36、騎士と清算の難しい過去(5)
フリアを甲板に下ろすと、剣を隠したマリーザが彼女のほつれた髪を直す。
「この船は少し揺れますから。お気を付けて」
「ありがとう。私、ピクニックばかりしてるわね」
敷布を見た彼女と目が合い、ぎこちなく笑う。はじめて谷の外の街で知らない商人に話しかけられた時よりも下手くそな愛想笑いだ。そんな僕の耳元でガスパルが小声で言う。
「二時間は大丈夫ですよ。いざとなれば、水門を開けなきゃいいんです」
彼の余裕のある笑みを羨ましく思う。自分もそんな心持ちだったら、彼女に要らない憶測をさせなくて済んだのに。
「今は楽しみましょう」
そう言って、彼はフリアの前で軽く膝を屈する。
「奥方、俺はガスパル・アマドールと申します。服飾屋に勤めるクラリッサの夫です。お見知り置きを」
「フリアよ。こちらこそ、よろしく。奥様の心遣いで、私の帽子をあらかじめ仕立てくださっていたこと、本当に感謝してるわ。私、寒いのが苦手だから」
彼女はガスパルと歓談し、船は低速で進む。敷布の上で昼食が始まった。でもやはり彼女と上手く話せなかった。ジーリレやマリーザ、ガスパルが話題を先導してくれなければ、たぶん無言でパンを食べていただろう。
時折、じっとフリアはこちら見る。僕の不安が表滲み出ているのを彼女は見逃さない気がした。そういう鋭さも好いているのだけれど、今はただ不器用を晒すだけの自分を見ないで欲しかった。
時間が過ぎれば緊張が緩むかと思ったが、逆だった。いても立ってもいられず、昼飯を切り上げて船尾の操舵室へ向かう。サンドイッチを片手に操縦するディバと交代を申し出る。
「そんな、お気遣いなく」
「運転がしたい気分なんだ」
舵を握ると、すぐにフリアも中に入って来た。小さな船室だ。操縦する僕の背には扉があり、左右には壁に備え付けられた椅子がそれぞれ二人分あるだけ。右にディバが座っているが、彼女はどうするのか。ソワソワする胸に懐かしいざわつきが加わる。
「もしかして、これで低速なの?」
彼女は僕の左隣からメーターを見下ろした。速度計を見ている、と確認してから声を出す。
「うん、この船は三十ノットまで出る」
「船にしては……早いのよね?」
「早いよ。この国では一番上位の船だ」
肩が触れる距離まで、フリアが身を寄せた。
「……ねえ、騎士団って戦争屋なの?」
「奥方! それは僕が説明したはずですよ」
ディバの声は少し怒気を含み、彼女を制する。しかしフリアは彼の言葉に振り返りもせず、返事もしなかった。二人の様子に仲違いを感じ、困惑する。
「……君たちは話が合うんじゃないのか?」
それに戦争屋とは誤解がひどい。
「上辺の話ならね。でもディバは兵器開発が根底にあるから、言い合いになったの。爆撃機なんて馬鹿みたいって言ったら、わりと本気で怒ったわ」
ディバはサンドイッチを食べるのをやめて、一瞬だけ眉間に皺を寄せた。
「……小回りのきく爆撃機があったら、北の国の海外線は奪われなかった可能性をお話ししたのです。前の戦火はそこに築かれた要所が叩けずに、この国は海から攻め込まれましたから。今だってその危険はあります。だから、この国を守るための爆撃機です。それでも戦争屋との発言を撤回して頂けず、奥方とはいえ、少し熱くなってしまいました。申し訳ありません」
ディバが言ったのは、フリアの祖父が出兵した戦争だ。傷痍軍人に仕事をやる拠り所でもあったゴランフィルで育ったのなら、海上戦や港町の悲惨な末路は聞いたことがあるはずだ。
「それでどうして戦争屋なんて言うんだ?」
「……騎士団は原因を集めて何をしているの?」
「原因?」
「あの塔のことよ」
ちょうど成空碇になった者を弔う、墓地と呼ばれる塔の横を通る。先日ジーリレたちと行った場所だ。図書室のように理路整然と成空碇が棚に収められている。彼女はそこをじっと眺めていた。
「まるで飛空艇の機関室のように感じるわ」
僕は右を振り返って、ディバを見た。教えたのかと問う目線は鋭かったのか、彼はぶんぶんと顔を振る。
「ディバ、部屋から出てくれ」
「しかし、操縦は……」
「構うな、行け」
船室を出たディバがデッキでマリーザから水を受け取るのを見て、彼女に問う。
「誰に聞いた?」
「誰にも聞いてなんてないわ。叙勲を得た騎士の墓地だって、マリーザが教えてくれた。それだけよ」
