37、騎士と清算の難しい過去(6)
それから二時間はあっという間に過ぎ、ジーリレとガスパルに手筈を確認した。もし、親父殿の船から伝令以外で誰か岸に降りて来たら戦闘を開始、相手を捕獲するというシンプルなものだ。
洞窟の手前の船着場に停まると、水門の定点警備に当たっている騎士四人が小屋から出て来る。七日毎に交代で勤務するため、彼らは宴の中止をまだ知らず、僕を慰めてくれた。
「騒がしくなるかもしれないが、いつも通りの警備を頼む」
そう指示をすると、僕とジーリレは川を飲み込む洞窟へ入る。川面に桟橋のように設置された通路は、歩くたびにリンリンと鳴る。木板の中にベルを仕込んでいるのだが、一定の速度で歩くと旋律になっている。今はとても聴く気にはなれない『太陽と剣』。結婚の宴でしか聞かない曲だ。だからこそ選ばれたそうだが、また何か皮肉を感じてしまう。
五百メートルほど辺りで歩を止めると、岩壁の窪みに風穴がある。海側から入る地底湖まで繋がっており、普通は下から煙で使って知らせるが、親父殿の声がかすかに聞こえた。たぶん笑っている。そういえば試したことがない。拳ほどの穴に手を添える。
「聞こえますか、親父殿」
僕の声は穴に吸い込まれ反響した。
「エヴァ、久しぶりだな。なかなかはっきりと『太陽と剣』が聞こえたぞ。お前とジーリレの体重では、ここまで聞こえんと思ったが。もしや、お前たち、平時より装備が多くないか? これから仕事なのか?」
低い声で、なかなかはっきりと嫌味が聞こえる。コジャトの耳の良さならば不便なく会話ができるようだ。
「まさか。夕食をご一緒できることを楽しみにしております」
嘘吐けと、親父殿は再び笑った。
さて、水門を開けたくない。僕の勘はとても嫌な時に、とても嫌な事を当てやすい。
「開けないでおきます? これ絶対、先代は仕掛けて来ますよ」
ジーリレが小声で同意見を述べた。しかし開けないわけにはいかない。
森で見た母さんを思い出す。
「今日、母は粧しこんでいた。指摘したら絶対に否定するけれど、わかりやすくピアスが一番上等なものだったし、見たことのない羽織物だった」
母さんは普段めったに街に行かないが、父の帰還する日は何の気無しを装って港でお茶を飲む。そうやって到着まで時間を過ごすのだ。僕が小さいときはウルバノ、マリーザを連れて、よく出迎えに行った。船が着くと人垣の一番後ろに立ち、そこへ一直線で親父殿は歩いて来る。人が避けて母への道が拓かれ、まるで結婚式の花道のようになる。僕はウルバノと親父殿の後ろに回って、新郎新婦のように歩いて遊んだ。その過去は消えないし、消したくない。その幸せな情景を、僕だって違う立場で味わいたい。
拳を握りしめる。今、フリアの気持ちの一端がわかった。風穴に聞こえるように言う。
「水門を開けよう。僕はどんな事があってもフリアと別れないし、糞親父と判断したらブチのめす。副団長、覚悟はいいな?」
ジーリレは力量を認めた相手と戦うときの笑みを見せてくれた。
「もちろんです!」
さらに洞窟の奥へ進み、岩壁にカモフラージュされた扉を開く。地底から聞こえるくつくつと笑う声は水門の絡繰の音で消える。川の水は南北どちらに流れようか迷い始め、やがて谷へ向かって逆流し、それを見届けると僕らは船着場まで戻った。
「開きましたか?」
小屋の裏手で薪割りをしていたガスパルが手を止める。
「もちろん。加えて、団長は宣戦布告をしたんですよ。これであちらが攻めて来たら、気兼ねなく、思う存分戦えます。さて、鞘に布を巻いておきましょうか」
ジーリレのワクワクする様子にガスパルと顔を見合わせ笑った。
「僕の剣の布巻きを頼んでいいか?」
「はい。お預かりします」
ガスパルに剣を渡すと、僕は小屋に入る。中ではフリアとマリーザが釜戸の掃除をしていた。
「フリア、魚を見ないか?」
水位の上がった川にフリアを誘う。二人で船着場の桟橋に出ると、逆流に戸惑っている魚が集まっていた。マントからスリング式の銛を出して組み立てる。
「それはボウガン? でも平らなライフルみたいね」
「似たようなものだよ。ここの突起にゴム紐の輪をかけて、レバーを手前に引くと、筒の中でゴム紐にテンションがかかる。この状態で魚を狙い、引き金を引く。先端から飛び出す鉄串のような針には紐が付いていて、発射後は下のリールを回して手繰り寄せる。見てて」
僕はゆっくりと持ち方見せてから、構える。狙いを付けて射った針は魚に命中し、リールを巻いて、針を外すと水を張ったバケツに入れた。
