11、騎士と鼻折りの花嫁(11)
朝の見張り番を無理に代わってもらい、丘の上の城砦から街を見下ろす。白い煉瓦を積み重ねてできている城砦は、丘をさらに高く見せるように聳え立ち、騎士の住む街が一望できる。
塀の裾に広がる家々は秋の今頃、冬支度で忙しい。朝になれば黒っぽい石屋根の棟から、森へ田畑へ牧場へ向かう人が足早に出て行く。
谷は雪を冠にした山脈に囲まれ、幾つもの川が流れる。外界から遮断され、皆自分の家を継ぎ、騎士ではない者はほとんど谷から出ることはない。
ダニエルのように外から騎士を志して認められたり、ファグネルのように成空碇力学の権威を招くことは多々ある。サラたち騎士の妻を迎え入れることも。
そうやって大きくなった谷の街は、ゴランフィルのように肌で感じ取る矜持があり、それは親から子へ受け継がれる。
——パンを買う言葉に、鍬を下ろす回数に、朝の窓板を開ける音に、街の雰囲気は出るものだ。
そう言った祖父が生きていたら僕を叱責するだろう。
城砦の塀にぐるりと囲まれた敷地の中には僕の館や、ジーリレやダニエルの家、騎士団の詰所、子供たちが通う学校などがある。僕は訓練場の入り口が開かれるのを聞き分け、振り返り目視で確認する。まもなく八時。九時に交代する見張り番が、街の家の一つから出て来るはずだ。
また丘にひしめき合う家屋に目を戻す。中には武器工房や鍛冶屋があり、飛空艇の部品を作る工房もある。ファグネルのアロンソ家の工房もその一つだ。僕の代で使う飛空艇を仕上げ、その息子や孫も彼の才覚を受け継いでいる。僕の子供が生まれ、騎士団を継いでくれるのなら、またアロンソ家が中心となり、飛空艇を造るだろう。
ディバが赤いシェードのある家から出た。まだ新しい太陽は彼の亜麻色の髪を照らし、うねりのある柔らかそうな毛を輝かせる。彼には何度か見合い話があったが、一人前になってからと断っているという。
ポケットの中のコインを触る。それは谷の者が騎士になった時、渡される銅製のコインだ。表には剣が、裏には墓石が刻印されている。昔からの使い回しなので所々錆びているが磨く者はいない。ほとんどの者は家に保管し、使うことなどない。僕もそう思っていた。それを昨日の夜、箱から出した。
コインを握りしめる。
しかしディバは城砦とは逆の港への道を下って行った。僕はそれがよくわからない。
「団長、早いですが交代しましょう」
その声に振り返ると、数歩後ろにジーリレが立っていた。
「……気配を消して近付くのは、不敬だ」
「申し訳ありません」
僕の横に立ち、長い銀髪を風に揺らしながら、ジーリレは街を見下ろす。僕が目で追っていた者を見ている。
「午前は飛空艇の整備に回しました。正午の見張り番でここに来ます。その時間なら、俺はいません」
「……止めないのか?」
「もちろん。俺は手当の道具とダボ爺さんを用意するだけです」
僕はポケットの中のコインから手を離すが、ディバが曲がり角に消えると、フリアはまだ客間で寝ているか確認したくなる。
僕はどんな表情をしているのか考える。わからない。半年前より冷えた谷の風にマントの端を寄せる。
「……一人でずっと考えていると、無謀になる」
「昨晩は俺に気を遣ったんでしょう? 船でフリアさんがサラを独り占めしてたから」
「違う。君のことすら羨ましくて、怒れてしまうんだよ」
言ってしまった後、胸が潰れるように苦しくなる。狭量な自分を激しく嫌悪する。
「それなら、それで良いと思います。俺は貴方に八つ当たりされても構いません。むしろ、そういう役目かと。貴方はディバに決闘を挑んでも、俺に怒声を浴びせても良いんです。でもその前にやることがあるでしょう?」
