22、騎士の心は嵐のように(6)
ただ彼女が二階から隣の部屋に来ただけなのに、ソワソワしてみっともない。本当に団長の名折れだ。騎士団が守り抜くべきものを忘れるなんて。
針金でぐちゃぐちゃになった机の中から、鉄の鎖が巻かれた分厚い灰色の本を取り出す。聖の骨、成空碇になったとされる人々の名前と家系図が書かれた千羽書だ。大陸に撒いた贋作ではなく、原書の写しだと言われている。
仕掛けを抜いて丸め、本と一緒にマントの中へ隠す。天板を元に戻すと、床下の収納を開けて廊下に声をかける。木箱を持つマリーザたちを中へ通す。
「あら、可愛いボウガン」
床下を覗いたマリーザがそう言った。
「八歳のときのものだ。使うか?」
彼女の娘はちょうど八歳だ。城砦の中の学校でそろそろボウガンを使う。
「ではありがたく頂戴します」
マリーザは元サウセダ家の女で、千羽書に載っている。ジーリレのバルジャン家も、僕のコジャド家も。
帝国や北の国、南の大陸にも千羽書の家系は存在する。この街の一族に多いのは騎士団の生まれと深く関係しているからであり、街にない家が載っているのは珍しいことではない。フリアのトニエ家のように。
御伽話を信じて研究し、五百年前に千羽書を記したのはイグナシオ・トニエである。先代の騎士団で突き止めたそのトニエ家は、もう帝国と混じった血を持つフリアが末代であり、どのような人物か探るために、親父殿は僕の顔に毒を塗り、ゴランフィルに送り込んだ。
——まさか、惚れるとは。
あらかた彼女の家の中を探索して、帝国との繋がりはないと報告し、締めくくりに自分の気持ちを伝えると、親父殿は見たこともない顔で驚いていた。
「団長、読んではならない本はありますか?」
サラの声にはっとする。彼女は木箱に武器を入れながら、チラチラと本棚を見ていた。
思い出に耽るのをやめて、本棚から最近増やした三冊を抜き取り、そのうちの二冊をマリーザに渡す。
「ダニエルに返しておいてくれ」
「……なるほど、わかりました」
あ、しまった。今日の僕は本当に馬鹿だ。自室に置けないから、ここに保管していたのに。
「いや、この本は……彼が僕のために、これは良かれと思って、そう、僕がもらったんだ。これは返さないで良い」
マリーザは凍てつくような目線でパラパラとページを捲り、バタンと本を閉じた。
「一度返して頂きたく存じます。発行の年代が古うございますが、現存する娼館の記述がありますので、確認したいことができました」
「残りの一冊は、私がジーリレに渡しますね」
サラがひょいと手の中の本を取る。
「いや、それも……」
「ふうん、街々の踊り子、その図録……」
サラは聞いたことのない低い声を出し、本を捲った。本文一ページ目で衣服のない踊り子に出会い、もう一度「ふうん」とさらに低く言う。
僕は爆弾を解除したときよりも手に汗をかいている。
「それらは、僕が、無理に、頼んだものだ。彼らは良かれと思って、譲ってくれたんだ。だから、やっぱり返さない」
「譲った、のですか?」
サラはいつもの笑みだが、目が笑っていない。
なんて見事な自白をしてしまったのか気付き、愚かな口を抑える。これが敵の拷問なら、僕はあと死ぬだけだ。
「団長、何分ご容赦ください」
そう言ったマリーザは床下の武器を木箱に入れるのを再開する。
「僕は……何を容赦すればいいのだろうか?」
「団長の持ち物を、私たちがお借りすることです」
マリーザは小ぶりな斧をまじまじと見て、手の馴染みを確認している。
「その斧は貸さないぞ」
そう言った後、開け放たれている扉から顔を出して廊下の左を見ると、二人の同胞は壁にもたれ下を向き、一心に何か考え込んでいる。作戦を立てる集まりの時のように真剣で、険しい顔をしていた。
ふふ、と笑う声がする。反対の廊下を見ると、フリアが立っていた。堪えることのできない笑いらしく、肩を震わせて息を漏らしている。僕と目が合うと、馬鹿ねと口だけ動かす。
それで冷静に今起きたことを考えて、僕も唇を噛んで笑いを堪える。いや、今は不謹慎だ。ジーリレに戒飭処分を訴えられてもおかしくない失態を犯したのに。
表情を戻そうとするが、ふと、フリアはいつか今のことを蒸し返すだろうかと思った。彼女もサラたちのように、僕にあらぬ疑いをかけて怒るのだろうか。……いや、だから今は不謹慎だ。
頬を手で揉んだり引っ張ったりして、にやけ顔を直していると、フリアは更に肩を大きく揺らして笑う。
やったわねと口が動いた。
別に笑わそうと顔を触っていたわけじゃない。しかし彼女はお返しと言わんばかりに、両手を顔に添える。出来上がった顔を見て、ふはっと息を漏らして笑ってしまった。
来たる赤鳩に備えるジーリレたちには本当に申し訳ないが、フリアと一緒に廊下でしばらく肩を震わせた。




