第十四話:escape・2
ユウが地下に居た時、地上で何が起こっていたのか。
それは今を崩し、視界を塞ぐ。
作戦開始。
その合図とともに。ヒエラルは城の中へと入る準備が完了した。当然、許可を得たわけではない。
「良いか、予定道理、正面は私が行く。裏はお前が行け。アノミー」
「ああ、わかってるわかってる。だが別に俺が一人で全員打っ倒しても構わないんだろう?」
「……ああ、別に構わん。それに庭師として潜入していたお前の方が私よりうまくやるだろうしな」
「よっしゃー。じゃあ、行ってくるぜ。そっちもがんばれよヒエラル」
「それなりにな」
ヒエラルは最後に仲間と別れ、一人正面から中庭に向かった。
城の中は、すでに騒然とした状態だった。
なぜなら、この昼頃から突然に城全体を覆うように白い煙が上がったからだ。その様子は城の外から見れば火事にしか見えなかったし、城の中でも使用人も軍人も大慌てになって火元を探していた。
だが実際は家事などではない。
「ボスから聞いた通りだ。いや、想像以上かもしれない」
それはヒエラル達が用意した煙幕だった。数日前、庭師として潜入していたアノミーがこの煙幕を張るための装置の準備を済ませていたのだ。
その威力はすさまじく、特に野外では数メートル先も見えないほどだった。
これはヒエラルにとってはこれ以上ない好条件だった。なぜなら――
「――うわ、だ。誰だ。お前、侵入、しゃ……」
通りがかった軍人が、すぐにヒエラルが居ることに気づき、声を上げようとした。しかし、その時すでに十分ヒエラルの持つ形の無い剣、無形剣の射程に入っている。こうなってはなすすべもなく、瞬時に大鎌に変形した無形剣が首をはね、死体が一つ地に転がった。
つまり、ヒエラルの持つ無形剣の奇襲性がより強く発揮されるのだ。
そしてそれだけではない。ヒエラル達は単独で行動しているため起こりえないが、軍隊では混乱が加速し、同士討ちが誘発されていた。
「さて、ここはもう十分だろう」
ヒエラルは城に実際には入ったことが無かったが、ユウやアノミーから得た情報によってある程度は把握していた。
ヒエラルは煙幕の薄い室内を避け、城の本体に渡り廊下で繋がっている隣の建物に上った。優位であるとはいえ、余計な時間はないのだ。
隣の建物は混乱の所為か、特に誰とも出くわすこともなく簡単に侵入できた。そしてそのまま渡り廊下に出た。
それは巨大な、廊下というよりも大河に掛かる橋のような大きさだった。
ヒエラルはその巨大な渡り廊下の端から、目下に広がる城の様子を確認した。当然煙幕によって良く見えるはずは無かった。実際今もそれは変わらない。だが、少し、さっきとは違っていたのだ。
「煙幕が薄いな。幾つかすでに止められたか。想定より早かったな」
それでも十分だった。中庭や城の一階は十分煙幕が機能していて、混乱の中にあった。少なくともこの渡り廊下を渡り切れば城の中に入れる。
ただ、それは渡り切ればの話だった。
「……すまないな、アノミー。どうやら、当たりを引いたのは私のようだ」
渡り廊下の先、ヒエラルの進行を止めるように、一人の良く知られた人物が立っていた。
それはこの国に居れば知らぬ者はいない英雄。ドンレミだった。
「この騒ぎは君たちの仕業かい?」
「……これはこれは、英雄様の方からお越し下さるとは、お会いできて光栄です。私はヒエラルと言います。お見知りおきを」
「私を知っているのか。それは良かった。だが、もし会いたいのであれば事前に一報入れるべきだな。残念ながらそういう人間には帰ってもらうことになっているんだ。帰ってくれないか?」
「はっ、英雄様ともあろう人が頼み事ですか。言葉ではなく、力ずくでやったらどうでしょう?先の戦争の時のように」
