25、騎士の心は嵐のように(9)
翌日、僕の願いは叶った。風も穏やかで、山の上の雲も少ない。
ダボの診療所で新しく産まれた子供の騎士に祝いの品と食事を届けると、昼の鐘が鳴る。館へフリアを迎えに行くと、すでに玄関にマリーザと立っていた。調理場に置いておいた荷物を取ってくると、見送りを申し出たマリーザと三人で城砦を歩く。
「どこに行くの?」
後ろでフリアがマリーザに聞いている。
「良いところです」
マリーザはあえて飛行機のことを伏せるようだ。
城砦の塀の一部は他より幅をとってあり、滑走路代わりに使っている。少し振り返ると、フリアは小首を傾げて塀の階段を登っていた。屋上へ到着すると、ダニエルの言ったとおりになった。
彼女は僕が渡したゴーグルに息を飲み、僕が昇降機からクエルボを出すとぴょんと跳ね、ダダンとステップを踏んでクルクル回り終えると、ちょうど僕の横でピタッと止まり、肩をバシンと叩かれる。
「何よ、これ!」
「コトヴィアの後継機だよ」
「クエルボ! 知っているわ!」
「乗ったことはある?」
「ないわ! 今から乗るんでしょ!」
「……さあ?」
僕が意地悪にそう言うと、彼女にまたバシンと肩を叩かれた。
「また取引をするつもりっ⁉︎」
「いや、そのつもりはないよ」
彼女の表情を見て取るに、キスくらいしてくれたかもしれない。でもそれはクエルボが貰うもので、きっと操縦士は誰でも構わない。僕はここ数日で欲張りになっている。彼女の焦点を僕に合わせたいと願ってしまう。
フリアは弾む足取りでクエルボを眺めて歩く。
太陽に照らされた黒い機体は艶こそないが、よく磨かれている。ライフルの弾丸のように先細った機体で、壁はない。機体と垂直の直線タイプのハンドルで、タイヤは前輪と後輪が二つ。コトヴィアと違い、陸での走行が可能だ。成空碇のガスタンクが尻に付いていて、充填は終わっている。座席シートは後部の銃撃席までつながり、グライダーの箱を背負わなければ、高度は落ちるがもう一人乗れる設計だ。騎士団では操縦席に操作訓練のための補助席も設けている。
僕はシートを開けて弾薬箱の横にピクニックの装備を詰めたバスケットや布包みを入れる。サラにチェックをお願いしたから、抜かりはないはずだ。鍋などスプーンで混ぜれば良いと思ったが、サラは木べらを入れてくれた。あと小皿。木の少し深めの小皿。
——まず、ここにフルーツやナッツ、チーズを置くんです。ちょっと食べながら、色んな準備をすると楽しいですよ。
それは、わりと衝撃的な事だった。
確かに家族で行ったピクニックでは、遊びの途中で敷布に戻ると、皿には簡単につまめる物が用意されていた。それを頬張ったり、ポケットに入れてまた駆けて行った。
そしてサラの発言は小皿の軽食を母さんや父さんもつまんでいた事実を明らかにした。僕らが木の葉や枝で家を作っている間、二人には二人の時間があったのだ。想像ができていなかった。それを僕らが今からするのに。
改めて決心する。伝えなくてはならない。怖いけれど、言わなくては。
「乗る前に、ちゃんと謝りたいんだ」
彼女はクエルボを眺めるのをやめて、すっと笑顔をしまった。
「……どうして今?」
「これから、僕と完全に二人きりになるから」
「朝、謝ればいいじゃない」
「君は……室内だと、まだ僕のことを怖がっている気がして」
朝、本来なら食卓の中央に向かい合わせで座るはずなのに、扉に一番近い末席が彼女の定位置だ。その正面に僕が座る。マナーに敏感なマリーザがテーブルを整えているので、それは彼女の意思なのだろう。僕の部屋を案内したときも、昨日の夜も、工具こそ持っていないけれど固く拳を握っていた。
「それに……勇気が無かった」
それが一番だ。また彼女を怒らせる言動をしてしまうのが怖かった。
へえ、と彼女はクエルボのガスタンクをそっと撫でる。
「私、あなたのことマトモじゃないと思ってた。朝以外、会いに来ないし。でも、気を遣っていてくれたってこと?」
「それもあるし、僕はまだ団長の仕事が不慣れで、会いに行く時間が上手く取れないんだ……。ごめん」
それは皆が心配していたことで、現実になって、わりと僕を圧迫している。訓練だけしていれば時間は空くが、署名などや書簡の返事などに手間取っている。でもフリアにそれを理解してもらう前に、伝えるべきことがある。本当に怖いけれど、決めたことだ。
「もしも君が帰りたいと願うなら、それは保障する」
「……本気?」
彼女は目を丸くした。
