20、騎士の心は嵐のように(4)
船の甲板から川面に波紋がつくられるのを見下ろす。ゆっくりと河川港から進みだし、僕は我慢できずに警笛にため息を混ぜる。
ダンスを踊った日からは想像できない。まだ五日しか経っていないが、あの時間が既に懐かしい。
隣に服飾屋のバルトロメが立った。僕の顔を見て肩をすくめる。
「今度は鼻柱を折られたようで?」
「……赤鳩じゃないよ。僕のミスだから」
今朝の彼女との食事で、寒さがゴランフィルと違う話をしたあと、やっと僕のお金を受け取ってくれた。マリーザに母が使う厚めの毛布が余ってないか聞いて欲しい、あと彼女が買い物に行くかもしれないと伝え、館を出た。
そして今、船に揺られながら、フリアと二人で買い物へ出掛けられるチャンスを逃したことに気付き、ひたすら後悔している。一手先を読めばわかることを、僕は怠ったのだ。僕は本当に馬鹿だ。
「あまり陰気な顔をしてはなりません。貴方は人に見られる立場なのです。しかし、まあ、そのご様子は先代と似てらっしゃいますね。あなたのお父上も毎日が一喜一憂でしたから」
前副団長だったバルトロメは、豪胆な親父殿とは逆に神経質な印象だ。長い白髪を後ろにきっちりと撫で付け、黒いロングコートから見えるシャツやベストは過不足なく体に沿い、皺一つない。
「髪飾りで首を刺す花嫁よりは平和かと思いますよ」
「宴も予定通りに開けそうですしね」
そう言ったジーリレは後ろで甲板に置かれた木箱の札を再確認していた。僕らが見ると、バルトロメに対抗心があるのか、ふふんと笑う。
「バルトロメさん、先代が結婚の宴を十五回も延期したおかげで、電報が山ほど来ています。ほんとに困ったもんですよ」
それは遠方の賓客からだ。内容はほぼ同じ。
連絡の行き違いかと思われるが、宴は延期で良いか。日頃が決まり次第ご連絡を。
皆が皆、そう言うのも仕方ない。バルトロメが言ったように、ここ数代の団長の妻には異名があり、母さんは首刺しの花嫁と呼ばれている。
「私の頃は電報などありませんから、中止を知らずに来た賓客に怒鳴られましたよ。それよりはマシだと思って処理してください」
「それは、確かに」
ジーリレはくすくすと笑った。バルトロメは口元は緩まないが、目尻の皺は笑んでいる証であることを多くの者が知っている。
「電報があるのなら、三週間前にまた鼻を折られ、二年後になっても大丈夫ですよ」
ジーリレはバルトロメを挑戦的な視線で見つめ返す。
「そうするつもりはありません。石炭の仕入れの指示は出しましたし、団長の姉君の旦那殿へ商人の手配のお願いもしました」
「それは結構。しかし、ジーリレ殿にはわからないでしょうな。妻と今生の別れがいつ来るかと怯える日々は」
バルトロメは肩をすくめる。彼が言っているのは自戒のことだ。仕える者が失ったものを自分も捨てる。親父殿が母さんを故郷に帰せば、彼も同じ事をしなくてはならなかった。
「……いや、それは少しならわかりますけど」
ジーリレは僕のことをチラッと見て笑った。僕も笑ってしまい、また肋骨が軋む。バルトロメはそれを見逃さない。
「おや、肋骨折りの花嫁と呼ぶべきですか?」
「スパナぶん投げ花嫁かもしれませんよ。いつもどこかしらに隠し持っていますから」
「……スパナですか。それは危険過ぎます」
バルトロメが顔を顰めるので、僕は応える。
「腹を狙ってきたから、厚めに四層織の絹を巻くことにしている。もう無いとは思うけど」
そう言うと、二人は顔を見合わせたあと、同時に口を動かした。
「いえ、避けてくださいよ」
「何故、貴方達親子は避けないのですか」
「避け続けて、大祖母のように寝込みを襲うようになったら、さすがに困る」
ああ、とバルトロメは小さく首を振った。
「耳削ぎの花嫁ですね」
「あのお優しいドロテア様が耳を削いだんですかっ⁉︎」
異名のことを知らないジーリレは驚いて叫ぶ。大祖母は僕が二歳の頃に亡くなっているから、狩りが上手くて、気配を消せれたなどの挿話しか知らない。しかし六つ上の彼は思い出があるのだろう。
「じゃあ、先々代の頭にあった傷って……」
ジーリレが右の側頭の銀髪をくしゃと掴む。
「髪剃りの花嫁です」