「……なるほど、話が通じる相手だとは思ったが、言って聞く人間ではないということか――だが、無駄な争いは止めたいと思わないか?そちらにも事情があることはわかるが、争う必要はないだろう?」
「さあ、それはどうでしょう?この世には必要な争いというものがあるのです。それは最善ではないが、最悪ではない。少なくとも、緩やかな死よりはずっといい選択だと、私は思いますがね」
「……どうやら、この話は平行線のようだな」
「そのようですね。それで、通していただけませんか?争いたくないのでしょう?」
「君が進みたければ進みたまへ」
「なるほど、そう言うならそうさせてもらいますよ」
ヒエラルは一歩一歩、ドンレミの待つ城の入口へと進んだ。
当然、ヒエラルが城に入る事をドンレミが許すはずが無い。もちろん、通したとしてもヒエラルにとってドンレミに背を向けることは悪手でしかない。
ヒエラルは距離を詰め、確実にドンレミの命を狙っていたのだ。
暗殺こそが無形剣の本来の用法である。しかし正面から近づいたとしても、いくら警戒していたとしても、間合いさえわからない剣に対応することなどはできるはずはない。そしてさらにそれを操るヒエラルの正確無比な技術によって、無形剣は暗殺されることがわかっていたとしても、回避できない一撃必殺の武器となるのだ。
三歩、二歩、もう一歩でドンレミが間合いに入る。だが、その瞬間だった。
カチッ、っと音がした。それはドンレミが携えていた剣を僅かに抜いて、戻した音だった。ヒエラルはその音と同時に、風を感じた、そして、同時に右腕に痛みを感じた。右腕がその一瞬にして切り裂かれていたのだ。
ヒエラルはすぐに大きく後方に飛び退き、体勢を立て直した。幸いにも右腕の傷は浅く、まだ無形剣を使うには問題は無かった。
「どうかしたかい?いきなり飛び退いたりして」
「そちらの歓迎に驚いただけだ」
ヒエラルは今自分を打った攻撃が見えなかった。しかし、冷静にその攻撃が何か考えた。考えられる説は二つ、何か飛び道具を持っているのか、あるいはどこかに狙撃手が隠れているのか。しかし、後者はすぐに否定される。ヒエラルが来ることも、ここで戦うこともドンレミには想定外のはずだ。つまり狙撃手を準備する時間は無いのだ。だとすれば、残された攻撃手段はドンレミが跳び道具を隠しているということだけだ。
「……さて、君はまだ戦いたいかい?何度も言うが私は争う気は無いんだ。武器を捨ててくれないか?」
ドンレミがヒエラルに言う。武器を捨て、争いをやめて投降するようにと。右腕が切り裂かれたことで、ドンレミにもヒエラルが服の下に隠していた無形剣が見えていたのだ。
しかし――
「……私に武器を捨てろというのか?笑わせるな、武器を捨てろと平和主義者を気取り、しかし自身は決して武器を手放そうとはしない。お前はまさにこの国の欺瞞の象徴だ。英雄」
ヒエラルは決して、ここで武器を捨てることはしない。それは彼曰く緩やかな死を意味するのだ。だがそれでも静かな怒りが心を支配する。ここで英雄を殺す、それが自身の使命であるとさえ思った。
ドンレミの使った飛び道具はヒエラルの無形剣よりも射程が広い。それは大きな問題だ。だが、威力は低い。ヒエラルは先程と違い、全力でドンレミに接近した。攻撃の隙を与えないために、そして攻撃されようとも、一撃は食らう覚悟で。
しかし、ヒエラルとは対照的に、ドンレミは動かない。ヒエラルは無形剣を大鎌へと展開し、ドンレミの首目掛けて放った。しかし、その一撃がドンレミを捕らえることは無かった。ドンレミが躱したのではない。剣で受け止めたのでもない。当然ヒエラルが攻撃を止めたのではない。ただ、単純に無くなったのだ。大鎌へと展開したはずの無形剣の刀身の、その大部分が無くなっていた。
