29、騎士の心は嵐のように(13)
フリアは僕との間に一人分の距離を取って座り直した。
「……いろいろ、ありがとう」
そう呟くと、彼女は眉間に皺を寄せる。
「何が? まさか、さっきの続きをせがんでいるの?」
「ち、違うよ! 僕が気付けないことを、君は気付かせてくれる。それに感謝したんだ。ミレイアに対して、僕は無責任だった……」
「ミレイアが本気であなたのことを好いていても、無碍にしたでしょうね。そういうところがあるのは怖いわ」
フリアが誰を思い浮かべているかはわかる。彼女を身籠る母を置いて帝国に帰った父親だ。それは同じにされたくない。
「言い訳になるけど、僕はこうやって男女で遠出をしたいとか、そういう事に興味が無かった。騎士として生きるために訓練を積んで、仕事を完璧にこなして、この谷を守るのが使命だと思ってた。でも君に出会って、誰か一人をこんなにも……、つまり、その……」
顔がとても熱くなる。フリアに世話になったとき、ゴランフィルの地に彼女への美しさを連ねたときのようだ。
「え、笑顔がもっと見たいって、思ったんだ。助けてくれたとき、君は溌剌とした笑顔で街を案内してくれた。会えなくなって、今どんな顔をして、何をしているんだろうって幾度となく思った……」
こういう状況に慣れていないからか、こめかみが痺れる。頭に浮かんだ言葉が上手く掬えず、口からなかなか出ない。
「つまり、君に……夢中なんだ。他の事に配慮が足りなくなってしまうくらい、好きなんだ。それはある意味、駄目なことなんだけど。でも、僕は君を置いて何処かに行くなんて、絶対にしない。そんな事、誰に命令されてもできない」
僕が何とか要点を伝えると、フリアは立ち上がって背を向けた。ぐつぐつと煮える鍋をレードルで混ぜ始める。
「稀代の騎士でも顔が真っ赤になるのね」
「ど、どんなに強い騎士でも好きな人の前では普通の男だと思う。僕は、特に不器用かもしれないけど」
「そうね。十四のときの口説き文句の方が良いわ」
やっぱり気付いていた。僕は少し悔しい気持ちで彼女の背を見つめる。でも改悪されて文句が噴出した拳銃よりはマシだろう。
「……覚えていてくれて、ありがとう」
それに何の返答も無かった。過去の自分に負けた僕は顔の火照りを鎮めながら割れた皿を片付け、まな板でハムを切る。
カップにスープを入れた彼女が敷布に座ると、お互いの間に食事を並べて、遅めの昼食を始める。
「いろんな話を聞いたけど、ミレイアは口笛が下手なのは知らなかったわ。気を遣ってくれたのかしら」
チーズを食べた後、彼女はそう言った。
「僕は他の人なら断る。あんなのを聞いたのは君と母しかいない」
彼女の作ったスープをまず飲むと、さっきの悔しさは吹き飛んだ。信じられないくらい美味しい。どうしてもっと大きな鍋を持って来なかったのだろう。……彼女のために用意したメニューだ。しかし無粋を承知で、僕は取引を持ち掛ける。
「君はスープを何杯飲む?」
「このカップ小さいから、たぶん三杯かしら」
「プディングとスープなら、僕はスープが飲みたい。君はどう?」
「私はプディングだけど……。そんなにお腹が空いているの?」
「スープがとても美味いんだ」
「こんなの覚えたら、誰でも作れるわよ」
「いや、作れない。絶対に」
そう言い切れるほど、本当に美味かった。食事作りが上手いとされるサラでも無理だろう。ジーリレに言ったら小一時間反論されそうだが、受けて立てるくらい美味い。
フリアは少し呆れながらも、プディングの代わりにスープを一杯分譲ってくれた。それから鍋の中身はあっという間に無くなって、僕は口の中の余韻がパンやチーズで消えていくのを名残惜しく思った。
昼食の片付けを終えると、丘に登って羊を眺めて歩く。木登りを始めた彼女にドギマギとし、くるんとした角を持つ羊たちに囲まれた。何とか指笛を鳴らしてカネラを呼び、散らしてもらう。カネラは木から降りた彼女にまたちょっかいを出そうとしたが、無言で殺気を送るとクゥンとやめた。わしゃわしゃと撫でて大人気ない事を詫び、しばらくカネラと遊ぶ。
「まただわ! なんで?」
笑う彼女を見ると、木の幹に座っているのか、また集まってきた羊で見えない。
「撫でて欲しいのかもしれない」
そう大きな声で伝えると、フリアは羊の頭を避けて立ち上がり、そっと額を撫でた。撫でられた羊がするんと伏せる。彼女はそれを繰り返し、もこもこの白い毛の間を通って来る。雪を集めたような塊がいくつもでき、また別の羊たちが集まり、彼女はその額へそっと手を伸ばす。
「不思議ね。こういう種類の羊なの?」
僕らの元へ来ると、フリアはしゃがみ、ひっくり返ったカネラの腹をさする。撫でられなかった羊はカネラを恨めしそうに見ている。
「君を怒らすつもりはないって示しているのかも」
僕がそう濁すと、彼女は片眉を上げる。
「羊はあなたみたいなことしないわ」
……しまった。もっと言い方があった。そう反省していると、心配しているのだろうトマスかその息子が遠くで甲高く指笛を鳴らし、カネラを呼ぶ。




