第十二話:イト・2
これはほんの少し昔の、名も無き男とその守りたかった人の話。
それは時に守られて、決して変えることのできない話。
これはほんの少し、今より昔の話。
僕がまだ子どもで、故郷の山間の村で暮らしている時の話だ。その村は小さくて、年の近い子どもは村に僕しかいなかった。そのため遊び相手が居なかった僕はすることと言えば家の畑の手伝いか、それとも木登りぐらいしかなかった。
ある日僕は初めて、隣の少し大きな村との丁度中間ぐらいにある大きな一本の木が生えた、小高い丘まで歩いて来た。そこは子どもの足には遠くて、当時の僕はちょっとした探検気分だった。彼女と初めて出会ったのはその大きな木の上だった。
彼女は僕と同じぐらいの歳で、僕が初めて出会った同世代の人間だった。彼女は初対面の僕を見るなり、いきなり自分のいるところまで登って来いと言った。子どもの僕は初めて会った同世代の人間に喜んで、すぐにその木に登ろうとした。けれども、情けない事に当時の僕は背が低くて、その木の一番低い手を掛けられる窪みにも手が届かなかった。
登れないと尻込みしている僕を彼女は木の上から笑って、意気地なしと言った。
そんなことを言われて、子どもの僕もさすがに気を悪くしてしまって、意地でも上ってやると僕は頑張った。上手く足を引っかけて、頑張って大きな木を登ったんだ。
その後どうなったのかは少し恥ずかしい事だけれど、僕は足が震えてしまって、木の幹から落ちて、そのまま丘をころころと転がって行ってしまったんだ。
今となってはその時の痛みは全く思い出せない。ただそれを見た彼女の表情は今でもよく覚えている。楽しそうな、輝くような笑顔だった。
そんなことがあってからも僕と彼女はよく会って遊ぶようになった。待ち合わせは決まってその大きな木の上。
輝くような少年期の日々だった。木の上から見る景色は綺麗で、僕のいる村も彼女のいる村も小さく見えた。
よく会うようになってから僕たちは自分たちの事をよく話した。そのため僕も彼女の事もよく知るようになった。
彼女は本当に変わった女の子で、悪く言えばガサツで男勝りな子だった。僕たちは二人で山に登ったり川に行ったりもした。
それからのことは別に今言うほどのことじゃない。特別なことは無かったさ、ただ別れることも無く、普通に一緒に居て、普通に喧嘩をして、普通に仲直りして、そして普通に愛し合うようになった。
ただ、それでも僕は今日、行かねばなりません。子どもの時から一緒に居る彼女の元を離れることはまるで自分の一部を失う用でとても辛い事です。でも、だからこそ僕はまた、必ず彼女の元へ帰って来ると、そう思える気がします。
「それじゃあ、行ってくるよ■■■■■■。大丈夫、僕は必ず君の元へ帰って来るから」
「……私が居なくて大丈夫?何なら私も一緒に――」
「……これは戦争なんだ。それにお腹の子のこともある。大丈夫、上手くいけば僕たちの子が生まれるときには帰れるそうだから。それまで、もう昔みたいに木に登ったりしたら駄目だよ」
「もう、そんな昔の話をして」
彼女の冗談を遮って、僕は冗談を言った。
僕たちは夫婦になった。彼女の事を良く知る人は僕に良くあんな男勝りな女を、なんて言ったりもした。でも、今の僕は彼女のそういうところも好きで、だから、別れだって僕たちには涙は似合わない。
「……それじゃあ、そろそろ」
「うん、辛かったらいつでも帰って来て、明日でも明後日でも」
「今から行くところだよ」
「それもそうだった――あなたに幸あれ」
「……君に幸あれ」
僕たちは別れる。でもそれは永遠の別れではないし、それにどこに行ったって心は繋がっているんだ。だから――背を向けて泣いてなんかいないさ。
幸あれ。何気なくただ思いついて口にしたフレーズを今も思い出して考える。
幸せとは何だろう?私と彼が、あの大きな木の丘で出会ったことは間違いなく幸せ。その後、何事も無く二人で生きてこられたことも幸せ。なら今はどうなのだろう。
今、久しぶりに私はあの大きな木の丘にやってきた。その木ももうかなりの老木になっていた。
彼は戻っては来なかった。少なくともお腹の子が生まれるまでは。
私は久しぶりにその老木に登ってみることにした。この木の上からは彼の居た村も私の居た村も見渡すことができる。
この木に登るのは子どもの頃以来だった。でもなぜ今この木に登ったのか私の心には確かな意味が無かった。
ただ未だ戻らない彼が、初めて会った時のように木の上の私を見つけてくれるような、そんな気がしたからかもしれない。
けれども、私は見つけられなかった。
そして、そんな私もまた彼を見つけられなかった。それどころか私には何も見えなかった。村も空も、そして幸せというものも。
私は家に帰ることにした。今日は彼が残した子の誕生日なのだ。
しかし誕生日であると言っても、特別何かするということは無いし、祝うわけでもない。面白味が無いというかもしれない、しかし今日は命日でもあるのだ。だから祝えるはずはないのだ。
今日は彼が残した子の誕生日。そして、その命日でもある。
彼との間に生まれた子は死産だった。
今日はユウ達の週に一度の休みの日だった。
しかし、ユウはまだ城に来てから日が浅く外出するための書類が手に入らなかった。
「ユウ。お前、今日の休みはどうするんだ?」
同室の使用人ネイがユウに尋ねた。ネイも今日は休みなのだが、ネイの場合は休みの日にわざわざ外に出ることは無く今日も一日寝ている予定だった。
「別にどうもしないさ、どの道、外に出られないしな。そうだ、ヴェローナ様は今日は何もしてないのかな、することも無いしそっちに行っても」
「お前、聞いてなかったのか?ヴェローナ様、俺たちが休みだって知ったら今日は特に何もしなくて良いって言ってたぞ」
「ああ、そうだったか、なら仕方ないか……」
「……ふっふっふ。おいユウ。お前、外出したいだろ?」
「え?ああ、そう言われればそうだけど、それがどうかしたのか?」
「喜べ、ユウ。何と俺がお前の代わりに外出許可書を取って来てやったんだ――お前が言ってただろ?大切な人が病気だって、今日もその人に会いに行きたいんだろうって思ってさ、まあ、別に大したことじゃないから気にするな」
「ネイ……ありがとう。本当に」
「早く行って来いよ。後、ちゃんと帰って来るんだぞ」
ユウはネイのおかげでパレード前の最後の休日に、また城の外に出て行くことができた。
ユウが城の門の前まで差し掛かって、今の自分の持ち物を確認した。持ち物と言っても、デジデリーから貰った教書と、外出許可書だけだったが。
「あら、ユウ。そう言えば休みが同じ曜日でしたね。今日は大丈夫なんですか?」
城の門の前に居たユウにフォルトゥナが声を掛けた。この前ユウが外出することができたのはフォルトゥナが外出許可書をくれたおかげだった。しかし、今日のユウはその必要はないのだ。
「はい、良い友人のおかげで」
「そうですか、それは幸せなことですね」
二人は、城の門を越えて。そして、すぐに分かれた。ユウにはフォルトゥナがどこに行くのかわからない。しかし方向が違うため特に気にもせず、町に出てすぐに二人は分かれた。
というわけで、少し本筋から逸れた話でした。後々またこんな話が出るかもしれないけれど。まあ基本は終わりの前の過去の話は本筋ではないのでほどほどに。




