27、騎士の心は嵐のように(11)
トマスと簡単な挨拶をして、フリアを皆に紹介すると、朝の連絡を受けてプディングを作ってくれていた。礼を言って彼女が受け取ると、僕はシートから荷物を出す。四角い籐のバスケットと、敷布に包んだ鍋や皿。両手が荷物で塞がっていて良かった。手を繋ぎたい気持ちに諦めがつく。
帰りの時間を告げて、クエルボを預けると、降りて来た道を戻りながら、柵の向こうの角牛を眺める。僕が贔屓にしている角牛を指差すと、ちょうど荒ぶったのでフリアに睨まれた。しかし牧草を喰んでいる牛たちを見て目を細めた。
「確かに目がとても優しいわ」
「うん。トラクターの数が限られているから、農作業を手伝ってくれるんだ。昔はもっといたんだよ」
「あっちの丘の、白い点々がいっぱいあるのは羊ね? お昼を食べたら、見に行けるかしら?」
「もちろん」
滝の音が聞こえてくると、木立の向こうに岩場が見えて来る。
「あの辺りで昼食にしよう」
「熊とか出ない?」
「この川辺はカネラやその家族がいるから大丈夫だよ」
「カネラ? さっき私の足で腰を振っていた犬?」
僕はさっと目線を下げる。トマスが急いで干し肉で釣り、引き剥がしていた。
「……うん。その、気になってたんだけど、君は他の人にもあっけらかんとそんな事を言うのか?」
「まさか。あなたに言っているのは、わざとよ」
「……からかっているの?」
ふふ、とフリアが笑った。僕の恥じらいが彼女の楽しみに変換されるなら、僕の楽しみでもあるから、受け入れるしかない。
「火を起こすから、牛を見てていいよ」
「わかったわ」
そう言うと、フリアは柵の近くにあった平らな岩に登って、牛たちへ口笛を吹き始めた。谷の牧歌だ。春に仔牛が生まれる喜びを込めた歌。
僕は彼女の奏でるメロディを聞きながら、川辺で焚き火の跡を探す。すぐにわかった。平らな大きな石の脇に煉瓦の囲いがある。ちょうど鍋とヤカンが置けるだろう。火を焚くと横に敷布を引いて、川で手を洗い、小皿に炒った胡桃やアーモンド、干し葡萄を出す。まな板や包丁も揃え、チーズを切っていると、フリアが大きく笑う。見ると、角牛たちが彼女の前に集まって来ていた。
「ふふ、なんで? なんで? たくさん来たわ!」
それはフリアが千羽書の家系だからだ。解明はされていないが、僕らは角のある動物に好かれる。臆病な鹿でさえもずっと同じ場所に騒がずいれば、挨拶に来てくれる。天を駆ける馬と羽のある乙女の夫婦が出てくる御伽話では、何百人も角で人を葬った鹿が騎士として彼らに仕える。
成空碇や千羽書のことは、騎士でなければ伝えてはいけない。遠い昔、自分の体を差し出して仲間を救おうとした者たちが無数にいるからだ。欲深い者に対して意味のない取引で、一族全てが危険に晒される。だから僕はその質問にどう答えようか迷ったが、また口笛が再開された。
角牛たちがフリアの前で寝転び、昼寝を始めると、彼女はおやすみと言ってこちらに来る。川で手を洗いハンカチで拭きながら、バスケットの中身や火にかけたヤカンを見る。
「スープは私が作るわ。このお皿のナッツはつまんでもいいの?」
「うん。僕はパンやハムを切る。パンは厚めがいい?」
彼女は胡桃を口に放り、僕の手を見た。
「私の分は、あなたの小指くらいの厚さでお願い」
「わかった」
僕は早口に言うと、ぐっと奥歯を噛み締める。口角が上がるのを堪える。にやにやとしたら、気味が悪いのは自分でもわかる。久しぶりの彼女の手料理が楽しみだとしても耐えるしかない。でも、えっと、何か、何か話さなきゃ。
「魚は塩抜きしてあるから」
「あら、そうなの。あなたがしたの?」
彼女はまな板と包丁を手に、僕の隣に座る。バスケットの上で、リズミカルに野菜を切り始めた。
「朝、サラに教えてもらったんだ」
「これはあなたの決めたメニューなの?」
「メニューはそうだよ。でもサラにかなり手伝ってもらった」
ふうん、と彼女がまたポリっとナッツを噛んだ。僕も小皿からフルーツを取る。ゴランフィルでよく食べられているスープだ。彼女を見ると、微笑んでいた。鍋に切った具材を入れて、白身の魚をほぐしている。
「叔母さんの電報は五日前が一番新しいのよね?」
「うん。首都にいる父が、騎士とは伏せて挨拶に行ったときのものだよ。その話は電報にあった?」
フリアは干し葡萄を二つ食べて、口の端を上げる。
「ええ。よくしてもらってるって。上品なギャングのウィルさんに」
ウィル。親父殿のことだ。ウィルフレディオ。だからウィル。……まだ僕は名前で呼んでもらっていないのに、父に先を越された。いや、そんなことは思うべきじゃない。首都での仕事の合間、僕ができないことを代わりにしてくれている。感謝しかない。でも悔しく思ってしまう。
「叔父さん、コトヴィアをいつか直して、ゴランフィルに飛んで来いってワクワクしてるんですって。あなたのやり方に最初は怒っていたのに、コトヴィアって聞いて手のひら返しよ」
僕は切ったパンを皿に置くと、彼女はカゴからハムを出して渡してくれた。
「ねえ、叔母さんのパンチは避けるの? 治療には感謝しているけど、強引なやり方にはきっとまだ怒っているはずよ。あと彼女は人前でも平気で殴るわ」
「……君のあれは叔母譲りなのか?」
「ええ、そうよ」
首都に行くことは数日前の朝食で伝えている。彼女が言うなら、病室だろうがどこだろうが、叔母は殴ってくるのだろう。
「やっぱり、鼻を狙うのかな」
「私より上手だから、顎だと思う」
口の中が切れるくらいか。
「小ぶりな石を握って、泥棒を追いかけて路上に沈めてたわ。何かあると、近所の女たちは衛兵よりも、叔母に知らせに来るのよ」
「……怪我が見た目でわからないところなら、避けないよ」
さすがに首都で顔に傷を付けるのは目立つから、腹を狙って欲しいところだ。
フリアは切った具材を鍋に入れて油で炒めはじめた。布巾でケトルを持って鍋へお湯を注ぐ。川の水をケトルに足してまた火にかける。水筒から水を飲むと、僕のすぐ隣に座った。皿の上でハムを切る手元を見られて、緊張する。
「ねえ、どうしてミレイアじゃ駄目だったの?」
僕はナイフで皿まで切ってしまった。真っ二つに綺麗に割れ、ガキンと刃が下の石へ当たる。刃こぼれしたか。いや、それどころではない。解決しているとは言え、フリアが言ったのは元婚約者の名前だ。




