34、騎士と清算が難しい過去(3)
それから僕は親父殿が帰る前日にフリアに会いに行く余裕を設けるため、夜通し仕事をすることにした。
眠気を飛ばすために軽く体を鍛えながら、詫び状を書き上げ、新しく届いた電報や書簡に目を通す。明らかに去年の冬より背が伸びたから、衣服も見繕わないといけない。
何を優先しようかと迷って手が止まり、無駄な時間が流れる。でも直感的に衣服を一式急ぎで揃えようと思った。
親父殿は帰還後、飛空艇の整備が終わったらすぐに谷を出立するつもりではないか。そして予定通り春までは戻らないのでは。その考えがもたげる。
装備を入れるポケットの数を合っていれば、既製品で良い。今の仕様をメモに取る。朝一で工房長に無理を押し通し二日で仕上げてもらおう。
僕は父の船に是が非でも着いて行かなければ。たとえ僚船に忍び込むことになっても、谷に彼女が居ないのなら行くしかない。
翌日の朝食は休みをとったダニエルの家に呼ばれた。すでにフリアは夫妻の子供らと馴染んでおり、一緒に釣りに行くという。
「私、缶詰の魚しか見たことないのよ。だからいろいろ教えてね」
そう八歳の娘ソフィアに笑いかける。十歳のレオが釣り指南を始めると、フリアは熱心に聞いた。彼女とあまり話はできなかったが、昨日と変わらぬ様子に安堵した。
その日は会合をはしごする。冬支度の仕入れの最終調整や春までの仕事の人員の決定、傭兵組の帰還予定の検討。
「目の下の隈をお取りなさい」
最後の話し合いの終わり、バルトロメはそう小言を言った。
「電報が来たのも、宴が中止になるのも危険はないと周知しておりますが、当代がそのようなお顔ではあらぬ誤解を生みます」
「……今日はゆっくり寝るよ」
果たしてできるだろうか。そう思いつつ、団長室にこもって手隙の時間を錬成する。
仮眠のあと、明け方から訓練の準備があり、フリアと朝食を共にできなかった。川に配備した砲台を使った大掛かりなもので、その日は留守にしてしまう。夜に帰った時にはフリアの部屋の扉からは明かりも消えていた。僕はあらかじめ用意しておいたメモを扉に挟む。
『明日の昼、母の家に昼食を食べに行かないか? 返事は朝食の時に欲しい』
自分の部屋の水場で熱めの湯で重くなった体を洗ったが、眠気は取れずにベッドに倒れ込む。
……あ、メモのスペルを間違えている。
体を起こして居間で書き直す。廊下に出て、差し替えようとしたが、前のメモは無くなっていた。
眠れないのなら、お茶でもどうかとノックをしようか迷う。でも今、フリアと対峙したら、僕はまた堰き止められない感情が溢れ出すだろう。
下の調理場でお湯を沸かし、布を巻いたポットに入れる。蜂蜜や茶葉、クラッカーとナッツを籠に入れて彼女の部屋の横のコンソールテーブルに置く。メモに文を付け加え、また扉に挟んだ。『スペルの間違いの非礼に』と。
しばらく経って、そっと開いた扉の音を隣の居間のソファで寝転びながら聞く。籠が持ち上がる音を聞いて、僕は眠ってしまった。
翌日の昼、用意させておいた中型の高速船を要塞の裏手の川に留め、運転を任せたディバ、ジーリレとガスパルを待機させる。みんなで連射型のガスボウガンについて話し込んでいると、フリアがマリーザとサラと共に裏門からやって来た。
「昼食をお持ちしました。ジーリレは家で食べる?」
サラがジーリレに笑いかけると、彼らは眉を垂らしてこちらをみるので、僕は頷く。
「装備は解かないように」
僕がそう言うとジーリレは家まで待てないのか、サラにキスをした。いつもより熱い様子に、フリアはマリーザと顔を見合わせて静かに笑う。
「私はここで待っておりますので」
マリーザがそう言うと、フリアは少し首を傾げたが、隣に来て川沿いの道を歩き出す。
親父殿が四日で帰ると言ったら、三日で来ると思っておかねばならない。
