14、騎士と鼻折りの花嫁(14)
フリアとの約束の時間が近付いて、僕は詰所の自室で身なりを正す。もうポケットにコインは無い。代わりに港の倉庫の鍵が入っている。そこへ帰りに寄ろうと決めていた。古い小型飛空艇を買ったのだ。彼女が模型に目を輝かせていたコトヴィア。きっと宝石やドレスに金をかけるよりも喜んでくれるはずだ。
城砦の門の裏で四時になるまで待つ。館まで伸びる道を見ていたが、五分待っても彼女は来なかった。
十分経って、マリーザが付き添い、彼女が現れた。不貞腐れて曲がった口と、機嫌が悪いことが誰でもわかるような眉間の皺がある。
手にはグローブをしていた。それはアロンソの工房でよく見る、薄手の革手袋で、使い古されて黒い油汚れがあった。馬鹿みたいに目敏く、船の中でディバが使っていたものと頭の中で一致させてしまう。
「午前に街の案内を頼まれ、工房にも寄りました。新しい手袋を渡しましたが、自分のお金で買いたいと言われて、その……」
僕の視線を辿ったマリーザが口篭る。
「僕が用意したものは、君のものだ」
そう言うと彼女はそっぽを向き、手を後ろに隠した。
「外してくれ」
と思わず言ってしまう。フリアとマリーザの強張った表情で発した言葉が鋭いものだったと知る。
「……いや、そのままで良い。工房が閉まるから行こう」
僕はフリアの歩幅を意識し、ゆっくりと城砦の階段を下る。彼女はマリーザをちらちらと振り返っているのが、影でわかった。
階段が終わると、後ろを振り返る。彼女はぴたっと止まる。
「帰りに見せたいものがあるんだ。そこについて来て欲しい」
それがコトヴィアがある倉庫だとを告げる前に、フリアはぐっと眉間に皺を寄せ、口を固く閉じ、ぶんぶんと首を振った。威嚇する表情の彼女は気付いていないようだが、足が自然と下がっている。
「無理矢理……痣を付けて、すまなかった」
彼女はギッと睨んだ後、さっと僕を追い越して駆けて行ってしまった。
僕も街へ歩を進める。工房へ行く約束は守りたい。とにかく、また帰り道に伝えよう。それまでに僕はまた落ち着かなくてはならない。
緩やかな石畳の坂道をフリアを追う。白い石壁の家が連なって棟をつくり、両側に並ぶ。二階のベランダには秋の花が鉢植えから溢れている。通りからは見えないが、棟で囲まれた中庭には萩の花やサフラン、シンニアが準備されているという。それはフリアと団長の僕のためで、結婚の宴の準備だ。
そういった話もできないまま、フリアは人が入った食事処を足早に過ぎ、三叉路で立ち止まった。僕を横目で見た後、右手の階段を降りて行く。そっちじゃない、と声をかけようと追いかけると、彼女は下の木陰に五、六人の集まりを見つけて、さっと僕の方に戻って来る。
「おや、散歩ですか」
ベンチに座る角のパン屋のホセがこちらに気付いた。周りの往年の騎士たちが破顔して僕らを見る。フリアはベンチからの視線を避けるように、僕を壁にして下を向いて立ち止まっている。
「アロンソの工房へ行くんだ」
「それなら遠回りでは」
と服飾屋のバルトロメが言った。
「野暮なことを。それが散歩でしょう。当代、奥方、寄り道がてら茶でもどうです?」
「閉まる前に行くから、また今度」
僕が歩き出すと、彼女は後ろからついてきた。すれ違う人に挨拶をされると軽く笑い、人が捌けても今度は追い抜かさなかった。棟を二つ抜けると、僕は立ち止まって彼女を見る。
「真っ直ぐ行けは近道だ。夕方は人通りが多くて賑やかになっている。左に行くとさらに歩くけれど、人通りはない」
彼女は左を見た。僕は路地に入り、家に沿って歩いて行く。何度か曲がると、細い急な階段に出る。下る先に赤いシェードのかかった窓が見え、フリアも見覚えがあるのか、小さな息を吐いた。それは安堵なのだろう。そう思うと階段を降りる足が止まる。
「コトヴィアがあるんだ。見に行かないか?」
背中越しに言って、ゆっくりと振り返る。
彼女は驚いた顔をしていた。首を振りながら後退りする。階段に踵が当たり、バランスを崩す。僕が支えると、グローブの手で左の頰を平手打ちされる。服を壁に擦り付けて無理やり道へ飛び出る。しかしぴたりとまた動きを止めた。
「あ、いらっしゃったわ!」
甲高い従姉妹の声がする。
路地から出ると、アロンソの工房の前には十人ほどの人集りができていて、従姉妹や幼馴染みの騎士たちがいた。おそらく午前のとき、僕が来ることが周知されたのだろう。
「どうして顔を見せないのですか。いつもの広場で待ってるのに」
そんなことを口々に言われ、休みを合わせて猟に行こうと誘われる。