「やってみる?」
「ええ。こんな釣りもあるのね」
銛を受け取った彼女は船室で見せた緊張の面持ちはだいぶ薄くなっており、見様見真似で川に放つ。コツを得ようと魚の動きを良く見始め、挑戦を続けた。鋭く集中する彼女が桟橋から落ちないよう見守り、二十回目で魚を射ったときは、タイミングが見事だった。
フリアは花が咲くような笑みを浮かべていたが、まだ歓声はあげない。慎重にリールを手繰り、ぴちぴちと跳ねる魚を抑えて針を抜き、両手で持ってバケツに入れた。それからトタトタと足を踏み鳴らして、我慢していた喜びを叫ぶ。
「マリーザ! 私も魚を釣ったわ! いえ……射ったわ!」
「まあ!」
マリーザが満面の笑みで扉から出て来てバケツを覗いた。フリアはしゃがみ、愛おしそうにバケツの中を見つめる。
「食べるのがもったいないけれど、食べたいわ」
「港までは生きたまま保ちますから、夕食で頂きましょう」
フリアとの朝食で聞いた一昨日の釣果はゼロだった。動きが無いので、油断して話をしていたら、餌が無くなることが続いたらしい。銛ならどうかと思ったが、性に合って良かった。
二人はどんな料理にするか献立を出し合い始める。その楽しげな会話の片隅に、ゴォンと洞窟の奥から船の上がった音が響いた。あと十分ほどでここを通るだろう。
「マリーザ、船が来る。準備があるなら急いでくれ」
そう言うと、彼女は頷いて小屋に戻って行った。
「準備って何?」
フリアは首を傾げて立ち上がった。僕は正面に立って、真っ直ぐに彼女を見る。
「これから親子喧嘩をする。君と結婚するなと親父殿が言い出した。僕はそれを飲めない。だから剣を交えて訴える。君を連れて行かれないように、マリーザに護衛する準備をしてもらっているんだ」
彼女は微かに目を見開いたが、それを自制するように視線を落とした。
「……船に乗ってやっぱり良かったわ。魚も獲れたし、あなたの隠し事も知れた。反対されている理由は聞けないのかしら。私、おかしな感覚があるから? 父が帝国の生まれだから?」
「君は何一つ悪くない」
「……あなたって嘘が下手よね。でも私、こういうの慣れてるわ」
彼女は川面の方を向き、魚の群れを眺めた。
「友達になった子がいきなり帝国の血が流れてるなんて信じられない、って離れて行っちゃったり、道で唾をかけられたり、そんなこと一度や二度じゃなかったもの。先生をしていたママがそれをとても柔らかいものに変えてくれて、だいぶ住みやすくなったけれど、鶏小屋に火を付けられたこともあるのよ。もちろん叔母さんが犯人を半殺しにしたわ」
それは知らない彼女だった。僕の知るフリアならば怒鳴り散らす話なのに、硬い殻で覆われた部分の彼女は静かに諦めていた。自分は無碍にされても仕方がないと思っている気さえした。
「……私って、面倒よね。喧嘩なんてさせて、ごめんね」
眉を垂らして笑う彼女が、ゴランフィルで僕を助けてくれた慈悲の出所を知った。父親の存在や他人から傷付けられ心を閉ざした部分があっても、そこから滲み出ているは優しさだ。胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる。
「何も面倒な事なんてない。君が謝ることなんて何一つない!」
僕は一歩、彼女へ進む。
「フリア、君の父君は糞親父で間違いないか?」
「……そうだけど。何よ、それ」
「今、僕も自分の父をそう思っている」
「こ、殺すの?」
「違う。鞘のまま戦う。君と同じでブチのめすだけだ。だからマリーザから離れないでくれ。約束してくれ」
「……わかったわ」
彼女は何か言いたげな唇を閉じた。再び小屋からマリーザが出て来る。懐かしい黒色のマントを付けて、同じ色のズボンを履いていた。フリアが気付くと、駆け寄って言う。
「マリーザ、ズボンじゃない。腰布もないし、ずるいわ」
ふふ、とマリーザは笑う。いつもと同じ淑女の口調で彼女に語りかける。
「今は騎士ですので。それにクラリッサが今、スカートに見えるズボンとやらを試作しておりますので、奥方はそれをお待ちください。さあ、私のマントの中へ」
その中で何も見ずにいて欲しい。血溜まりに映る自分の顔を何度か見たことがあるが、見せられたものではない。血は流れずとも同じような顔になるだろう。
洞窟からライトの光が届く。僕は布を巻いた剣をガスパルから受け取り、握りしめる。