無形剣は液状から、固形の剣へと形を変える剣だ。操作は難しいが、元が液状である為かしなやかで、かつ固形へとなればその強度は並みの剣よりも頑強である。それを切り裂くことなどできるはずはないのだ。
さらに、ドンレミは剣すら抜いていないのだ。
「一体何が……」
今起きたことがヒエラルにはまるでわからなかった。再び、大きく距離を取る。無意識的な死の恐怖が近づいてはならないと告げていたのだ。
ドンレミの足元に元の液状になった無形剣の欠片と血が広がっていた。当然その血はドンレミのものではない。ヒエラルは今になって、自分の右腕の感覚がおかしい事に気が付いた。いつの間にか、再び切り裂かれていたのだ。それも今度は剣が握れないほどだった。
一体どのような技を使ったのか、どんな武器を使えばこんなことが可能なのか、ヒエラルの持つ疑問に答えは無かった。
「一体何が?か。私も聞きたいんだが。君の持っているこの剣は、元々は軍が開発していたものではないかなと思うんだが。いったいこれをどこで手に入れたんだ?この煙幕もそうだが、一体君たちの後ろには誰が居るんだ?」
ヒエラルはその問いかけに答える余裕などなかった。
「君の腕はうまく切っておいたから安心してくれ、日常生活では問題ないはずだ。ただ剣を握ることはできないがね。それと、君の剣はまだ使えるのかい?」
「……使えるさ、まだ」
実際は無形剣の大部分がえぐり取られたことでもう機能しなかった。しかしヒエラルはまだ残された手段があった。首にかけていた大きなペンダントを外した。それは鞘に収まったナイフである。ナイフを抜き、左手で構えた。
「そうまでして、私と戦いたいのか?」
「はっ、私はやっぱり英雄という奴が嫌いだ」
ヒエラルは最後の攻勢に出た。
体をよろめかせながらも、必死に憎き英雄に一矢報いようとしたのだ。
しかし左腕のナイフはドンレミの正体不明の攻撃で弾き飛ばされてしまった。だがそれでも止まらない、決してヒエラルは後退しない。そして――
「掴んだぞ、英雄」
ヒエラルはついにドンレミを掴んだ。そして、自身の体ごとドンレミの体を渡り廊下の上から身を投げた。
「残念だが、その手では私は殺せないな」
ドンレミはついにその剣を抜いた。そして瞬時にドンレミを掴んでいたヒエラルの右腕を切断し、つながりの切れたヒエラルの体は渡り廊下の上から地に落ちて行った。
「……ああ、ダメだな、また、仕事に私情を挟んでしまっ、た……」
手も足も出なかった。それどころか何をされたのかもわからなかった。ヒエラルは不甲斐ない自分に嫌気がさした。
「……英雄か」
ドンレミがヒエラルが落ちた先を見ても、そこは煙幕によって良く見えなかった。
戦いは勝利。しかしドンレミは自然と溜息が出ていた。
彼女は英雄と皆から呼ばれている。それは本当の名よりも呼ばれるほどだ。彼女はそれを否定はしなかった。しかし、英雄という存在は今の自分には相応しくないものだと考えていた。
「ドンレミ様。ここにいらしたのですね。下に早く来てください。敵襲です――ドンレミ様?」
「……ああ、サンテシャンか、あまり慌てない方が良い。敵の人数はそう多くないはずだ。まず、この煙を何とかするべきだ。発生源を手分けして探させるんだ。混乱が収まればこちらの勝ちだ」
「は、はい。すぐに……あの、何かありましたか?」
「別に大したことじゃない、襲撃者が居たんだが、逃がしてしまった」
英雄は何事も無かったように、混乱を抑えるために最善の行動を開始した。
注意。この第十四話のそれぞれの出来事はほぼ同じ時間帯で起こっています。




