30、騎士の心は嵐のように(14)
僕らは丘を降りて、帰路に着いた。
何か話さなきゃと思っていると、彼女は口笛を吹いてくれる。曲が終わると、物置で見つけた製図の道具はいるか聞いたり、冬用の衣類の準備について尋ねた。
二度目の口笛が終わると、棚の本は読んだか問おうとして、雷に打たれたように思い出した。あと一人本を借りていた。完全に失念していた。古いラブロマンスだが、なかなか過激で冒頭から情事が始まり、主人公はほとんどのシーンで欲情している内容だ。
「本がどうしたの?」
彼女は僕が「棚の本……」と言った続きを促した。
「……一冊、回収したい本があるんだ」
「ふふ、『蜜月の強制』ね?」
「えっ、読んだのか?」
「パラパラと。あんな色情狂みたいな本、元は誰の物なの?」
僕はバルトロメの名誉のために口を割らなかった。彼女は諦めて、また口笛を吹き始める。
トマスの家までの道を半分過ぎると、夕暮れが始まろうとしていた。メロディが薄暗くなった空に吸い込まれ、名残惜しくなる。
「ギターを持ってくれば良かった」
ぽつんとそう言うと、彼女は歩くのをやめた。振り返ると、くすくすと笑い出す。
「気付いたわね。私、ずっと思っていたのよ」
「……今度は何処でも持って行くよ。歌ってくれるの?」
「歌ったり、踊ったり。気分によるわね」
フリアが僕を軽やかなステップで追い越すと、高揚感が胸を占めて、名残惜しさに拍車がかかる。幼い夕陽に金色の瞳が照らされ、船の上やベランダで見た彼女が頭をよぎる。どの彼女ももちろん美しい。でも今が一番美しいと強く感じた。
トマスたちに礼を言い、街に住む者への手紙や品物を預かると、クエルボを空に飛ばす。フリアは小さな鉄製の湯たんぽをトマス夫人からプレゼントされ、それを包む巾着に刺繍がしたいと言った。
「母やクラリッサが上手いよ」
「マリーザは?」
「……縫うのと編むのは上手だ」
「知っているのね。私も刺繍を見たわ。メラメラと燃える焚き火だと思ったら、花だった」
「誰でも苦手なことはあるから」
「そうね。私にも苦手なことを教えてくれて嬉しかったわ」
「それは僕の口笛も含まれる?」
「……少しだけ」
ふとフリアの耳を見ると赤くなっていた。クエルボで風を切っているからか、感情によるものか判別が付かない。いつかこういう少しの変化もわかるようになるのだろうか。……いや、違う。
「これから、昼間会いに行くから」
「あら、そう」
フリアは気のない返事をした。しかし断られなかった。気が急いて彼女の今後の予定を問おうとする頭を落ち着かせる。
どれだけ短い時間でも、手隙になったら会いに行こう。街に降りる用事があったら、彼女も誘ってみる。そうやってまた一番美しい瞬間を塗り替えたい。温泉の池を見たり、花畑に案内したり、蛍を見たり、彼女の心が感動で震えるとき、隣にいたい。まずは今夜の食事を共にできるか、降りたら確認せねば。
しかしその思いは陰る。城砦が見えて、旋回して塀の滑走路を確認すると、脇にジーリレ、ダニエル夫妻、ガスパル、バルトロメが立っていた。僕は上手く頭が切り替えられない。
「出迎えではないわよね。何かあったのかしら?」
フリアが代わりに言った。
「いや、危険があったらトマスの家に連絡がくるから大した事じゃないと思う」
それは願望で、着陸のために心を落ち着けるためのまじないに近い。
「牧場の着陸より、強くブレーキをかける。バーを握った手の間に頭を入れておいてくれ」
クエルボを塀の上に走らせ止めると、すぐにガスパルとマリーザが駆け寄って来た。
「お帰りなさいませ。奥方、私がお手伝いいたします」
「団長、クエルボは俺が引き取ります。中の荷物も館へ運んでおきます」
「トマスたちからの品物や手紙もある。それも頼む」
そう言いながらも、胸がドクドクと鳴る。夕食を共にするのは諦めた方がいいみたいだ。
「フリア、今日はとても楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ」
軽く笑む彼女を振り切ると、ジーリレたちの元へ足早に歩く。三人は少し硬い表情で、ダニエルが二通の電報を差し出す。
「四日後、先代がお帰りになります」
親父殿が二週間も予定を巻いて帰郷する。受け取った電報に目を通す。同じ事が書かれ、危険はないと締め括られていた。
二枚目は僕に宛てた暗号文だ。取り決めたコードの種類は一番緩いものでいくらか安心し、三人へ背を向ける。頭の中で解いていくと、紙を持つ手に力が入り、さっきまでの高揚感は砕け散った。
「私たちはお聞きできる内容ですか?」
バルトロメの言葉に僕は背を向けたまま、首を振る。
「危険は、ない……。でも宴を……」
「宴を、どうするんですか?」
ジーリレが聞くが、続きが言えない。親父殿の指示であるのに、従いたくない。
暗号は結婚の宴を即刻中止し、花嫁と別れるべきだと解けた。のっきぴきならない事情がわかり、彼女を騎士の谷には置けない、帰ったら詳しく話す、と。