「……彼女の部屋へ、朝食を持って行く」
ジーリレは頷いた。
「早く行かないと、誰かが運んでしまいますよ」
僕は頷く。ジーリレの後ろにある階段をゆっくりと降りながら、ポケットの中の古びたグローブを触る。昨日、コインと一緒に箱から出したものだ。破れた箇所に別の革が縫い付けてある。
——縫っておいたけど、あり物の革を使ったから、古臭くなったかも。
あの時、毒で浮腫んだ手で受け取り、すぐに彼女のブーツを指差した。両足で長さが違う。
——やだ、左を短くするの、忘れてたわ。
僕はそのとき十四になったばかりだった。それでもフリアが見せた笑顔は無辜であることはわかった。本当に心配になった。簡単にそんな顔を見せたら駄目だと教えたくなった。
実際我慢できず、その夜、鶏小屋の前に連れて行って教えた。僕の持てる最大の語彙を地面に書き連ね、恥ずかしくてやめようかと何度も思ったけれど、僕はその度に勇気を捻り出した。彼女に知って欲しい。たとえ僕の暗い思い出になっても、彼女が気味悪いと思っても、かまわない。僕の感じた彼女の美しさを滔々と地面に書いた。だから気を付けてくれ、と締め括って。
彼女は徐々に顔を赤くしたが、月明かりを頼りに最後まで読んでくれた。
——ねえ、いつか、これを歌にしてよ。私、それで……踊ってもいいわ。いいえ、踊りの練習をして、踊ってみせる! そうだ、あなたはギターを弾いて。ねえ、これからずっと叔父さんに習えばいいのよ!
そうだ。やることがあるのだ。ジーリレの言うように、僕には決闘や八つ当たりよりもやることがある。彼女の部屋に食事を持って行き、挨拶をする。それから、一緒に食べないか誘ってみる。あの時の勇気をまた出せばいい。彼女は僕だとわからなくとも、あの時から思いの丈は変わっていない。
塀に張り付くように建てられた石造りの館に入ると、薄暗い廊下を足早に調理場を目指す。ダニエルの妻マリーザが今日は当番だ。彼女の声が微かに聞こえる。木板の扉が近付きドアノブに手を掛けると、フリアの声もした。
「どうして、ここで食べちゃ駄目なんですか? だったら、私が部屋まで運ぶわ」
フリアの声と竈門の薪が折れる音が重なる。
「フリア様。ここは団長の家なのです。せめて朝食はご一緒されては?」
マリーザがそう言った。
「……二人きりになるのが嫌なんです」
「……では食堂で食べるのはいかがですか。給仕は私がしますから」
「あいつが下がれって言っても、いてくれますか?」
この声は攫った日に聞いたことがある。僕の手当を拒んだ声音。
「ええ、お約束します。ほら、お茶を飲んで落ち着いて。あいつなんて言っては駄目ですよ。準備しますから、少しお待ちください」
マリーザがそう言うと、こちらに来る足音がする。僕の足は動かない。扉が開くと、マリーザは一瞬固まった。すぐに部屋から出て、静かに扉を閉める。テーブルクロスを持つ手を、僕の背に回して食堂に誘う。でも僕の足は途中で止まってしまう。
出せば出ると思った勇気が微塵も出ない。あの時と何も変わっていないはずなのに、手形の付いた白いふくらはぎが頭にこびり付いて離れない。
「彼女の好きなようにさせてくれ」
「しかし……」
「僕の朝食は食堂に置いてくれたら、後で食べるから」
そう言い残して、二階の自分の部屋に戻る。元は父母が使っていた部屋だ。居間からは寝室や水場に繋がる廊下が伸び、ベランダは塀に張り出し、谷の街が見下ろせる。
暖炉の前の大きなソファに座ると、この広い空間に一人いることを嘲笑われている気がして、ポケットのコインを力いっぱい床に叩きつけた。