バルトロメが肩をすくめて言った。
イメルダお祖母様は王国の貴族に髪結として仕えていたからか、品性を重んじ、歯を見せて笑わない人だ。それでも祖父の頭にデカデカと傷を残した。今は母さんと隠居しており、今でも僕やジーリレの散髪をしてくれる。
「先々代の昔の肖像画、癖っ毛なのに髪が伸び放題な理由がわかりましたよ」
ジーリレは頭を撫でながら言った。
それはお祖母様以外の散髪を断っていたからだろう。やがて昔の祖父の絵は整えられた姿になる。実物も本当に男前で、頭の傷すら格好良く、髭はいつもピシリと同じ形だった。祖父の棺に土を被せるまで、蓋の釘を打たせず、身なりを気にしていた。
「祖母は見るに耐えなくなって、散髪をしたのだろうか」
僕の言葉にバルトロメは少し考えてから、目尻の皺をつくる。
「いえ、違うかと」
ジーリレを見ると、まだ頭を剃られることに思いを馳せているのか髪をさすっていた。
「これ以上、団長に怪我が無いことを祈るしかないですね……」
くく、とバルトロメは珍しく笑い声を出した。
「それはどうでしょうか。刃物でないだけフリア様は良いかもしれませんが」
「いや、顔に傷が無い初めての団長だったんですよ。それが一夜にして血塗られて——」
コホン、と風の中に空咳が響く。振り返ると墓守のラモンがいた。黒いローブと白い髭を風に揺らしている。
「まもなく塔に着きます。此処ではそう言った話はお控えください」
川に張り出す四角い塔が見えてきた。岩を切り崩して作ったような無骨さで、厚い壁の中には谷で一番大きな砲台が設置されている。常に騎士たちが厚く警備し、各自の持つ警笛が一番多く鳴る場所だ。野鼠が一匹出ても鳴らすように決められている。
ラモンは親指だけの右手で僕の頬を触る。
「エルディヴァン、怪我の血は止まっていますね?」
「はい」
本当は帰ってすぐに行う仕事だが、血はこの場所を騒がしくする。
僕ら騎士団は塔を守るために存在する。
何故この国のスカートの腹帯が長く、胸に巻き付けるのか。騎士たちが剣ではなく、なりふり構わず色々な武器を使うようになったのか。たとえ同胞の亡骸であろうと、頼らざる得ない歴史。そういった理由をここに来るといつも考える。
船が塔に横付けされると、橋が渡された。ラモンの後でそこを通り、塔に近付くと囁くような空気の振動を感じる。衣服と肌の隙間に滑り込み、産毛をなぞる。後ろのジーリレが木箱を持って橋を渡ると、バルトロメもそれに続く。
厚い壁を抜けた先の部屋には、上に続く階段と机くらいしかない。船を横付けしないと入れず、扉の鍵はラモンしか持っていない。
しきたり通り武装を解く。ラックに立てかけた剣や、机に置いた銃が小刻みに揺れる。塔は微かな振動を永年続けている。
僕らは石造りの塔を上がって行く。暗く狭い階段は手すりもなく、湿り気がある。しかし塵一つ落ちていない。ラモンが毎日掃除をし、丁寧に水拭きしているからだ。
墓守の彼は元々帝国に住んでいた。山奥で左腕と右手の指を切られ、種馬のような扱いを受けていた。祖父が救ったとき、彼は言葉を知らなかったという。フォークも、タオルも、靴も自分の性別も。
塔の上階に着くと、ラモンは手前から三番目の部屋を開けた。書庫のように理路整然と木の棚が並べられ、幾つもの小さな棺が収まっている。空いた棚に棺が二つ用意されていた。ジーリレが二つの木箱を開けて、成空碇をラモンに見せる。
「お話をお聞かせください」
僕は彼へ膝を付く。海での仕事の後、機関部で見たことを思い出す。
「黒洋碑を積んだ小型船二隻に、中型の帆船を引かせていました。少し変わっていて、二つの黒洋碑は離れていながら海を跨ぎパイプで繋がり、同じ海水を共用していました。鎮まるときに、小さい方の石はぐるぐると回って水槽を割りました」
それを聞くと、ラモンは涙を流した。せめて同じ棺に入れましょうと言う。箱の中のざらついた白い石をラモンが触ると、ビリビリと空気が震える。しかし二つの石を寄り添うように棺に置くと、それは薄く消えていった。
「この親子に永劫の安らかな眠りを望みます」
ラモンと僕たちは共に深く祈る。肉体が失われても得られる心の平穏を。それがあることを信じて。




