18、騎士の心は嵐のように(2)
フリアが谷に来てから十日経ち、結婚の宴まで一カ月を切った。
僕は少し実直さを捨てて、その計画を済ますために作戦を立てた。ほぼ無策で彼女を攫ったことを反省したのは大きい。
ただ、第一案より良い案は出なかった。
谷に叫んだ日と同様、コトヴィアに一縷の望みをかけるしかない。
僕の手札は本当に少ない。というか、ほぼ無いのが現状だ。朝食を共にする以外、彼女との友好に進捗はない。
そして物で釣るのはなかなか気が引ける。騎士とは見返りを求めず、民を救う者である。
毎晩、そんな葛藤を過ごすうちに数日が経ってしまった。その間に、フリアは新しい生活を溌剌と過ごすようになっていた。
工房とのやり取りも滞りなく次から次へと仕事を受けてくる。一昨日など、診療所帰りのセブリアンとアニタ夫妻に手解きをしたという。昨日は従姉妹たちと田畑や養鶏場の手伝いへ行き、説明されずともこなし、ロバに蔵なしで乗って遊んだらしい。
僕がおずおずと谷の味付けはどうか、夜は冷えないか、お湯はちゃんと出るか、なんてことを聞いている間にどんどん郷里に馴染んでいく。
やはり、僕にはコトヴィアしかないのだ。結婚の宴を予定通り行うことを宣言した。手札はきる為にあるのだ。攫ったときのように、視野狭窄ではと思うけれど、恥をかくのも思い出になると知ったから、やれることをすると決めた。
詰所で昼食を取った後、ギターを背負ってジーリレと街へ降りて行く。フリアとの待ち合わせ場所は河川港の真向かい、ジーリレのバルジャン家だ。僕が今日の予定を話すと、彼が彼女を家に招くのを提案してくれた。
「君の二人の妹は約束を守ってくれたかな」
石畳の道を下りながら、少し心配になった。
「保証はできませんね。貴方が煙突から落ちて、真っ黒になったことは話しているかもしれません。バルジャン家では年に二度は話題に出ますし」
「……年に二度も話しているのか」
「ええ、掃除の時に落ちた夏と、自ら落ちようとなさった冬です。二度目は何がしたかったんですっけ?」
「……王国の本に書いてあった煙突を利用した慈善家の真似だ」
「燃える暖炉に落ちるなんて、生贄とかですか?」
「いや、調べたら起源は違った。人では無く、金を投げ込んだらしい」
そんな昔話をしていると、笑い声が建物の向こうから聞こえた。角を曲がると、バルジャン家の軒先でフリアとサラや数人の女がベンチで話をしている。ジーリレの妹たち以外の顔がある。おそらく保存食を作ったりできる近くの共用小屋で作業していた者だろう。
昼休みの街角でよく見る風景だ。飲み物片手にベンチで休憩をする。その中にフリアがいるのは不思議だった。彼女の顔が赤くなっているので、先日、僕が谷へ叫んだ経緯を聞かれているのかもしれない。
フリアはこちらに気付くと話を切り上げた。食事の礼を言っているのは唇で読める。サラと共に歩いて来る。
それにしても、約束の時間まであと十分はある。
「……最初にコトヴィアを見せれば良かった」
そう言うと、ジーリレは笑った。
「それは俺も海より深く思いますけれど、今となればあなたが踏んだ段階は必要なことだったのでは」
「肋骨にヒビが入っても?」
「なっ、あい……っ‼︎」
つ、を言うのを堪えたのはわかる。僕は口を隠して笑い、大したことはないと付け加えた。
それからフリアたちが合流すると、僕を先頭に河川港の隣、商工会の建屋まで行く。横に併設された倉庫の扉を少し開けると、フリアはベンチに座ったジーリレ夫妻を見た。ジーリレがサラを持ち上げて膝の上に乗せると、呆れるように肩をすくめて僕の後をついて来る。
中には冬祭に使う道具が入っている。バラしてあった小さなステージも床だけ組んで、空いたスペースに無理矢理コトヴィアを移してもらった。