「そうなってもおかしく無いくらい、許されないことをした。君の尊厳を傷付けた。だから、その選択は君に持っておいて欲しい」
フリアは僕から視線を外すと、しばらくクエルボの回転銃を見ていた。
「……コトヴィアも持って帰っていいの?」
「うん、持って行けるようにする。君の持ち物は何一つ失わない。もちろん叔父さんの治療も終わるまで継続する。これは恩を着せるためじゃない」
「何となくわかるわ。治療について、あなたは自分から言わなかったし。でも叔母さんや叔父さんには、確実に恩を着せた」
それに何も言えなくなる。僕は彼女の身柄を拘束して攫い、家族へ金と治療を与えて、ゴランフィルを取り仕切るマヌエルに口添えをしてもらった。それに叔父や叔母は従うしかなかった。
「あの時の僕は君がそばに居てくれれば良かったんだ。浅はかだった。でも、上辺だけの気持ちで治療費を出しているんじゃない。君の家族も僕は大切にしたいと思っているんだ。あんなやり方は間違いだったけれど……」
風が彼女の朱色のスカートをはためかせて、いくらか視線を彷徨わせ、やっぱりクエルボを見つめる。
「……お礼をまだ言ってなかったわね。叔父さんも叔母さんも感謝しているって、電報にあったわ。私も治療に関しては、あなたに感謝してる。ありがとう」
彼女に幾度も殴られた鼻がツンとした。
僕はもっと要領の良さと誠意の繋がりを見出さなくてはならなかった。なり振り構わず、ゴランフィルのマヌエルや叔母夫婦に縁談の話を通せば良かった。それはきっと僕ができた要領の良さで、彼女が感じる誠意となったのだ。
着剣を解いて、膝を屈っする。
「君の嫌がることは二度としない。許可なく触れない。それを破ったら、君が殺してくれ」
「べステさんに誓って。サラやマリーザや、あなたのことを信頼している谷の人たちにも。あなたの話をいろいろ聞けなかったら、ただ憎いだけになっていた。そうさせなかった人たちがいるのよ」
どれだけ自分が良い人々に囲まれ、恵まれているのか実感し、感謝する。礼を言って回らなくては。
「僕を信頼してくれる全ての人に誓う」
彼女はクエルボから離れ、剣を拾って両手で持ち、僕に差し出す。
「あなたの謝罪を受け入れるわ。でも次に似たようなことがあれば、顔と腹をスパナでぐちゃぐちゃに殴って帰るから」
「そうならないよう努力する」
剣を受け取ると、階段の前にいたマリーザが駆けて来た。
「お首が寒そうですわ」
そう微笑んで首のスカーフを外し、フリアの黒いケープの襟を立て、固定するように上から巻いた。
「ありがとう。ねえ、この前の低い席に座るのかしら?」
「はい。お手伝いします」
フリアは意気揚々と補助席に座り、スカートをまとめて足で挟み、マリーザは腰にクエルボから伸びるベルトを巻く手順を教える。
「僕が後ろに乗る。寒いから、君をマントで包む」
「わかったわ」
それを聞いて、後ろから冬用のマントで彼女を包み、抱くように座る。マントの切れ込みから腕を出してハンドルを握ると、少し前に体が傾いて彼女の後頭部が胸に当たった。
この乗り方は訓練で何度もしたことがあるので、フリアに嫌悪が無ければ平気だった。むしろ僕は平気でいなければ。フリアの命を預かって運転するのだ。繊細な事は考えないことにする。今の状況を考えるな。そう念じてから声を出す。
「これから滑走路を走り、前輪が上がったら離陸する。その前後、約六秒間かなり自重がかかる。後ろの僕に体を預けてもいい。クエルボが動き始めて降りるまで、君がすることは一つ。このメーター下のバーを絶対に離さないこと」
「歓声は我慢した方が良いの?」
「舌を噛まないならいいよ」
「わからない。やめておくわ」
エンジンをかけるとフリアの頭が小刻みに揺れる。僕の顎が彼女の髪でくすぐられる。石鹸と彼女の匂いがして、首に巻いた布をぐっと鼻まで引き上げる。
「じゃあ、行くよ」
スタンドを上げるペダルを踏み、両足から右足だけで機体を支えるとぐらっと左に傾いた。ハンドルのグリップを回し、右足をフリアの脚に添える。噴出するガスの音がパァンと響く。クエルボは塀の上を一気に走り始める。いってらっしゃい、とマリーザが風の中で叫んでいる。前輪が上がる。
「いってきまーす!」
とフリアが言った。
歓声はあげないと言ったのに、すごい、すごい、と口から出ている。ただクエルボが飛んだだけなのに、ケラケラと笑っている。余韻は風とエンジンの低音に飲み込まれるが、次から次へと感嘆の声が耳に届く。胸がじわっと熱くなり、布の下で唇を噛む。