そうなれば水門を開けに向かう。念の為、ジーリレとガスパルには武装をフルオーダーしておいた。親父殿は強引になるきらいがある。街に着く前、策を練られて船の上で僕の身柄を拘束されるとまずい。手も足も出せずにフリアを連れて行かれる可能性がある。そうなったら、僕の失ったものを捨てる自戒を立てたジーリレも道連れだ。
「最近、訪問客は来た?」
隣のフリアは至って普通に見える。朝食の席でも、眠れぬ夜を過ごしている風には見えなかった。マリーザやサラのおかげだろうか。他にも気を遣う者がいたかもしれない。
「昨日、婦人会の会長さんや副会長さんがいらしたわ。そのあと工房長も」
婦人会は結婚の宴の食事を取り仕切るから気遣いはわかるが……。
「なぜ、工房長が?」
「モンドランゴン家を代表して、元気が出る歌を歌ってくれたの。代表って言ってたのに、途中で息子さんが止めに入って来たけれどね」
想像ができて、ふっと笑う。
「それも芝居なんだろ?」
「あら、有名なのね。私、驚いたわ。喧嘩腰の息子さんが急に歌い出すんだもの」
クスクスとフリアは思い出して笑い、地面に視線を向けて、額から溢れた髪を直す。
「ねえ……、夜のお茶、ありがとう」
「昨日は朝食を一緒に食べられなかったから。それに、勝手な予定を立てて宴を中止してすまない」
「それは聞いたから、もう謝らなくていいわ」
それから彼女はコトヴィアのキャノピーを造るために、ガラス工房を紹介して欲しいと言った。操縦席の上部半球をガラスにしたい、と。谷の工房では難しいと言うと、残念そうにする。
「従来通りなら、四方と上方に窓があるだけだ。上半分をガラスにすると、銃撃された時に危険だよ」
「あのコトヴィアは戦わないわ。だから空がたくさん見れるようにしたいのよ」
「……どうして?」
「空を飛ぶなら、空が見たいじゃない」
彼女はそれから比重は鉄よりガラスの方が軽いから、高度も上がるかもしれない。三つある後方の銃撃席をガスタンクにしたら、航続距離も伸びると色々な計画を話してくれた。
「ねえ、よそ事を考えてない?」
「……ごめん。空を飛ぶなら、空が見たいって不思議な言葉だと思って」
「何よ、それ。動物が好きなら、動物を見たいでしょ? それと同じような意味よ」
彼女は何を思い出したか、含み笑いで僕を見る。
「……何で、僕が動物を好きってわかるんだ?」
「好きじゃなきゃ、春先の冷たい川に飛び込んで子猫を助けないわ」
誰が教えたのか。団長になった翌日だ。商工会の会議を放って、バルトロメから戒飭処分を言い渡された件である。
「あれは耳が良いから、ずっと気になってたんだよ」
「気になるのが早過ぎないかしら。サラがジーリレさんに聞いた話だと、ミャと聞こえた瞬間に席を立って、アと聞こえると、窓からいなくなったって言っていたわ」
「川に落ちる音も聞こえたら、一刻を争うだろ……」
僕はその後かなり叱責された。装備を付けたまま飛び込んだから、周囲は念の為迎撃の態勢を敷いて、街で避難誘導が始まった。対岸で猫を救った後、腹に入れて温めながら街に戻ると、バルトロメはとても良い演習でしたねとこめかみに青筋を浮かせ、親父殿には指示を出せば良かろうと鼻で笑われた。
あれは自分でも言葉が足らなかったと反省している。でも言葉を発している間や、装備を投げ捨てて危険は無いと示す間に、猫が彼方遠くへ流されてしまったら、僕は耳の良さを呪いのように感じてしまう。しかし団長として我慢しなくてはならない事はあり、どれだけ大切に思っている事柄でも当て嵌まる。それは重々承知しているつもりだ。
「あ、べステ様!」
父母の館が見えて、フリアは大きく手を振った。鉄柵の門で、母さんとウルバノが出迎えてくれている。
でも僕は昼食には参加できない。後ろから伝令役のテオの足音が近付いて来ている。




