17、騎士の心は嵐のように(1)
昨晩の強い風で、葡萄棚や胡桃の木の葉は侘しくなり、少し空を透かしている。
館の前はちょっとした庭になっている。日当たりの良い場所には草花が植えられ、その間を小道が通る。
詰所に行く前にそこを通ることにした。秋の花を眺めながら、ピンクのコスモスの花弁を丁寧に避ける。途中にあるサルスベリの木を見上げた。枯らしたら殺すから、と母さんが親父殿に言った異国の花の木らしい。
「これは昔からまったく同じ木なのか?」
近くにいる庭師のブラスにそう言うと、地面を穿く箒が止まる。
「おおおお同じ木ですよ」
彼は何度もぶるぶると顔を振る。冗談だったのに、とんでもない事実を突きとめてしまったようだ。彼も飛空艇の操縦士サンダリオと同じく、若い頃に人を斬れずに騎士から身を引いた。街に溢れる花の苗は彼が全て育てている。
「……苗木を新しく見繕ったのか?」
ブラスは頭を掻いて、観念したのか破顔した。そっと白い滑らかな幹を撫でる。
「ええ、先代は早いうちに種を腐らせてしまわれて。秘密ですよ。当代の奥方は花木は好きですか? お望みがあれば植えますよ。この土地に合ったものをお願いしたいですが」
「スパナの木を見付けたら、頼むかもしれない」
「ええ?」
とブラスは驚いた。冗談だよ、と笑う。
「ブラスの花が枯れる前に結婚の宴ができるようにする」
「……ご無理なさらず」
彼は昨日また折られた鼻のガーゼを見ていた。僕はやっぱり自慢したくなる。
「今朝、一緒に食事をしたんだよ」
「それも冗談で?」
ブラスは真剣な顔ですぐに言った。
僕は笑ってしまう。スパナでヒビの入った肋骨が軋んで痛い。彼女に死んで欲しいと叫んだのは、川向こうのブラスの庭園にも聞こえていたのだろう。
「それが、本当なんだ」
彼はパタンと手にしていた箒を落とした。
「な、なんてこった! 温室の薔薇の蕾は加工に回そうかって今朝、妻に話して……。当代、騎士を一人伝言役で借りますよ!」
「構わない。今日、詰所に常駐する中で足が一番速いのはテオだ」
ブラスが駆けて行く後ろから、僕も詰所への道を歩く。
軒先ではすでに先代の騎士たちが外で煙を吸っていた。軽い雑談をしていると、詰所からテオが風のように駆けて行く。危険の無い連絡であると示す緑色のつばの広い帽子を被っていた。
中に入ると、ブラスは長椅子に座ってサラが配る茶を飲んでいた。エントランスでは多くの者が立ち話をしている。パン屋のホセは香ばしい香りをさせ、服飾屋のバルトロメはロングコートをピシリと着て、工房長は髭に革クズを付けて。
僕はまた一通り挨拶をして、一足先に渡り廊下に向かう。一階の北には講堂があり、今朝は十日に一度の集会がある。現役と往年の騎士を交えて、この国情勢について話す。
講堂は石の煉瓦の厚い壁で覆われ、小さな窓しか無い。洞窟のように声は響き、昼間でもランプを灯す。団旗がある講壇と長椅子があるくらいで、湿った石の床が所々補修された跡がある。
「北の国は石炭の輸出を絞りましたが、鉄の入ってくる量は変わりません。ふた月前の炭鉱事故の影響でしょう」
集会では講壇の上で僕はに座り、ジーリレが板に貼った地図に必要があればピンを刺し、書簡をまとめた手元の紙束を読み上げる。長椅子に座っている騎士たちから出る意見や懸念はダニエルがまとめる。
パイプを燻らす老騎士たちが一番に気にしているのは、帝国の動向だ。陸は北の国が間にあるが、僕らの半島の国は、海から直接攻め込まれた過去がある。
「近くに駐在する騎士の報告は、深いところで地盤が崩れたらしく、復旧にまだ時間がかかるとのことです」
事故による輸出の制限であり、北の国のどこかで戦端を開く可能性はないとみてもいいだろう、集まりはその流れに動いた。しかしダニエルが口を開いた。
「今一度、確認なんですが、谷は石炭の仕入れを止めるのですね?」
僕はダニエルの視線を受け取る。
「そう決めた」