横目で見るフリアは自身で肩を抱くように身を縮める。怒らないでよ、と彼女は呟いた。
僕は状況を把握する。屋内で二人きりだ。彼女の緩めた規定を刺激していることに気付き、言葉を選ぶ。
「怒ってないよ。驚いたんだ。どうしてそんなことを思ったんだ?」
「……あの塔は震えてる。怯えるように、私みたいに寒がるようにぶるぶると。谷に来た日も思ったわ。成空碇のエンジンの試験場なの?」
僕は軽く頷く。
「気付いたのなら、黙っておいてくれ。確かにあの塔には成空碇の動作試験場がある。国の指示で地下で耐久試験もやっている。それは騎士団の中でも知らぬ者が多い。だから、この場でこの話は終えよう」
即座に騎士として彼女に嘘を吐いた。試験場などない。集めた成空碇が微振動を永遠に続けているだけだ。しかし騎士でなくては伝えることのできないしきたりだ。
しかし僕やジーリレさえ塔の近くや中に入らなくては振動はわからない。訓練を受けていない普通の五感の持ち主のフリアが何故わかるのだろう。しかも川面の船から塔まで八十メートルはある。それはどれだけ鋭敏な感覚を持っていても、感じ取れるはずはない。
彼女が勘付いた理由をあれこれと憶測をするが、既に答えはぷかぷかと浮かび上がっている。沈めようとしても、弾けるように川面から顔を出す。彼女は世界で一人、特別なトニエ家なのだ。
「その感覚は他の誰かに話したか?」
「いいえ、今、あなただけよ。ねえ、あの塔のことは忘れるわ。他言もしない。でももう一つだけ聞かせて。成空碇って、貴重な鉱石なんでしょ」
「そうだ。帝国に渡さないために、僕ら騎士団が各地から集めて管理している。だから、戦争屋なんて言ったのか?」
「そうだけど、私の質問はここからよ。サラとミレイア、ガスパルさんは違う」
「……何の話だ?」
「あなたとジーリレさんとマリーザ、べステ様とウルバノくん、あと私とママは……あの塔と同じ。これが質問よ。答えて。この分け方は合っている?」
瞳孔が開いてしまう。船は川が蛇行する部分に差し掛かり、ガラス越しのデッキでディバが不安そうにこちらを見る。彩度の上がった景色をゆっくりと瞬きで終わらせて、しばらく船の舵を取った。
彼女は正解を導き出している。後者は成空碇になり得る家系である。しかしそれを認めるわけにはいかない。
「お手上げだ。何のことかわからない。けれど、僕とジーリレとウルバノは栗のグラッセが苦手だから、君も母君もそうなのか?」
フリアは首を傾げて笑みをつくった。はじめて見る僕への愛想笑いだった。口調をもっと柔らかくしなければ。
「それ、食べたことがないわ。どんな味なのかしら」
「甘いから、君は好きかもしれない。僕は、焼いて爆ぜるのを見た後に食べる栗の方が好きだけれど」
「……それはスリルを味わってるんでしょ。でも気になるわ。栗を焼くのはどこでできるかしら?」
「君の厚手の服が集まったら、母の家の庭でやろう」
「落ち葉を集めて焚き火をするのね。私、好きよ。たくさん集めようって思うもの。頑張るわね」
その声音はフリアにしては少し媚びた印象だった。そんな風に気を遣って欲しくない。でも僕は嘘で濁す言葉しか言えない。ガスパルのように余裕のある笑顔なんてできない。
フリアはしばらく黙って舵を見つめていたが、やがてデッキに戻って行った。すぐにディバがやって来て運転を代わるが、僕は壁際の椅子に座った。
「どなたか口を滑らせたんでしょうか?」
「いや、大きな砲門があるから、カマをかけたんだ。僕がそれに乗ってしまった」
ディバにも嘘を言うしかない。フリアがイグナシオのトニエ家であることは、騎士の中でも一部しか伝えていない。
「奥方との口論は昨日のことです。黙っているつもりはありませんでしたが、サンドイッチが無くなる前に奥方がいらしたもので。申し訳ありませんでした」
それからディバはガスボウガンの話を始めてくれた。僕は相槌を打ちながら聞く。窓の外に刻一刻と変わる景色の端にはフリアがいる。
空を飛ぶなら、空が見たい。
これは僕とクエルボで空を飛んだ後で感じた感想だろうか。あのとき僕のマントの中でフリアは何を思い、彼女の目は、体は、何を感じ取っていたのだろう。僕が努力したら、いつか分かち合えるだろうか。




