄り道確定で良かったですね、副団長。しかし、こちらは後手ですよ。お忘れなく」
後ろのガスパルは言った。
二人はそれぞれの余裕を見せている。
僕は腰元の鞭に手をかける。いつも使っている二メートルの物ではなく、三メートルの鞭だ。この半年で使い慣れてきたので、今日から装備の一部にした。まだ親父殿には話していない。昔なら嬉々としてすぐに報告しただろう。
船から扉の開く音、甲板を歩く足音。つばの広い帽子がデッキに影を作っているだろう。帽子と同じコジャトを示す深緑のマントがはためき、鮮やかな真紅の裏地をちらりと見せ、こちら側の欄干に姿が見える。口元には不適な笑みで、淡い青色の瞳が僕を見下ろす。まだ見慣れない今年から生やし始めた口髭は僕の髪と同じ薄い金色だ。
「エヴァ、出迎えご苦労」
その低く伸びやかでよく通る声に、声変わりするまで激しく憧れていた。砂利でも飲んで喉を傷付けたら近付けるだろうか、と本気で思った事すらある。
いかなるときも仲間を見捨てず、猛々しく剣を振り、確固たる絆で騎士をまとめ、気焔を吐けば地が響くような雄叫びを皆に上げさせる。僕が喧嘩を売った相手。
「反抗期などお前には無いと思っていたが、中身は独り立ちしてから養われるものなのだな。その第一歩として、これは喜ばしいと言うべきか」
親父殿は帽子のつばをグローブのはまった指で上げる。
何も答えずに今仕掛けたら勝てる。そう直感するが、最後の敬う気持ちを使う。
「何を仰っているのやら。港で母さんがお待ちです。大人しくお帰り下さい」
親父殿の左の眉がピクリと動く。それは機嫌が損なわれる前兆だ。
「……大人しく帰れ、か。なるほど」
父は小屋の前に目を向けた。勝率が下がっていく気がして、足を踏み出しそうになる。
「マリーザ、三年ぶりだな。ガスパルも帝国での仕事はご苦労であった。久しく声を聞きたいものだ。三人で、こちらの船に来てはくれまいか? 茶でも飲もう」
僕はマリーザとガスパルを信じて振り向かず、親父殿と新たにデッキに出た騎士の動きを監視する。
「……俺では返事をしなくなったか。ん? バルトロメもいないか。どうやって巻いた?」
「港に着けばわかります」
「ほう? それは楽しみだな。それにしても……」
親父殿はガスパルやマリーザをまた一瞥して左眉を上げて笑みをつくった。それは不機嫌を意味する。
「これが代替わりというものか。苦楽を共にした幼馴染が、手塩にかけて育てた若い騎士が、返事もしない。まったく、寂しいものだな!」
耳がビリッと痺れる。
ダニエルを連れて来なくて本当に正解だった。彼は若い頃、親父殿が熱意を買い周囲を納得させ、谷の外の者でありながら騎士となった。その恩と忠義はダニエルが騎士であり続ける以上、絶対に消えない。
「まあ、良い。今回は俺が悪い。結婚を許可しておきながら、取り止めを指示したのだから、暴挙と言われてもおかしくは無い。しかし、この件はもう俺の仕事になってしまってな。この際だ。暴挙のまま進めさせてもらおうか」
親父殿は腰のホルダーを外して、布に巻かれた剣を手に取った。それを真っ直ぐに僕へ向ける。
「俺は意見は変えん。フリア殿とは別れてもらう。そして彼女は首都に連れて行く。お前とジーリレは地下牢で留守番だ」
「では、親父殿は診療所でお休みください」
来るぞ、と言わなくてもガスパルはマリーザの前まで下がり、ジーリレは剣を構えた。
こうなれば、やることは一つだ。相手の昏倒。親父殿が指揮を取れなければ、僕に継承される。父の隷下にある船を僕の物にし、親に縄を掛けてでも無理矢理に話し合う場を設けるしかない。
親父殿の他、船にはおそらく技師と操舵員以外の騎士は六名。その中でも手練れのジーリレの姉のジェンを抑え込めばいい。人員の配置変更は当代の僕に知らせる義務とルールだ。それを破っていたら外道だが、示しが付かないことをする父では無い。
「早く来いよ、糞姉貴」
ジーリレがボソリと言うと、父の後方でダンと甲板を踏む音が聞こえた。バルジャン家の濃紺のマントが空に翻り、ジーリレに飛び掛かる。遠目から見れば双子のような姉弟は、剣戟と口喧嘩を始めた。
「ジュリレッダ、聞こえましたよ!」
「だからなんだよ! それがどうした!」
小屋の裏ではディバに捕縛網の投擲を指示してある。しかし難しいだろう。ジェンの身のこなしは曲芸のように軽やかで、予測が難しい動きを見せる。ジーリレがある程度、ジェンの動きを削るようなダメージを入れねば無理だ。
