35、騎士と精算の難しい過去(4)
フリアたちから離れると、緑の帽子を被ったテオは父の船が山の向こう、海沿いの村を通ったと言う。昼食くらい一緒にできると思っていたのに、甘かった。
「では合図をしたら、君は手筈通りに頼む」
「最後の確認なんですが、僕は不敬罪で磔になりませんか?」
テオは不安そうに胸元から出した古い本に目を落とす。二つ上で、脚力は騎士の中で随一だ。適任は彼しかいない。
「責任は僕が取るから。相手の足が三度もつれたら、止めていい」
そう言うと、彼は頷いて覚悟を決めたようだ。元来た道を走って行く。
鉄門の前で、母さんと弟と話を弾ませるフリアを数秒眺めた後、三人に声をかける。
「親父殿の出迎えに行きます。母さん、フリアを頼めますか? ウルバノも頼むよ」
話を通しておいた母は静かに微笑んで頷いた。ウルバノは不思議そうに僕と母さんを見比べる。
「フリア、また約束を破ってすまない」
彼女は首を傾げて、こちらをじっと見た。
「……お出迎えでしょう? 仕方のないことよ。謝らなくていいわ」
「うん。じゃあ……、行って来るね」
言葉の終わらぬうちに背を向ける。何も考えずにそのまま来た道を小走りに進む。しばらくして木立に隠れてマントを身体に巻き付け、全速力で川に停めた船まで戻る。驚いた事にマリーザも腰に剣を差していた。
「お供いたします」
「それは、いいんだけど……。君が味方してくれるとは思わなかった」
「奥方のため、元騎士として参ります」
「……ありがとう」
親父殿と幼馴染みのマリーザが来てくれるのは有難いが、裏を返せば強引に来る可能性を彼女も感じているのだ。
確証は無くとも、フリアを谷に置けないのが決定事項なら、父は必ず遂行する。僕と話し合うのは無駄だと思っているかもしれない。
しかし話し合う場くらい何とか設けなければ。フリアは最後の砦の母さんに任せたし、森にはマノロやディエゴたちを配置してある。
船に乗り込むと、ジーリレが城砦から走って来た。シャツのボタンが一つ留まっていないのをガスパルが笑う。
「副団長、装備に忘れはないですか?」
「ご心配なく」
ジーリレは照れを隠すようにぶっきらぼうに言い、桟橋と船を繋ぐロープを外す。
裏門からバルトロメも来る。その可能性は考えていた。茂みに隠れているテオに視線をやった後、船に乗ろうとする彼に問う。
「もしも親子喧嘩が始まったら、僕の味方をしてくれるか?」
「……難しい事を言いますね。あなたが愛らしいままであれば助けて差し上げたでしょうが、騎士としてはなかなか立派になっています」
昔は親父殿のスパルタ任務の手助けをしてもらったが、今は親父殿と互角を取れると彼は普段から言っている。
「そして残念ですが、やはり先代の指示があれば、私の優先はそちらかと」
それは仕方のない事で、彼の自由だ。
「悪いけれど、一時的に味方の確約が取れないなら、同じ船には乗せられない」
「まあ、致し方ありませんね。港でお待ちしておりますよ」
「それも疲れて無理だと思う」
マントの中からテオと同じ帽子をバルトロメに差し出す。
「……はて、これは?」
僕は左手を高く上げて林を見た。バルトロメも訝しげに同じ方に目を凝らす。渡したものと同じく、危険はないと知らせる緑の帽子を被ったテオが飛び出ると、城砦への道を颯爽と走り出した。
「今から借りていた本を返す。テオが君の名前と本のタイトルを言って、街の中を夕方まで探し回る。受け取って欲しい」
親父殿とバルトロメは長年の付き合いで、目線で会話ができるのではと思うくらい息がぴったりだ。事が起こるのが、川の上でも、港でも、バルトロメにはいて欲しくない。
「それはスケベな本ですか?」
隣に来たガスパルが首を傾げる。
「いや、違う。ものすごくスケベな本だ」
「……あれか! 当代、無粋ですぞ!」
思い当たったバルトロメは血相を変えて帽子をひったくり、テオの後を追う。
「帰って来たら説教はいくらでも聞く!」
彼の背中にそう叫ぶが、ちらりとも振り返らず、ロングコートをなびかせて消えて行った。
船のロープを外したジーリレが船に乗り込むと、船尾にある操縦席でディバがエンジンをかける。その音に紛れて、声を捉えた。
「待って! 私も乗る!」
まだ姿は見えない。ジーリレは僕に視線を向けたが、無視を決める。船は桟橋からゆっくりと離れた。声が近付いて来るが、川を進み出す。しかし叫ぶ声は胸を揺さぶる。
「あんた、聞こえてるんでしょう! 猫は助けて私は無視するの⁉︎ エヴァン! 待ちなさいよ!」
僕の名をはじめて呼ぶ怒声に、マリーザやガスパルもこちらに目を向ける。
「どうなるにせよ、側にいた方が良いかと」
ジーリレは僕に囁いた。でも……。
「もし、本当に戦闘になったら自信がない。僕は誰かを守りながら戦うのに、まだ慣れていない」
先月の帝国での仕事だって、脚を何度も撃たれたセブリアンを守りながら、戦闘をひどく長引かせてしまった。
「それなら、俺のマントに入れておきますよ」
「え?」
ジーリレがひょいと欄干の上に乗って、森に体を向けるので、僕は急いで船から岸へ飛び降りた。
「冗談です」
振り返ると、彼は手すりに座って笑っている。隣でガスパルがいつもの穏やかな笑みを浮かべ、バスケットを掲げた。
「船の上での昼飯ってのもおつですよ」
「多めに用意しておきましたので、まだありますわ。みんなで食べましょう」
マリーザはデッキに敷布を引いて準備を始める。
森の道から、汗を垂らす彼女が現れた。目が合うと、キッと睨まれる。
「返事、くらい……しなさい、よ!」
「……すまない」
彼女はどうして、来たのか。息を切らして、こんなに必死になってまで。
「何故、船に乗りたいんだ? 母さんに何か言われたのか?」
彼女は川に浮かぶ船に目を向けて、しばらく息を整える。
「べステ様には何も言われてないわ。気付いてなかったの? 私、すぐにあなたのことを追いかけたのよ?」
振り返らないことに集中して、気付かなかった。
「……ごめん」
「船に乗らせて」
彼女は静かに強く言った。口の固い者ばかりだから、フリアは宴の中止の理由は知らないはずだ。でも彼女は洞察力がある。僕が気付かない色々な事を感じ取る。
「あなたの隠している事が知りたい。でもあなたは言わない。だから、船に乗りたいの」
「……危ないことが起きるかもしれない。でも、どうしても乗りたいなら、僕に掴まって。船まで飛ぶから」
「変なところを触らないでよ」
「それはわからない」
僕はフリアを連れて行くのが不安で、諦めて欲しい気持ちでそう言った。しかし船上のジーリレに吹き出して笑われ、それに気付いた彼女も笑う。
「馬鹿ね」
笑顔のまま彼女は僕の首に腕を巻き付けた。顎に汗ばんだ額がこつんとぶつかる。
「……怖い思いをするかもしれないんだ」
「でも乗るって決めてるから。あなたが乗せないなら、ジーリレさんを呼んで乗せてもらうわ」
僕の単純な体はフリアの膝下に腕を入れて抱え込み、姫のように抱くと、船へ飛んだ。