被せていたカバーを取ると、古ぼけて錆だらけの機体が現れる。
コトヴィアは球体の操縦席が特徴だ。そこからは屋根の無い銃撃用の座席が、後ろへ鳥の尾のように三つ伸びている。四人乗りなので、ギリギリ小型飛空艇の定義に入る。しかし成空碇の融解ガスを溜めるエンベロープの規格は満たない。今でいうなら二人乗りのタンク式の飛空機に該当する。そのエンベロープも奇抜で、操縦席の屋根に扇状に膨らむ。名の由来のとおり雲雀のトサカのような形をしている。
しかし百年も前のものだから、球体の操縦席は下弦の月のようだし、一つしか銃撃席はない。エンベロープも古い皮のような色で朽ちている。
それでも彼女は息を飲んだ。
「……誰が買ったの?」
「僕だよ。兄のアンドレが見付けてくれたんだ」
彼女の結納金と合わせて、個人の貯えはほぼ無くなった。騎士がする花嫁支度はどうするのか。ドレスや宝飾品が買えなくなる。そういうジーリレの問いに散々迷ったが、アンドレに競り落としてもらった。
「君には指輪より、ドレスより、コトヴィアの方が良いと思ったんだ」
それを聞いて、機体に触れようとしたフリアの手が止まる。
「……どういうこと?」
僕は怯みそうになる。しかし手立てはない。進むのみだ。
「一曲、ダンスを踊って欲しい。結婚の宴の後半、最初に踊るダンスだ。それを僕と壇上で踊ってくれたら、この飛空機は君のものだ。館の前に小屋を建てているだろ? そこに置いて、好きにすればいい」
胸が早鐘を打つ。コトヴィアであっても彼女はふいとそっぽを向くかもしれない。
「あら、取引ね。はじめてじゃない。いいわ。私は結婚の宴のためじゃなくて、コトヴィアのために踊る。曲は?」
彼女は口の端を上げて言った。
意外な反応にしばらく呆然とする。
「……取引なら応じるのか?」
すると彼女はぐっと眉間に皺を寄せた。
「裸を見せろとか抱かせろとか、馬鹿なことに条件を変えないでよ」
「もちろん、わかってる。……だから、あまり大きな声でそういうことを言わないでくれないか」
彼女は呆れ気味に肩をすくめた。
「あんな薬を撒いて、痣を付けた男がよく言うわね」
すまない、と小さく謝る。
「で、曲は?」
「『太陽と剣』。結婚の宴にしか流さない曲だ」
「知らないわ。歌ってみて」
「僕じゃできない」
「じゃあ、口笛を吹いて」
「口笛?」
背のギターに手を伸ばした僕は聞き返してしまう。彼女は勘良く察し、にやにやとする。
「まず口笛で聴かせて」
それが彼女の願いなら、僕は覚悟を決めるしかない。口を窄めると、俯きそうな顎を上げて精一杯吹く。しかし開始早々、彼女は笑いを堪えながら言う。
「ぜん、ぜん……わからない、わ」
それはそうだ。僕の口笛はシュウシュウとしか言わない。だからギターを背負っているのに。顔の火照りを何とか鎮め、空の木箱を足でひっくり返して座る。
「ねえ、リズムは?」
「十二拍子」
彼女は踵でリズムを取った。職人の履くゴム底でどんどんとしか名らなかったが見事だった。
「踊り手はこうかしら?」
「……合っている。君は踊れたのか」
「歌も踊りもお金はいらないから。靴底は減るけどね」
僕は背のギターを構えると、彼女は木板でできた倉庫のステージに上がった。
「曲を聞かず踊るのか?」
「それが面白いんじゃない」
フリアは僕を挑戦的に見る。グローブを外して床に置いた。
「この曲に踊り手の手拍は無しだ」
「どうして?」
「……手拍よりキスをしろと言うのが習わしだから」
「何でも習わしって言えば都合が良いわよね」
「ほ、本当のことだ」
「私はお断り」
「わかってるよ」
僕はぶっきらぼうに言ってしまう。慌ててギターを鳴らし、鉄の踵で床にリズムを打つ。彼女は肩をすくめた後、ゆっくりと舞い始めた。