同時、林の中の音を察知する。二人か。後ろ手にガスパルへ手信号を送る。おそらく洞窟を出る前に降り、ベルの鳴る木板を避けて林に紛れたのだ。ガスパルをそちらに向かわせ、ここまで来る前に片付けたほうが無難だ。フリアの護衛が手薄になるが、ジェン以外は文官に近い騎士だ。彼の獣染みた剣の猛攻に長く耐えられるとは思えない。
……味方同士で何をしているのだろう。騎士のすることでは無い。しかし解決の糸を垂らさず、問題を箱に詰めるだけのやり方に対応するには受けて立つしかないのだ。
親父殿は甲板の上で、騎士三名とこちらの様子を伺っている。
「何故、このような事になったのですか?」
僕の質問に親父殿は口髭をまた撫でて、首を振る。
「それは柵越しで話すつもりだ。時間がない」
時間がない? それはどういう——いや、思考を相手に釣られるな。
しかしその戒めは遅かった。親父殿が甲板から瞬きで消えた。
本能的に小屋を振り返り、マリーザに向けて鞭を放つ。その先端は、飛び降りて来た親父殿がマリーザへ距離を詰めた先で、バチンとツバの広い深緑の帽子に当たり、空に飛んだ。
戻した鞭を左腕に巻き付けながら、剣を握る。親父殿の腹に目一杯の力で振ると、父は応戦することなく飛び上がり、宙に舞った帽子を掴んだ。桟橋をギシリと鳴らして着地すると、帽子を被り直し、片眉を上げる。
「親に鞭を向けて、恥ずかしく無いのか?」
「とても心が痛いです」
「ふん、バルトロメの仕込んだ軽口は趣味が悪いな」
もう一発腹目掛けて剣を横に振るため、踏み込む。互いの布に巻かれた剣が鈍い音を立ててぶつかった。親父殿が剣を払い、一旦距離を取る。
「ねえ、大丈夫⁉︎ マリーザ⁉︎」
「もちろん、ですよ。そのままで、いらしてください」
フリアたちの声に横目で彼女たちを確認すると、マリーザがグラグラと揺れている。耳の後ろが不自然に光を反射した。針だろうか。強めの弛緩剤を打たれたか。
ディバも異変を察知し、小屋の裏から出てくる。彼はフリアを引き取りマントの中に入れ、剣を構えた。マリーザは小屋のスロープの手摺りに寄り掛かり、右耳の後から、ぷつぷつと細い針を五本抜き、軽く吐いた後、僕に小さく謝る。
歪む口を首に巻いた布を引き上げて隠す。
目の前、五メートルほど離れている親父殿は口元の髭をなぞり、やはり笑った。
「俺はある指示をデッキの騎士にしてある。マリーザが倒れたら介抱するように、とな」
「倒れ、る? わた、しが? ご、じょう談を」
「マリーザ、お前は変わらんな。気高くて良い騎士だ。しかし毒には勝てん」
嘘だ。それはあり得ない。
しかし親父殿は続ける。
「強い毒だ。解毒剤は船の中にある。ラベルはわざと貼っていない。俺と医者のロクしかわからん。絶望的だな」
親父殿はくつくつと笑う。何故、そんな幼稚な発言を……。
「このままではマリーザが死んでしまうぞ? フリア殿」
ディバのマントの中からヒュッと小さく息を飲む音がした。
「フリア、全部嘘だ! あり得ない!」
「今なら、間に合う。君がこちらに来れば薬はすぐに使うさ。おお、マリーザ。青い顔だな」
黙れ、と剣に乗せて踏み込む。フリアの乱れた呼吸が耳に残る。冷静を欠いた剣筋は、親父殿の引いた足に間に合わず空を切る。また剣を振るが、追いつかない。相手はその口を止めない。
「フリア殿、君の叔母上から話をいろいろ聞いた。母君が亡くなったとき、自分から奉公に出ると言ったそうだね。十歳の君は娼館でも良いと述べ、その健気さで彼女たちを泣かしたそうじゃないか。自身のことを面倒な荷物とも言ったそうな。それはまさに今のことか」
ディバのマントの中の彼女は口で息をしていた。かすかに鼻をすする音……。これは冷えたからではない。それくらい僕だってわかる。
反射的に父に怒声を浴びせた。
辺りの林から鳥が一斉に羽ばたき、川縁で戦っていたジーリレとジェンが動きを止めて二人とも足を滑らせて川に落ちた。林の中のガスパルたちの物音も消え、マリーザが地面に手を付いたが、欄干の騎士たちは動きを止めた。
静寂の中、親父殿は僕に剣を振った。良かった。人の気持ちはわからないようだが、殺気はわかるようだ。
「話し合いもできねえ奴が喋んなよ」
そう言いながら受け止めた父の剣は重く、僕の手はきっと痺れている。でもこめかみの波打ちが、胸の内で轟く熱が、感覚を打ち消す。
「親への口の利き方もわからなくなったか?」
確かに。それはそうだ。父の剣を薙ぎ払い間合いを取る。
せめて言葉遣いだけでも直そう。彼女の耳にも届いているのだから。
「親父殿、僕は黙れと叫んだんですよ。耳が遠くなられましたか?」
父が無表情になった。それは激昂を示すもので、僕も同じ顔をしているのだろう。