「もし帝国にこの国の物流を調査されたら、谷がバルクガラの街名義で燃料を仕入れているのがバレやしませんか? 仕入れ量が目立って減るでしょうから」
ダニエルは板に貼られた地図上のバルクガラを差す。首都から三十キロほど離れたオリーブ畑と黄鉄鉱山がある街だ。海を挟んだ国への輸出に混ぜて港街まで運び、他の品と一緒に谷へ仕入れている。
「売り買いの記録は残ります。懸念を持たれて目を付けられたら、将来、谷の仕入れ地が危うくなる。他の街の商人のように、できる限り躍起になったほうが良いかと」
「しかし他の街の燃料を奪うのは我々の道理ではない」
パン屋のホセが言うと、皆軽く頷いた。庭師のブラスが僕をチラチラと見て空咳を数回する。
そうか、宴がある。海のハンターの伯父上も、別の国へ嫁いだ姉君もお忍びでやって来る。
「不足分の石炭輸入を要請している国に、姉君のいる国はあるか?」
ジーリレが紙を捲り確認する。
「ええ。ありますね」
「では谷が仕入れた石炭を、宴で来る婿殿に頼んでこの国で捌いてもらおう。原価のまま渡せば、彼なら何とかしてくれる」
長椅子に座る騎士たちは近くの者と顔を見合わせた。ダニエルは俯いて口を隠し、ジーリレは小さく首を振る。ブラスだけは微笑んで何度か頷いた。
「僕は必ず結婚の宴を予定通り行う」
そう言うと、講堂はしんとなった。なんて信用の薄い発言だろうと思い、言葉を付け足す。
「諸事情があり、昨日の夕暮れ、谷に向かって赤鳩を宣言した。その際、鼻はまた折られたが、関係は良好に傾いている。彼女から朝食を共にしても良いと言われ、今朝、一緒に食事をした。マリーザ・ラミレスが証人だ」
講堂が一気に騒めく。まさに混乱といった様子だ。そんなことがあるのか、とそこら中から聞こえる。確かに。僕も食堂で彼女が座っているのを見るまで、そう思っていた。
二言三言の会話を思い出すと、口元が緩み、立ち上がって背を向け、肋骨を軋ませる。僕の顔をジーリレとダニエルが体を傾けて見て、顔を見合わせた。
「我が妻が証人なら、信用に値します。俺はその方法に賛成します」
「自分も、さ、賛成します」
ダニエルとジーリレの声は笑いを噛み殺しているようだった。それでポツポツと賛成の声が上がり、次の議題である冬季放牧に移った。
集会の終わり、服飾屋のバルトロメから赤鳩は室内でやりましょうと婉曲に言われると、狩猟許可証を配りながら騎士たちに囲まれる。
「あんな派手な赤鳩から好転するなんて、団長はまさか魔術を使えるんですか?」
「チーズ工房に人手を至急お願いします。ミルクも多めに回してもらえますか」
「もう殴られないようにお気を付けてくださいね。写真に残りますよ」
「食事を出す店は七日前から閉めますから、何卒、予定通りお願いします!」
口々に言われ、僕はそれに答えていく。
ひと段落すると、含んだ笑いを浮かべるジーリレは詰所に残り執務を行い、同じ顔をしたダニエルは仕入れの会合で港に向かった。
僕は訓練場に足を向ける。ついでに、また庭を通ることにした。サルスベリを見上げているブラスに話しかける。
「ありがとう、ブラス」
「いえ、スパナの木なんて頼まれては、たまりませんから」
ブラスは静かに笑って、またサルスベリの木を見上げた。細く白い幹には今は葉がない。春まで眠り、初夏の頃に薄紅の花が咲く。
「あの、勘違いなさっては困りますので申し上げます。先代のお留守のときはこの木の世話を手伝いましたが、あの方の指示をお受けして、その通りにやるだけで、私はほとんどこの木のことは知りません」
「……ちなみにこれは何本目の木なんだ?」
「私が知る限り、べステ様がお約束を守るなら、先代は三度死ぬでしょうね」
なるほど、と二人で笑った。
最初に咲いた花を見付けたのは親父殿だろうか。それとも母さんか。もしかしたら、ブラスが見付けて、親父殿へチラチラと目線を送って空咳をしたのかもしれない。そう考えながら、僕も木を見上げる。