「でも奥方も連れて行くなら、やはり釣りだろ」
「遠乗りは? 雪の前に、渓谷の滝をお見せしたいわ」
「でも凍っていても美しいよ」
「何度か行けばいいじゃない。釣りもできるんだし、釣れる魚も変わるんだから」
それは谷を出立する前、彼女と共に行くことを楽しみにしていると彼らに話した事だった。
「それだと、俺とマノロの婚約者も呼べる。学校の訓練みたいに大所帯だけど」
「食事の用意を張り切らなきゃ。フリア様、何がお好きですか?」
フリアは断るだろうと横目で見る。しかし彼女は従姉妹やその友人たちに囲まれて、大人しくしていた。少しだけ笑みを浮かべ、伏目がちに質問に短く答える。
そこで工房の扉が開かれた。木箱を持ったファグネルが出て来る。
「団長、ご足労頂きありがとうございます。これが奥方に磨いてもらう部品です」
「準備は手間ではないか?」
「いえ、うちは助かりますよ。小型機の整備が早く仕上げられますから。これとか、少し尖った部品ありますが、グローブをすればお怪我はなく磨けると思いますんで、差し出がましいようですが、孫の手袋をお譲りしました」
「ありがとう」
それから金の受け渡しについて話していると、お嫁さんだ、と呟く声がした。振り返ると、腰丈ほどの子供たちがわらわらと集まっていた。目一杯の挨拶をされる。
工房から帳簿を抱えたディバも出て来た。
「団長、奥方に少し説明をしますね」
「頼む」
僕はマントの中に潜ろうとする一歳のダフネを抱えて返事をする。短い足をバタバタとする彼女の顎の涎をハンカチで拭く。そこへ、フリアがやって来た。
「ファグネルさん、部品をもらうわ」
彼女は緊張が解けたように顔を緩ませていた。ファグネルは箱を渡すと、工房の中から呼ばれて、僕は短い礼を言う。ダフネを兄のヨーゼフに預けると、フリアが木箱の中を探る音がした。
「少し難しそう……。午前に教えてもらった物より複雑な物があるわ」
「素材は一緒ですし、手順は変わりません。研磨剤についてのメモは入れておきましたから、奥方なら大丈夫ですよ」
それからディバは帳簿を開き、挟まれていた伝票を箱の上に置く。
「これは今日の昼食の請求書?」
「まさか。金を取ったら、引き留めた祖母さんたちに怒られます」
そこで思い出を整理するように二人は笑った。
「そうだ、磨く布の代金を聞いてなかったわ。どうなるのかしら?」
「布は報酬から天引きです。繊維物は別から仕入れて金を払ってるんで。ここに書かれてます。手数料はまけられません」
「じゃあ同じものを見繕うから、単価を三ゴルド上げてくれない?」
「谷の相場がわかるんですか?」
「あなた帳簿を開きっぱなしよ」
「……あ」
二人がまた笑い合うと、それを見ていた子供の一人が尋ねる。
「ねえ、ディバさんもお嫁さんをもらったの?」
あどけない声がそう聞いた。ディバのズボンを引っ張るまだ四つのカミロだ。
「きれいな人。結婚のお菓子は何にするの? リングクッキー?」
僕はじわじわと殺気が漏れ出してしまうのを後悔しながら止められない。ディバや訓練に出ている子供たちはそれに固まっていく。ぎゅっとズボンを握り、僕へ反撃をしないよう硬直する。あどけない声の主だけはかまわず答えをねだり、ダフネや幼い子供たちは駆け回る。それを制御する者はおらず、工房の中へも入って行ってしまう。僕は言わなくてはならない言葉を一生懸命見繕う。
「カミロ、まだ式を挙げていないが、彼女は僕の妻なんだ」
やっと言うが、他の子供たちの固い表情は取れない。幼馴染みや従姉妹たちも動きを止め、活気のあった工房の前は静まり返る。
「……すまない」
その場から離れると、通りにいた者たちもこちらに注目していた。館に走り出したくなる。それを堪え、僕はゆっくりと帰路に着く。なんて無様な姿を晒しているのか、それがわかっていながら平然を装い、マントを翻す。何も構わず走ったら、何か起きたかと不安を煽る。それは僕の勤めではない。
ディバたちは、カミロに怒声をあげてしまうだろうか。彼は訳もわからず謝ってしまうかもしれない。でも彼は悪いことなどしていない。衝動を抑えられない僕が悪いのだ。彼女の望むものを用意しても、笑い合えない僕が情けないのだ。
城砦の階段を上がっていると、後ろから走って来る音を聞き取った。身軽な体が鳴らす男物のブーツ、箱に入った部品がぶつかる音。振り切るように僕はリールの付いた鉤縄を上に投げ、垂直に壁を上がる。門にいた見張りの騎士たちが何事かと聞くが、何もないと答える。




